私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

グローバル人材の妥当な定義(=英語力なのか)

約 10 分

最近「グローバル時代だ」だの「日本もいよいよ開国だ!」だの「英語教育をもっと初等からやれ!」などと騒いでいる連中がいる。

特にいわゆる高学歴層や会社経営層(ビジネスリーダー)と呼ばれる層に顕著に見られる。

 

 

私はそれを傍目に見ながら「バカバカしいな」と思っているわけだが、どうも私は少数派らしく、少し意識の高いビジネスマンほど「グローバル人材にならなくては」などと言いながら英語を勉強したり東南アジアに飛び込んだりしている。

 

 

そして、それを周囲は「よくあの子は時代が読めてる」「あの行動力はすごいよね」と褒め称えるわけだ。

 

 

ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテという偉人がいるのだが、彼は実に示唆に富んだ言葉を述べた。

Es ist nichts schrecklicher als eine tätige Unwissenheit.

(活動的なバカほどタチの悪いものはない)

 

グローバル人材と叫んでいる人間はまさにこれだ。

 

「とりあえず英語力の強化」

「とりあえず大前研一」

「とりあえず東南アジア」

 

 

グローバル人材というものを自分でよく吟味する事なく脊髄反射的に行動する。

その当該の人物で完結すればいいのだが、この「活動的なバカ」は感染するらしく、ある部屋に一人だけいたはずの「グローバル人材」がいつの間にか数十人数百人と増えるのだ。

 

 

しかしこの発生源を特定しなければ万事解決しない。

 

 

そこでいろいろグローバル人材を定義している文献を当たると最終的に文部科学省の資料にたどり着いた。

 

ここに悪の根元があったと言って良い。

今日は、文部科学省のグローバル人材のインチキぶりと改めてグローバル人材の定義とは何かを考えてみたい。

 

  1. 文部科学省の考えるグローバル人材の定義
  2. 今なぜ明治期思想に立ち戻るべきか
  3. グローバル人材を一言で表すキーワード

 

文部科学省の考えるグローバル人材の定義

グローバル人材、グローバル人材と騒ぎ出したのはここ10年くらいかと思うが、この言葉が流行りだしてから加速度的に日本が腐り始めた。

 

 

おそらくグローバル人材の定義が間違っていたのだ。

 

そう思った私はこの言葉を流行らせた文部科学省の資料を物色する事にした。

 

まず、文部科学省の2011年に発表しているグローバル人材の3要件というのがあるので見てみよう。(2011年というのは故意に古いのを出しているわけではなく、これが正式な資料としては最も新しいようである。)

○ 「グローバル人材」の概念を整理すると、概ね、以下のような要素。

要素Ⅰ: 語学力・コミュニケーション能力

要素Ⅱ: 主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感

要素Ⅲ: 異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/047/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/02/14/1316067_01.pdf

 

語学力というのが一番初めにきているあたりからしてきな臭いのだが、まあ他の要素もあるため詳細を読み進めてみた。

 

 

そしたら驚きの事実があったのだ。

 

この今引用したのが資料の3Pなのだが、最後の24Pまで「英語力」をどうやって伸ばすかについての検討しかないのだ。2と3は捨てたのだ。グローバル人材とは「英語力がある人」という決定をしているのだ。

 

私の誘導だというなら資料を見て欲しい。

永遠とTOEFLの点数だの留学する人数の少なさへの批判などで終始しているのだ。

 

 

文部科学省の役人は3歩歩いたら忘れる鶏のような人間の集まりだとは思いたくないが、本当に忘れている。

 

 

そして、文部科学省の出しているグローバル人材育成の推進企画が以下のようなものである。

 「グローバル人材育成推進事業」は、若い世代の「内向き志向」を克服し、国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる人材の育成を図るべく、大学教育のグローバル化を目的とした体制整備を推進する事業に対して重点的に財政支援することを目的としています。

グローバル人材育成推進事業:文部科学省

 

 

まあこれは文部科学省のせいかどうかは実は疑わしい。

というのも今国のトップに立っている人間が「日本をシンガポールのような国にしたい」と言っている人間だからだ。

 

*これはシンガポールという国が悪いという趣旨ではないので勘違いいただかないように願いたい。

 

権力の中心にいる人間が一番日本が嫌いらしい。

 

 

実は、日本語というのは最も国柄を維持する上で重要だと言われている。

移民国家と言われるフランスに行けばわかるが、駅などは一切英語を使っていない。

 

 

「当初はなんて不便なんだ。ドイツなどに比べて住みにくいなあ」と無知な私は考えたものだが、フランスという国はグローバル化の進む過程で一番守らなければならないものに気づいた数少ない国だということなのだ。

 

 

 

