幕末維新の志士 高杉晋作は、どんな人物だったのでしょうか。
彼が眠る山口県下関市の東行庵を訪ねることで、彼の生涯や思想に触れることができます。
この記事では、高杉晋作と東行庵の出会い、東行庵の歴史と見どころ、そして幕末の志士たちと東行庵を訪ねる旅について紹介します。
高杉晋作と東行庵
高杉晋作は幕末の志士として活躍しましたが、慶応3年4月に肺結核のため亡くなりました。
彼の遺骸は、遺言により山口県下関市の清水山に葬られました。
この地には高杉晋作の盟友であり、奇兵隊軍監の山縣有朋が草庵を建てて「無鄰菴」と名付けていました。
草庵とは、当時の建築様式で草葺や草壁を用いた建築物です。
無鄰菴は、山縣が京都に建てた別宅の名前に由来します。
山縣は、高杉晋作の死後、彼の遺志を継ぐために政治活動を続けましたが、無鄰菴を高杉晋作の愛人であったおうのに贈りました。
おうのは、高杉晋作と出会ってから彼に仕え、最期まで看護しました。
彼女は、高杉晋作の墓を守るために出家し、「谷梅処」という尼僧として死後の高杉晋作に寄り添いました。
1884年におうのの懇願により、山縣有朋・伊藤博文・井上馨らの協力を得て、正式に「東行庵」が建立されました。
「東行」は高杉晋作の号であり、おうのは1909年に亡くなるまで高杉晋作をこの地で弔い続けました。
東行庵の歴史と見どころ
東行庵は高杉晋作の墓所や霊位礼拝堂、遺品などが保存されている寺院です。
高杉晋作顕彰碑には、伊藤博文が撰文した「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…」という有名な碑を見ることも出来ます。
霊位礼拝堂は、明治17年(1884年)に建立されたもので、高杉晋作の肖像画や書簡などが展示されています。
また、東行庵には、高杉晋作を顕彰する東行記念館があります。
ここでは、幕末維新の志士たちや東行庵に関わった人々の足跡を知ることができます。
東行記念館では、高杉晋作や吉田松陰、奇兵隊のなどの史料・遺品が展示されており、当時の歴史や文化を学ぶことができます。
さらに、東行庵では、毎年4月14日に「東行忌」という法要が行われます。
これは、高杉晋作の命日にあたる日であり、多くの参拝者が訪れます。
東行忌では、高杉晋作や奇兵隊の業績を称える祭典や演説会などが行われます。
この日は高杉晋作や奇兵隊の関係者の子孫やファンが全国から集まり、高杉晋作の遺徳を偲びます。
東行庵は、高杉晋作とその愛人おうのの物語が残る場所です。
幕末維新の歴史に興味のある方は、ぜひ訪れてみてください。
幕末の志士たちと東行庵を訪ねる旅
東行庵は幕末維新の志士、高杉晋作の慰霊の地であり、彼の生涯や思想を偲ぶことができる場所です。
山縣有朋やおうのなど、晋作と関わった人々の物語も聞くことができます。
また名物の晋作餅や晋作うどんを味わうことも出来ます。
東行庵を巡ることで、幕末の志士たちの足跡を辿る時代旅行を楽しむことができます。