私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】「生産性」とは何かー伊賀泰代もウィキペディアも意味をまるで分かっていないー

約 8 分

生産性あげなくちゃ

 

生産性を上げなければ成果が出ない

 

生産性が最も大切

 

 

 

あなたは「生産性」という言葉を使ったことがあるだろうか。

仕事においてや勉強においてなど今や「生産性」という言葉がとても人々に浸透している。

 

本屋に入って驚いたが、伊賀泰代さんが出しているこのタイトルの本が平積みにされていたのだから、日本人に刺さる言葉なのだろう。

 

 

 

「日本経済発展のためには生産性の向上が必要」

 

政治家までもがこのようなことを言う始末。

 

 

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

posted with ヨメレバ

伊賀 泰代 ダイヤモンド社 2016-11-26 
 

 

ただ、私には多くの人が無神経に使う「生産性」と言う言葉の意味について疑問が長らくあった。

 

 

それはなんとなくというレベルではあったが、、、

 

転機は今日やってきた。

 

ヴェイユやらマルクスやらアレントやらを読んでいるうちに、この違和感が明確になったのだ。

 

ということで、 今日は自分の思考の整理をする意味で、99%の人が隠蔽する「生産性」という言葉の欺瞞を明らかにすることに挑みたい。 荒いところもあるかもしれないが、そのあたりは意見を頂ければと思う。

 

  1. 一般的に語られる「生産性」とは何か?
  2. 現在のコンテクストで語られる「生産性」を追い求めるとどうなるか?
  3. 「生産性」とは?ーそのもう一つの意味ー

  

1.一般的に語られる「生産性」とは何か?

生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。

一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法が在る。

生産性 – Wikipedia

 

まずいきなりだが、「生産性」とは何かという一般的なことを共通理解とするためにウィキペディアの記載を引用させていただいた。

 

一般的には2つの観点から評価される項目のことを指すらしい。

  1. より多くの付加価値を生産する
  2. より少ない投入リソースで生産する

 

 

これは、元マッキンゼーとして大人気の伊賀泰代さんという方も『生産性』という本の中で同様のことを述べている。(テキストの内容はここではどうでもいい。)

 生産性については日本が世界のトップを走っているはず ─ ─

そういう意識も強いからです 。

実際 、日本の製造現場の生産性は 、長らく他国を圧倒してきました 。

しかし 、まさにそのために日本では 、生産性という概念がまるで 「工場のオペレ ーションの効率化の話 」であるかのように捉えられてしまっています 。

伊賀泰代『生産性』

 

「これには私も異論を挟めない」

と言いたいところなのだが、この度は元マッキンゼーのインテリとウィキペディアに挑むことにしたのである。

 

 

この「生産性」の定義を推進することが本当に個々人にとって「生産的」だと言えるのか?という疑問をひっさげて。

 

あらかじめこれに対する見解を書くと、ここで語られる「生産性」はあくまで社会的なものであり、個人にとっての「生産性」とは一ミリも関係がないということである。

 

 

2.現在のコンテクストで語られる「生産性」を追い求めるとどうなるか?

突然だが、生産という言葉の対義語をご存知だろうか。

 

それは小学生でもわかると思うが、「消費」である。

つまり、「生産」活動は、つねに「消費」を意識しているものなのだ。

 

 

もう一歩踏み込んでいうと、「生産」された物は「消費」されることを望んでいるとすら言いたい。

 

なぜなら、功利主義においては「消費」されなければ、「生産」されたものは「価値がない」ということになるからだ。

 

 

ここでよく誤解される「使用」との違いを補足しておきたい。

なるほど使用すれば解体は避けられない。しかし、使用にとって、これは付随的なことである。ところが他方、消費にとっては、解体こそ本質的なものなのである。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

今わざわざ尺を取って消費について書いてきたわけだが、この「消費」という言葉がこれからキーワードとなるので頭に止めておいてもらいたい。

 

 

ここで「生産性」の話に戻ろう。

 

生産性」が上がった社会とは、「消費」のスピードをとんでもなく上げていく社会に他ならない。これは金融サービスや流通サービスの便利さを考慮すれば頷けるのではなかろうか。

 

ここであることがわかるだろう。

生産する「量」は増えたとしても、生産する「時間」は一向に変わらないという事実に。

 

 

私のパン製造のバイトの経験を少し話そう。

50個パンを作って欲しいと言われて「生産性」を上げる工夫を徹底的にすることで、半分ほどの時間で作れるようになったのだ。

 

 

「よしこれで早く帰れる」「よし楽ができる」と思った矢先のことだ。

 

