私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

20代の若者がなぜ「つながり」や「友達」はこれほどまでに我々を苦しめるのか考えてみた

*今回から「である調」で書いてみます。

 

 

 

「ソロ男」を標榜する私が、一人になって日々思うことがある。

 

 

 

 

「つながり」や「友達」という言葉の価値の低さである。

誤解がないように先にいっておくと、世間的に言われている「つながり」や「友達」という言葉についてである。

 

 

 

 

私にも友人が片手で数えるくらいはいるかもしれない。

もちろん片思いの可能性がなくはないのだが、、、

 

 

 

 

 

まあそれは置いといて、正直この言葉を発してくる人間は総じて人としての中身が薄いと思うのだ。

 

 

具体的に言うと、「つながり大事っしょ」→「飲み会しようぜ」とか「人脈って大事」→「朝活しようぜ」あたりの人間のことだと思ってもらえるとありがたい。

 

 

 

今回は、菅野仁氏の著書を使って友だちについてあらためて考えてみた。

 

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1.「みんな仲良くしようぜ」の諸悪の根源

このブログでも扱ったことがあるが「一年生になったら」というご存知だろうか?

 

おそらく小学校入学してまもないころ歌ったことかと思う。

*下記のリンクで歌詞を参照されたい

一年生になったら

 

菅野氏も著書のなかで、この歌を紹介しているのだが、これは一つの学校の害毒を象徴していると思うのだ。

 

 

 

どういうことかというと学校という箱のなかでただでさえ嫌なやつがたくさん回りにいるのに、「全員と親友になりなさい」という洗脳教育が行われるのが日本の義務教育なのだ。

 

 

著者も指摘しているが、教師自体がそもそも「話せばわかる」「みんなに好かれたい」という頭のなかがお花畑の人が多い。

 

 

私自身はずかしながら、中学校の1〜2年くらいまでは、どんな人とも話せば仲良くなれると思っていた。

 

 

無理だと気づくまでに随分と苦しんだものだ。

「なぜこの人は拒否するのだろう?」と悶える経験をしたことがある人は少なく無いであろう。

 

 

 

「みんなと深い仲になる」という呪縛からとかれてから随分と楽になったものだが、社会人でも未だにこのことを信じている人は多い。

 

 

冒頭に上げた人たちはまさにその類の人間ではないかと思う。 

 

 

 

相互にこの神話を信じている者同士は親和性があるので、Facebookで友だちになって朝活をすることや飲み会をすることはしてもらっていいが、「仲良しの押し売り」はぜひやめていただきたいものである。 

 

 

 

 

 

まとめると、学校で刷り込まれた「みんな友達(みんな親友)」か「他人」かみたいな0 or 100でしか人間関係を語れないようにしてしまった結果が人々の人生を生きづらくしていると思う。

 

 

 

そして、なんとかして、その他人(もしくは気の合わない人)と親友にならなくてはいけないという強迫観念から自分を開放してあげてほしいというのが私の切なる願いである。

 

 

2.世間の言う「友達」や「つながり」でできた人間関係など足の引っ張り合い

 

先ほど上げた

「つながり大事っしょ」→「飲み会しようぜ」

「人脈って大事」→「朝活しようぜ」

 

を私が嫌いな理由は、「一人じゃ何も行動を初められないやつほど中身が薄い人間もいない」と思うからなのだ。

 

 

 

例えば、チヤホヤされる芸能人やプロ選手なども、デビュー当時やデビューする前は一人で決心し行動を始めたはずだ。

 

 

 

 

若造の分際で言うのもなんだが、いわゆるこの手の人達の「小者感」は、間違いなく「群れなければ何も出来ないところから来ている」という一言に尽きると思うのだ。

 

 

 

起業するにも誰かの助けは必要なのはしたことがない私でもわかる。

ただ、助けをかりるのと群れるのは全く別物であろう。

 

 

 

 

つながりに代表される「群れる行為」は決して人生にプラスはもたらさないというのが私の持論としていつも繰り返しになるが今回もお伝えさせていただいた。

 

 

 

3.幻想ではなく、真の友を獲得するには

 

「友達」論争は、本などもよく出されており、未だに決着がついていないが、私の持論を述べたい。

 

 

 

真の友とは、「相互に何かを学べるという感覚がある関係性」だと思う。

これで、友達が100人いることなどはないと思う。私は正直右手で数えれる。

 

 

別にこの定義を押し付けたいという考えは毛頭なく、別の定義があるならぜひ教えていただきたい。

 

ただ、、

 

Facebookの友達

サークルの友達

異業種交流パーティで出会った人脈

学校の友達

 

 

これらは、「友達」を定義する基盤としてはあまりに脆弱すぎないか?

 

 

あなたの「友達」はどうだろうか?

幻想だらけになっていないか?

 

 

 

幻想をとりはらうなら今しかないと思う。

 

 

一度人間関係を整理してみてはいかがだろうか?

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。