私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

なぜ会社を辞めたくてもやめられないのか

何年前だろうか?

 

 

あなたは、大学を卒業すると同時に冤罪で懲役にかかったといえる。

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毎日が苦痛で仕方がないかと思う。

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そして、20年後、30年後には無残な姿になっているのかもしれない。

 

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こういった想像を誰もがしたことがあるに違いない。

 

 

 

 

 

 刺激のない毎日

 

 

毎晩蒲団の上でそう考える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、何となく頭ではわかっているけれど、行動には移らない。

というのが現実世界で生きる我々の本音である。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、なぜ「会社をやめたい」と言う人は世の中にゴマンといるのに辞め(られ)ないのかを考えてみた。

 

 

 

「住宅ローンが払えなくなるから」みたいな話はしないので安心していただきたい。

 

 

 

 

 

ルソーの『人間不平等起源論』『社会契約論』を参照した。

 

*ちなみにあらかじめ断っておくと、私は幸いにも全くと言っていいほど不満がないところで働かせていただいている。(ディスクレイムではない)

 

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1.「自由」への恐怖

自由と聞くとどうイメージするだろうか?

 

 

 

 

 

 

「自由」とは「全ての人がその人生において追い求めるもの」に違いない

これは、ルソーも含めヘーゲルなど多くの哲学者がすでに述べている。

 

 

 

 

 

 

 

いうまでもないかもしれないが、誰だって自分の欲望を最大化できることを望んでいるはずだ。

わたしもその一人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、その追い求めているはずのものから遠ざかる生活を自らに強いているのである。

 

 

 

 

 

 

 

こういった相反する感情の沸き起こりについて徹底的に考えたのがルソーという哲学者である。

 

 

 

 

 

相反する感情が沸き起こる理由は端的に言えば2つある。(本質は両方共同じ)

 

 

 

 

「会社に縛られたくない」

 

 

といいつつ辞めない1つ目の理由は、「縛られる」ことに肯定的な感情を抱いているからである。

 

 

 

 

 

 

なぜなら、欲望に逆行することをするのはおかしいから。

つまり、束縛を求める積極的な理由があるということ。

 

 

 

 

 

もう一つやめられない理由がある。

 こちらは後ろ向きな理由である。

 

 

 

それは逸脱への恐怖である。

 

 

 

 

 

ルソーの『社会契約論』でもあるが、どうやら我々の中には、「社会から外れてしまうこと=罪人」という方程式がうめこまれているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単にいえば、「みんなと同じ方向を向いていないこと」は「悪いことをしているということ」だと錯覚しているのである。

 

 

 

 

 

 

2.「拘束」されることへの喜び

一般的には、「拘束」というと冒頭に出したような画像を我々はイメージする。

 

 

 

 

 

しかし、繰り返しになるが、我々は、ともすればその鎖につながれることを良しとして生きている。

 

 

 

 

なんでこんな矛盾を平然と人間はやってのけるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルソーいわく、我々が社会との契約を酌み交わすのは「安全を保証してくれるから」だそうだ。

 

 

 

 

 1でのべた積極的に束縛を求める理由の答えがコレだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮に何も制約がない「自然状態」であれば、戦いを避けることは出来ない。

というより常に争うことになる。

 

 

 

 

 

 

 あなたがフリーザであれば問題ないのだが、そうはいかない。

 

 

 

 

 

例えば目の前に盗賊が現れたとする。

そしてあなたの財産を根こそぎ持っていくのだ。

 

 

 

そいつらの不当性を主張しようもルールのない世界では勝ったもんがちだ。

 

あなたの言い分など退けられてしまう。 

 

 

 

 

 

 

 こうして

 

「自由」ってのはいいことばっかじゃねえな

 

 

 

という人たちの欲望が集まってできたのが法を筆頭とした「縛り」である。

 

 

 

 

 

 

 

この「縛り」は会社という枠組みにも当てはまる話である。

 

 

 

 

 

 

 

会社は「安定」をもとめる人々に大きな助け舟を出してくれた。

 

それと引き換えに、あなたは「自由」を捧げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

3.前提の瓦解

 

ルソーの主張に基づき「安定」を提供する「会社」の魅力について語ってきた。

 

 

 

 

しかしだ。

 

 

 

 

 

 

この前提は崩壊しつつあるのだ。

神田昌典氏『2022 これから10年活躍できる人の条件』でもあったが

 

 

 

会社の平均存続年数は0年に収斂し始めている。(今は、4~5年くらいと言われている)

 

 

 

 

 

最近もSHARP東芝を始めとした大企業の凋落ぶりも目立っている。

10年前なら家族が総出で喜んだ就職先であったにも関わらずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻そう。改めて確認する。

 

 

 

 

 

我々が、会社を辞めたくない理由はなんだかんだでルソーの言う「安定」を提供してくれるからだ。

 

 

 

 

しかしながら、その「安定」を提供できる会社はなくなりつつあるのである。

 

 

 

 

 

はげた上司にガミガミ言われること

 

接待ゴルフに連れて行かれること

 

終電まで毎週毎週飲み歩いていること

 

 

 

 

 

 

それに耐えて「安定」が手に入るのなら安いかもしれないが、そんなことはないのだ。

 

 

 

 

 

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個人的には、いっそ死ぬなら「自然状態」の中で一発狙いの博打を貼ったほうが人生の期待値高いと思っている。

 

 

 

 

 

 

私もエースに習って死ぬ間際まで諦めたくないものである。 

 サラリーマンを否定しているのではない。

 

 

 

 

 

 

ただ、それが「正義」といえる時代はもう終わったということである。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

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