明治維新といえば、日本の歴史において大きな転換点となった時代です。
その中で活躍した人物の一人が高杉晋作です。
高杉晋作は、幕末の志士として長州藩の藩政改革や倒幕運動に参加しました。
彼は多くの名言を残しており、その中には彼の「志」が表れています。
今回は高杉晋作の名言から学べる「志」について考えてみます。
高杉晋作の生涯と「志」
高杉晋作は、1839年に長州藩士の家に生まれました。
長州藩の藩校である明倫館へ通っていましたが、決まりきった授業には飽き飽きしていたようです。
その後、19歳で吉田松陰の私塾・松下村塾に入りました。
そこで尊王攘夷の思想に感化され、幕府に対する反抗の気持ちを強めていきました。
22歳で長州藩一の美人と言われた「雅」と結婚しましたが、その後は激動の時代に身を投じることになります。
24歳のとき、長州藩が外国船を砲撃した下関戦争で敗北すると、身分に関係なく志高い者を集めた奇兵隊を結成しました。
これは日本初の民主的な軍隊であり、吉田松陰から受け継いだ「草莽崛起」の志が現れたものです。
26歳のとき、長州藩が幕府に屈服しようとする動きに危機感を持ち、クーデターを起こして倒幕派を権力につけました。
これは彼の「倒幕」の志が現れたものです。
27歳のとき、長州藩が幕府と戦った第二次長州征討で勝利し、大政奉還へと道筋をつけました。
これは彼の「尊王」の志が現れたものです。
しかし同年、肺結核で若くして亡くなりました。
彼は短い人生で多くの功績を残しましたが、自らが目指した明治維新を見ることはありませんでした。
しかし、歴史の転換期である明治維新に大きく関与したのが高杉晋作でした。
高杉晋作の名言から感じる「志」
高杉晋作は多くの名言を残していますが、その中から3つを紹介します。
・「男子たるもの困ったという一言だけは決して口にしてはいけない」です。
これは彼が奇兵隊を率いて下関戦争に参加した際に発した言葉です。
この言葉からは、彼の不屈の精神や責任感が伝わってきます。
困難な状況でも決してあきらめず、自分たちの使命を果たそうとする姿勢が感じられます。
・「面白きこともなき世をおもしろく」、高杉晋作の辞世の句として有名な句です。
この句の意味は、この世には本来面白いことはないが、それを面白くするかどうかは自分の心次第だということです。
つまり、自分の考え方や行動で、つまらない世の中を変えていこうという気概を表しています。
この言葉から高杉晋作の強い信念や志が伺えます。
・「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」です。
これは彼が松下村塾で学んだ際に吉田松陰から教えられた言葉です。
この言葉からは、彼の「志」の重要性や、吉田松陰への尊敬が伝わってきます。
「志」を持つことで、人生に意義や方向性が生まれるということを理解していたことがわかります。
高杉晋作の「志」を現代に生かす方法
高杉晋作は、幕末の激動の時代に「草莽崛起」「倒幕」「尊王」という「志」を持って行動し、明治維新の立役者となりました。
彼の名言からは、その「志」がどのようなものであったかがうかがえます。
彼は不屈の精神や責任感、謙虚さや達観さ、意義や方向性を持っていました。
現代においても、高杉晋作の「志」は参考になるものだと思います。
私たちは日々様々な困難や変化に直面していますが、高杉晋作のように自分の「志」を持ち続けることで、それらに立ち向かう力や希望を得ることができるのではないでしょうか。
高杉晋作の「志」は、私たちにとって永遠の指針となるものだと思います。