幕末の日本を変えた人物の一人として、高杉晋作の名はよく知られています。
彼はどのような教育を受けて、どのような仲間と共に倒幕運動に参加したのでしょうか?
今回は、高杉晋作が学んだ松下村塾という私塾について紹介します。
江戸時代末期に開かれた私塾
私塾とは、個人や家族が自宅などで開いて子弟や門人に教える学校のことです。
当時は長州藩の明倫館や水戸藩の弘道館に代表されるような藩校や寺子屋などもありましたが、私塾では自由な学風や思想が育まれました。
私塾、松下村塾は1842年(天保13年)に吉田松陰の叔父・玉木文之進が開きました。
文之進は武士でありながら漢学や国学にも通じており、厳格な指導で知られていました。
1857年(安政4年)からは吉田松陰が同塾を引き継ぎました。
吉田松陰は長州藩士でありながら西洋文化や尊王攘夷思想に傾倒しており、幕府から目をつけられることもありました。
しかし彼は自分の信念を貫き、多くの門人に影響を与えました。
意外かも知れませんが、吉田松陰が松下村塾で弁舌をふるったのは、2年10か月ほどしかありませんでした。
高杉晋作とその仲間たち
高杉晋作もその一人です。
彼は長州藩士の家柄であったものの、藩校では満足できず、19歳で久坂玄瑞という友人から紹介されて入門しました。
そこで彼は久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一などと親交を深め、「四天王」と呼ばれるまでに成長しました 。
特に久坂玄瑞とは「識の高杉」「才の久坂」と称され、「松下村塾の双璧」と呼ばれるほど互いに切磋琢磨し合いました。
この四天王以外にも多くの有名な志士たちがこの塾から輩出されました。
例えば伊藤博文、山縣有朋、桂小五郎などです。
彼らは後に明治政府の要職に就き、日本の近代化に貢献しました。
松下村塾で高杉晋作は、吉田松陰から「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」という教えを受けました。
彼は自分の志を実現するために倒幕運動に参加しました 。
高杉晋作が学んだ教えは今も生きている
高杉晋作が学んだ松下村塾は、幕末の日本を変える多くの志士たちを育てました。
彼らは吉田松陰から受けた教えや思想を胸に、時代の激流に身を投じました。
高杉晋作はその中でも最も活躍した人物であり、明治維新の立役者として評価されています。
しかし彼は若くして亡くなりました。
享年29歳です 。
彼が残した言葉や行動は今も私たちに訴えかけています。
高杉晋作が学んだ教えは今も生きています。
それは自分自身で考え行動すること、時代の変化に対応すること、正義感や志を持つことなどです。
私たちはこの教えから何を学び取ることができるでしょうか。
幕末から150年以上経った現代でも、私たちは高杉晋作やその仲間たちから刺激やヒントを得ることができるかもしれません。
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