 

「120個同じ時間で作ってくれ」

と言われるのだ。

 

 

この時の悲壮感はというと凄まじいものだった。

「生産性」を突き詰めても自分にとっての「生産性」は一ミリも上がらないのだ。

 

 

確かに、これは「社会」という総和で見た場合生産と消費がより広範に行き渡るという意味で「生産性」は上がっている。「生産性が上がった」と言って良いだろう。

 

 

ただ、もう一度言うが、私個人の時間的な生産性は何も上がっていないのだ。

このような経験は、あなたもどこかしらでしているのではないか。

 

 

 

つまり

 

ミクロな視点だとわかりにくいものだが、、、

 

伊賀泰代さんのコンテクストで語られる「生産性」の向上を図り「生産物」を増やしたところで、「消費者」はますます生産物に対する消費のスピードを加速するだけであり、我々の「生産する時間」は一向に変わらないのである。

 

 

 

伊賀泰代さんや大前研一さんの語る「生産性」をあげた社会がわれわれにとっては「幸せである」とはとてもとても言えたものではないのだ。

 

彼ら・彼女らの政治的見解には致命的な欠陥がある。

それは、その見解が個々人の存在を意識しないところだ。

 

しかし、スミスによれば、多数の人が苦しむ社会はしあわせな社会ではないはずなのに、最も豊かな社会状態でも大多数の人は苦しみ、しかも国民経済は(一般に、私的利害を追求する社会は)もっとも豊かな状態へと向かうのだから、社会の不幸が国民経済の目的だということになる。

カールマルクス『経済学・哲学草稿』

 

 

まだ疑り深いビジネス書信者にはぜひやってもらいたいことがある。

 

 

伊賀泰代さんや大前研一さんをはじめとして「生産性」を語る一派は著書の中で必ず「ごまかし」をするので、そこに着目して読み返してほしいのだ。

ごまかしは常に2パターンになる。

 

  • 個人の「生産性」の低さを徹底的に批判→「生産性を上げろ」→「日本は良くなる」
  • 個人の「生産性」の低さを徹底的に批判→「生産性を上げろ」→「よく分からないハウツーに終始」

 

個人にとっての有用性を示す制作物の耐久性を考慮に入れた場合、彼ら・彼女らの「生産性」の論は崩壊する。

 

3.「生産性」とは?ーそのもう一つの意味ー

ちなみに伊賀泰代さん・大前研一さんなどをはじめとする「生産性」を語る経済評論家の人たちというのは新しいタイプの人間ではない。

 

むしろ経済学の中でもかなり古い部類に属する。

以下の文章の「古典経済学」の箇所を「伊賀泰代」「大前研一」などで読みかえればこれほどスッキリするものもない。

古典経済学における驚くべき矛盾の一つは、古典経済学の理論型が、一方では、一貫して功利主義的外見を誇りながら、他方、純粋な有用性については全く曖昧な立場を取っていることが多いということである。概して彼らは、仕事の生産性というのは、有益性にあるのではなく、むしろ、耐久性を生む仕事の能力にあることに十分気づいていたからである。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

ここに書かれている通りなのだが、今の「生産性」の議論のほとんどは「個人にとって」の制作物が持つ「有用性」(「耐久性」)の視点が欠落している。

 

彼ら・彼女らは「社会にとって」の「有用性」しか語れてないのだ。

 

一見、今の言葉だけを見ると「社会にとって」思考されている方が高度に政治的で優れた論述であるように見える。

 

ただ、先ほども述べたように、伊賀泰代さんや大前研一さんらの述べる「社会」とは「個々人の集まりとしての」社会ではなく、「GDPといった数値化できる何らかの抽象的な箱」としての社会であり、「非人間的」なのである。

 

 

「働き方改革」「マッキンゼーのフレームワーク」「高度なPDCA」

 

これらをいかに推進しようとも功利主義が蝕まれている「生産性」のコンテクストを推進する限り個々人の幸福につながる「生産性」は皮肉にも上がらない。

 

 

チキリンは最近は「残業時間をセーブしましょう」なんてくだらないハウツーに走り始めたらしい。

 

しかし、これをすれば労働者は、「価値を落とした」と判断され給与を削られ生活は困窮するのである。

 

 

 

今やるべきは、何か。

 

それは、生産性意味を問い直すことに他ならない。

これこそ真に生産性をあげるための新たな道が開けると私は確信している。

 

 

生産性とは何か。ぜひあなたにも考えてもらいたい。

 

 

面白きことなき世をおもしろく

 

 

 

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