私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

孤独感を感じる中で解消されないのはなぜか

約 7 分

孤独感を感じる

 

 

現代において多くの人が感じてやまない・・・・そう私は考えている。

 

 

暴論を言えば、今時孤独感を感じることが一切なく過ごせている人間などいないとすら思う。

 

 

孤独感は解消されると思ったりすることはあるもののそれは一時的なものがほとんどで、常に孤独感自体の再来を孤独感を感じない時でさえ感じてしまうというのがほとんどだ。

 

 

 

そういった孤独感というものが社会の危機の兆候であると述べた人物がいる。

 

アレクシ・ド・トックビルである。

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今日は、トックビルという智者に教えを請いながら孤独感を感じる日々がなぜ我々を襲うのかとそれがもたらす危機の重大さについて書いていければと思う。

 

  • 孤独感を感じる状態はなぜここまで深刻か
  • 孤独感を感じることと文明の危機について
  • 結社の自由を考える

 

 

孤独感を感じる状態はなぜここまで深刻か

さて、いきなりだが、なんとなく寂しいという気持ちや家にいる時のなんとも言えない苦痛感というものが我々を襲うようになってからもう長い。

 

私はというと物心ついた頃から感じている。

 

 

具体的に考えても、『東京物語』が描いたような家族制度の段階的解体の様相はもはや悲劇とも思われないくらい当たり前になっている。

 

なるたけ少人数で人々は日々の生活を送っていることが「自由」と言われさえする。

 

 

家族制度にとどまらず、地域の集まりやイベントなんてのもそこに住む人々の数がどんどん減っていくにつれて縮小や消滅へと舵を取っている。

 

 

 

いずれなくなるのは時間の問題と言ってもいいかもしれない。

 

 

 

一方で都市部はといえば、そもそもそんな催しもなく、単身世帯が多い。

互いが互いを知らない中で巨大な箱の中で各々孤立して過ごしている。

 

 

 

仮に地方に近似するイベントがあったとしてもあまりに大規模かつ商業主義的であり、個人を社会とつなぐような役割は全く果たさない。

 

 

 

つまりである。日本にはいかなる場面からも中間共同体というものが消滅に向かいつつあるのだ。

 

 

これはトックビルの指摘した「国が滅びる」前兆と言っても良い。

 

少し補足をしよう。

 

 

まずもって中間共同体というのは一言で言えば、「個人」と「社会」という二項対立において具体的に個人を社会につないでいる共同体を指す。

 

 

トックビルはこの中間共同体を「結社」と呼んだのだが、この「結社」が衰退し人々が孤独感を感じる強度が高まるにつれて文明それ自体が危機に瀕すると『アメリカのデモクラシー』において述べている。

 

だが日常生活の中で結社を作る習慣を獲得しないとすれば、文明それ自体が危機に瀕する。私人が単独で大事をなす力を失って、共同でこれを行う能力を身につけないような人民は、やがて野蛮に戻るであろう。

アレクシ・ド・トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

トックビルは上に書いたように人々が何か結社を作る習慣を失うにつれて、その周辺から秩序が消え失せ野蛮な世界が誕生すると述べるのだ。

 

孤立した個人はたとえ物理的に距離がちかかろうとも話したこともなければ何かを共に協働することもない。

孤独感を感じることと文明の危機について

これは秩序の破壊という様相はもちろん今トックビルが述べたように個人の主体性が失われる。そしてより多くのことを政府に対して求めるという無思考人間が量産されてしまう。

 

 彼らは、個人が無力、無能になるのに応じて、政府をより有能、より行動的にして、個人のできないことを社会が遂行できるようにしなければならぬと考える。そう言えばすべての答えになると彼らは信じている。だが、それは間違いだと思う。

政府はアメリカの最大級の結社の幾つかの代わりにはなるであろう。実際、連邦の中で、幾つかの州はすでにこれを試みている。だが、いかなる政治権力といえども、アメリカ市民が結社によって毎日遂行している数かぎりない小さな事業を行うには十分であるまい。

アレクシ・ド・トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

確かにトックビルがここで述べるように一部の中間組織については国や地方政府が担うことができる。

 

しかしながら、数かぎりない小さな事業(住民にとっては大切な)は成り立たなくなるし、個人としての主体性なき個人主義が跋扈する。

 

 

「政治」は我々の手元から離れていく。

 

中間組織の崩壊は国の崩壊というトックビルの指摘は極めて鋭いなと感じる。

 

 

それはなぜかというとおそらく功利主義のカテゴリーからしか物事を価値判断できなくなっているからだ。この偏見に蝕まれすぎてトックビルの指摘の重大さがいまいちピンとこない人も少なくないだろう。

 

 

 

事実、あらゆる中間組織は「無駄」であり、「既得権益」であり、「税金の無駄遣い」と考えてしまう人は少なくない。

 

 

 

このような功利主義の市場原理主義的見地だけ物事を見ることの危険性は過去に多くの思想家が述べたところであり、今一度我々も心に刻まなくてはならない。

以下にはカールポラニーの一節を引用したい。

 

ひとたびわれわれが、社会全体の利害でなくただ党派的な利害だけが影響力を発揮しうるという強迫観念から自由となり、またこの強迫観念と対をなしている、人間集団の利害は金銭的な所得に限定されるものであるという偏見から解放されるならば、保護主義的運動が持つ広さと包括性は謎でも何でもなくなる。・・・利害という概念をあまりに狭く解釈すれば、社会史及び政治史の姿を歪めることにならざるをえず、利害というものに純粋に金銭的な定義を与えるとすれば、人間にとって死活の重要性を持つ社会的保護の微調整の存在する余地がなくなってしまう。

カールポラニー『大転換』

 

ポラニーが言っていることをまとめると、「金儲け」だけを考えて物事をみ始めるとロクでもないことになるということだ。

 

その帰結の一つが孤独感を感じる状況が増幅している今ここの状況であることは言うまでもない。

 

この帰結はなぜもたらされたかというと願ってはなかったろうが、「功利主義」のカテゴリーから見た場合最も「合理的」だったからである。

 

 

結社の自由を考える

アメリカが宗教(特にカトリック)にこだわるのには訳があって功利主義を排除した中間組織として大きな政治的意義を持っているからに他ならない。

 

 

アウグスティヌスであれルターであれかの偉大な宗教の件医者たちもこの中間組織の政治的意義を最も重要視していた。

 

 

今、我々は功利主義の作り出した「合理主義」に対抗しなければならない。

でなければ、功利主義の作り出した世界において孤独感を感じるのはもちろん、ただ「労働」をするためだけに生きているという絶望を死の淵において思い知らされるのである。

 

 

そういったこともあり、私は近頃結社というのに関心があり、共に行動してくれるような方を募集している。言論活動を「結社」により行おうと考えている。

 

 

今回の文章に興味を持っていただいた方は気軽にお声かけいただければと思う。

 

 

おもしろきことなき世を面白く

 

 

About The Author

高杉晋作
1992年日本生まれ。ハンナ・アレント、カールヤスパースを師と仰ぎ読書会をやっている青年。より多くの人に「言論活動」の場を広げることで「人間味ある世界」の再生を目指している。

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