私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

「成功」するために読書をするバカ

約 6 分

*本文章は著者のストレスも影響し、文章が荒れています。

 

 

 

「成功者は本を1日〜時間読んでいる!」

 

「社会で成功する人はどういう本を読んでいるのか?!」

 

「成功したければとにかく本を読め!」

 

 

 

世間的には私は「読書家」とよく言われる。

だが、「成功」のために読書をしたことはないし、「成功」のための読書ならすべきでないと考えている。

 

 

 

 

だからこそ、ビジネス書を「1日5冊読めた!」「これで稼げるようになるかも!」とか叫んでいる馬鹿を見ると辟易とする。

ああいう人とひとまとめにして私のことを「読書家」と呼ばないでほしい。

 

 

 

ということで、今日は日頃「成功」するために本を読んでいる人の問題点を書くことにした。

 

あらかじめ「成功」するために読書をする人の共通点を述べておくと、著しく「演繹的な思考スタイル」を愛好し、自らの経験に基づく思考を軽視するきらいがある。

 

  1. 「成功」の定義
  2. 「手段」にした途端「価値」はなくなる。
  3. 「なぜ読書をしなくてはいけないのか」について

 

「成功」の定義

まずもって、「成功」するために読書をしている人たちの「もう終わっている感」はどこから来るのかというと、「成功」の定義を何も疑うことがないところに見て取ることができる。

 

具体的に列挙すると以下のような人間を指す。

  • 神田昌典さんはすごい!あの人の本は全ていい!
  • 『金持ち父さん』は名著!
  • 『7つの習慣』を読んで人生が変わった
  • 本田健さんみたいにレバレッジかけた方がいいよ!
  • 勝間さんの紹介したツールを使ったら仕事がうまくいくようになった!

 

周囲も周囲で、こういう人間をもてはやすからますます「もう終わっている感」が加速するのである。

 

 

何も私は功利主義やら目先のハウツーを全否定したいのではない。

 

ただ、何も考えることなく「成功」=「功利主義における成功」と割り切っているあたりに思考停止の匂いを嗅ぎ取ることができるのだ。(これを先ほど私は演繹的思考スタイルと述べた)

 

平積みの本ばかりを読んでいると思考は深くなるどころか硬直する。

 

 

 

こういうことを言うと、「対案を出せ!」とあなたから言われそうである。

 

 

それについて私の答えを述べよう。

 

「成功」とは何か?と考えた時に間違いなく言えることが3つある。

 

 

一つは、成功の答えは一つではないということだ。

 

そして、二つ目が、「月収100万」みたいな「地点」ではないということだ。

 

三つ目が「今はわからないもの」であるということだ。

 

 

「金持ち父さん」でもなければ、「習慣形成」でもなければ「やり抜く力をつけること」でもない。

 

すぐ得られるものには価値がないとロバートキヨサキに教えてもらっておきながらそれを期待するとはどういうことなのか!?

 

 

「手段」にした途端「価値」はなくなる

「成功」するための読書をする人に対して私が抱く嫌悪感というのはもう一つある。

それは、「読書」を「成功」の手段としている点である。

 

 

「経済的成功」という目的のための「手段」として読書をすることを勧める書籍が結構あるのだが、「読書」自体の価値を著者自体が下げる極めて愚行と言わざるをえない。

 

 

今現在は危機が訪れていないので私の話すことにピンとこないかもしれない。

 

 

ただ、その「成功」が達せられた時に本当の危機が訪れるということはあらかじめ予言したい。

 

以下のオルテガの文章を見ていただきたい。

セルバンデスは、かの昔に「宿屋よりも道中の方が良い」と言っている。するに、かの素晴らしき頂点というものは、実は終末に他ならないのである。

 いわゆる頂点と言われている時代が、常にその根底に一種独特な哀感をたたえているというおどろくべき事実は、ここに由来するのである。

ホセ・オルテガ『大衆の反逆』

 

「願望」をなしえてしまうと「終わりの始まり」になるのとオルテガはいっているのであり、その後に幸福が来るというのはとんだ勘違いであることに気づかされるのである。

 

ヤスパースも同様のことを述べている。

何か答えを出した方向に一直線に向かうのではなく、「常に実験し続けること」自体が人生だと。

こうして「哲学すること」は生の学びであるとともに死の学びであります。時間における現存在が不確実であるために、生きることは常に実験なのであります。

カール・ヤスパース『哲学入門』

 

「なぜ読書をしなくてはいけないのか」について

ではお前は何で読書をするのか?

 

と聞かれそうである。

 

 

 

そこで、あらかじめ考えておいたのだが、これはもちろん「読書自体」が目的なのでこの質問には答えられない。

 

この問いかけがナンセンスだ。

 

 

 

本は知識をつける「手段」であり、いかに多くをインプットするかにかかっているみたいな答えを期待していた人には答えになっていないと感じるかもしれない。

 

それは勝間和代の読みすぎである。

 

 

 

 

本を通して「考えること」自体が目的であって何が悪いのであろう。

これこそ、「真に我々を啓発する」と考えて不都合があるだろうか。

 

 

 

「目的」がないとまずいと思っているあなたの方が頭がおかしい。

 

 

何度も言うが、あなたは「7つの習慣」だとか「金持ち父さん」のような即効性のあると言われる本に毒されすぎなのである。

 

 

真に我々を啓発するのはハンナ・アレントであり、エドマンド・バークであり、モンテスキューである。

我々は、愚者のために書く執筆者が常に多数の読者に迎えられるという事実を思い、つねに読書のために一定の短い時間をとって、その間は比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである。彼らの作品の特徴を、とやかく論ずる必要はない。良書とだけいえば、誰にでも通ずる作品である。このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する。

ショーペンハウエル『読書について』

 

別に神田昌典やロバートキヨサキを私も読んだことがあるので、否定するわけではないが、「おすすめの一冊」でそれを選んだ人にいいたいのは、「それが一番に来るようでは終わっている」ということだ。

 

 

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