高杉晋作と聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか?
幕末の志士として活躍した人物であることは有名ですが、実はその子孫がベトナムでレストランを経営していることをご存知でしょうか?
この記事では、高杉晋作の子孫がベトナムでどのような食の革命を起こしているか紹介します。
高杉晋作とはどんな人物?幕末の志士からベトナムへ
高杉晋作は、幕末の長州藩の尊王攘夷志士として活躍した人物です。
1839年に山口県萩市に生まれ、藩校明倫館や吉田松陰の松下村塾で学びました。
江戸や東北に遊学し、各地の志士たちと交流しました。
1861年には海軍修練のために中国の上海に渡り、西洋列強の侵略と太平天国の乱を目撃しました。
帰国後は尊王攘夷運動に加わり、奇兵隊を結成して下関戦争や長州征討などに参戦しました。
しかし、1867年に病気で29歳で亡くなりました。
高杉晋作は、日本を変える為に人生をかけて戦い抜きましたが、明治維新後の新しい時代を見ることはありませんでした。
高杉晋作には妻の雅子との間に一人息子、高杉東一がいました。
高杉東一は外交官として活躍し、英和新国民大辞典の編集にも携わりました。
高杉東一の子孫は現在も健在で、ベトナムでも活躍している人がいます。
それはピザレストラン「Pizza4P's」を経営する高杉早苗さんです。
高杉早苗さんは高杉家の家紋「丸に武田菱」をロゴにしたお店で、食を通じて世界中に笑顔を増やしたいというモットーを持っています。
高杉晋作の子孫が始めた食の革命とは?ベトナムの人々に愛される
高杉早苗さんは、慶応義塾大学法学部卒業後、サイバーエージェントに入社しました。
広告代理店事業やメディア広告企画を経験しましたが、出産を機に退職しました。
2009年にベトナム・ホーチミン市に移住しました。
そのきっかけは夫である益子さんがベトナムで仕事を始めたからです。
益子さんは日本でIT企業を経営していましたが、ベトナムで新たなチャレンジを求めて渡航しました。
ベトナムでは日本食レストランが少なく、ピザもチーズが不足していることに気づきました。
そこで益子さんは自らチーズ工房を立ち上げ、自家製チーズを使ったピザレストラン「Pizza 4P's」をオープンさせました。
この店の名前は、「Platform of Personal Pizza for Peace」の略で、ピザを通じて世界中に笑顔と平和を増やしたいという想いが込められています。
「Pizza 4P's」は、2011年にホーチミンのレタントン店から始まり、現在ベトナム国内に8店舗を展開しています。
そのうち2店舗は首都ハノイにあるようです。
ベトナム人や欧米人など多くの客層から支持されており、予約なしでは入れないほどの人気店です。
グローバルメディアからも賞賛されており、「世界のベストピザ15選」に選ばれたこともあります。
高杉晋作の子孫が伝えるベトナムと日本のつながりとは?食を通じて学ぶ歴史と文化
高杉晋作は幕末の長州藩の尊王攘夷志士で、奇兵隊を結成して倒幕運動に貢献しましたが、27歳で亡くなりました。
その子孫は現在も日本やベトナムで活躍しています。
高杉晋作の末裔、高杉早苗さんはベトナム・ホーチミン市でピザレストラン「Pizza 4P's」を夫婦で経営しています。
この店の名前は、「Platform of Personal Pizza for Peace」の略で、ピザを通じて世界中に笑顔と平和を増やしたいという想いが込められています。
店のロゴは高杉晋作の家紋からアレンジしたものです。
高杉早苗さんは、高杉晋作の辞世の句「面白きこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり」を体現しているように感じます。
高杉晋作の子孫は、食を通じてベトナムと日本のつながりや歴史と文化を伝えています。