実は、言葉を守ることの重要性は多くの偉人が共通して述べたことなのだが、特に三島由紀夫は有名である。

芸術家が、いかに洗練してつくったところで、ことばというものは、いちばん伝統的で、保守的で、頑固なもので、そうしてそのことばの表現のなかで、僕たちが完全に孤立しているわけではない。

三島由紀夫『対話・日本人論』

 

未だにグローバル人材とは英語力なのかという疑問に打ちひしがれている人に改めて言いたい。

 

英語力では断じてない。

 

文部科学省という発端から腐ってるのだから腐った思想が蔓延するわけである。

今なぜ明治期思想に立ち戻るべきか

ここでおそらく「じゃあ一切英語を勉強するなということなんだな」とか言い出すのがタチの悪い人間である。

 

 

誰もそのようなことは言っていない。

英語は勉強して損はないだろうが、ゲーテのいう「活動的なバカ」が英語をできるようになったところで、バカを世界にばら撒くだけなので迷惑だという話である。

 

 

実は、このグローバル人材になろうとしてこぞって属国根性を育もうとする毒が蔓延したのは今回が初めてではない。

明治期にも同じことがあったのだ。

 

 

ただ、明治期は「頭のいい人」がしっかりと防波堤になっていたから広く病が蔓延し国が滅びるのを寸前のところで回避できたのだ。だからこそ明治の思想家に学ぶことは我々が失敗を犯さないために極めて重要となる。

 

 

 

その防波堤の代表人物はというと福澤諭吉である。

すでに本ブログでも紹介はしているが、彼こそ今日本がかろうじて国体を維持できている功労者の一人である。

 

 

 

 

ところで、福澤ほど誤った尊敬のされ方をしている人はいない。

彼は、語学に達者で開国時代に欧米列強を渡り歩いた人物として国際感覚豊かな人物と表層的に評価されていることが少なくないのだ。

 

 

 

 

しかし、福澤は本質的には尊王攘夷論者である。

 

ちなみに尊王攘夷とはウィキペディアではこう書かれている。

尊皇攘夷(そんのうじょうい)とは、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である。 江戸時代末期(幕末)の水戸学や国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指している。

尊王攘夷 – Wikipedia

 

外敵を受け入れたり外敵に飛び込んだりするのではなく、外敵は退けようとする思想を福澤は持っていたのである。

 

 

 

 

そして、福澤にとって君主を尊ぶというのは皇統の維持であり、その維持はもちろん直接国体の維持を意味する。

 

 

 

 

おそらく今風なグローバル人材の定義で福澤を見ている人が多いのだが、それはぜひとも見直してほしい。今のグローバル人材の定義というのはよく言って「属国根性」であり、悪く言えば、「売国奴」である。

 

 

ぜひ『福翁自伝』『学問のすゝめ』を読んでほしい。

「アジアに打って出よ」「英語を学べ」などと一ミリも書いていない。

 

 

 

少し福澤の思想的な功績をまとめると、一言で言えば、一般的には語義矛盾と思われがちな「開国」と「尊王攘夷」を両立させたところにある。

 

 

今のグローバル人材を定義する人物は「開国」という形で国を破壊しようとする人間がほとんどだが、「取捨選択」という当たり前のことができなくなっているように私は思う。

 

どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け入れさせることができるのだ。かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているかを十分に理解せず、また、現実に何が起こっているかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。

理解力を欠いていることによって、彼らは、正気でいられる。

ジョージ・オーウェル『1984』

 

 

今日からは、竹中平蔵や大前研一がいうことの逆が正しいくらいに物事を再度見直してみてほしい。

 

もちろん私の考えに全面賛同しろとは言わない。

 

しかしながら、今は人々のブレーキとなるべき有識者がアクセルを目一杯踏んで国柄を破壊しているかもしれないという見方だけは持っておいていただきたい。

 

 

グローバル人材を一言で表すキーワード

それ故にあくまで考えるグローバル人材の定義を一言で言うならば「尊王攘夷」である。

 

 

今こそ、明治期まで守られてきたその思想を復権しなくてはならない。

 

  • 福澤諭吉
  • 九鬼周造
  • 岡倉天心
  • 新渡戸稲造
  • 中江兆民
  • 西田幾多郎

 

 

これらは、その中心に国際感覚というのを持ち合わせながら尊王攘夷という思想を残している偉大な方々である。

 

 

日本の思想はここで長らく止まっているように思われる。

今こそ、個々人の手で再び真っ当な思想と言われる人たちに学ぶべきではないか。

 

 

それこそグローバル人材だと私は信じている。

 

おもしろきことなき世を面白く

 

 

*ちなみに高杉晋作は英語が話せないおかげでイギリス人をビビらせたことがある。

 

 

 

About The Author

高杉晋作
1992年日本生まれ。ハンナ・アレント、カールヤスパースを師と仰ぎ読書会をやっている青年。より多くの人に「言論活動」の場を広げることで「人間味ある世界」の再生を目指している。

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