私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】「なりたい自分」とは一体なんだったのか

約 6 分

「ねえ、サトシ、あなた3年後にどうなりたいの?」

 

「マインドマップって知ってる?あれをするとなりたい自分になれるんだよ」

 

「NLPって知ってる?あれなりたい自分になるには必須だよ。」

 

 

 

「なりたい自分」という言葉が流行っている。そしてそれを目指すためのメソドロジーやセミナーが世の中に流布され始めている。

 

 

 

しかしながら、この「なりたい自分」という言葉がどうも引っかかる。

そもそも「なりたい自分」とはなんなのか?となるし、「なりたい自分」がないといけないのかという問いも生まれてくる。

 

そして、本質的にとんでもないアポリアを抱えている。

「なりたい自分」を求めれば求めるほど、「なりたい自分」から遠ざかるという。。。

 

 

今日は、「なりたい自分」を探し求めなければならない現代社会の闇を今日は描いていかなくてはいけない。

 

そしてこれが何故逆に「なりたい自分」からむしろ離れてしまうのかと言うことも。

 

 

結論から言うと、「なりたい自分」と呼称される抽象概念はある特定の盲目的前提を含蓄しており、(功利主義など)人間本来の「他者との違いを把握できた喜び(複数性の認知)」から遠ざかってしまうのだ。

 

  1. 結局「なりたい自分」とはなんだったのか。
  2. 「なりたい自分」がないといけないのか。
  3. 我々が克服すべき難題

 

1.結局「なりたい自分」とはなんだったのか。

この世の中というのは「なりたい自分」がないと「向上心がないのね」「えっ?成長したくないの?」「そんなことしていると成長止まるよ」という世界である。

 

 

 

「なりたい自分」がないと向上心がない「ダメ人間」らしい。デタラメもここまで来たかと最近は感心するほどだ。

 

 

どうも「なりたい自分」とは、まず第一にすべての人間が持っていなくてはいけないものと世間的には定義しているようだ。

 

 

 

しかし、冒頭に結論を述べたとおり、私はこのデタラメなイデオロギーを疑っている。

なぜなら「なりたい自分」を追い求める現存在は「なりたい自分」からむしろ遠ざかってしまうからだ。

 

 

 

これは、イデオロギーというものがもたらす、「人々をひとまとめにする作用」と極めて大きな関連がある。

 

全体的テロルの鉄の塊がそのような私生活の存在する余地を残さず、全体主義的論理の自己矯正は人間の行動能力と同じくらい確実に経験と思考の能力をも破壊してしまうことを知っている。

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

「変化したい」「変わりたい」という向上心が高くて「意識高い系」が大手を振って絶賛する人間たちは、自らの手で持ってイデオロギーを取り込み自らの手で生来持つ大切な能力を破壊してしまう。

 

まとめると「なりたい自分」になるとは、「イデオロギーへの入信」であり、自らの思考能力などをすべて破壊し、ある特定の論理的演繹性に飛び込むということなのだ。

 

これはもちろん人間本来が求める他者との「差異性」の認識とは正反対であることは言うまでもない。

どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。これは止むを得ず活動する場合でも、自分の意志から進んで活動する場合でも同じである。どんな行為者でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはそのためである。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

2.「なりたい自分」がないといけないのか。

私の考えはここまで来ればわかるだろうが、「なりたい自分」などなくていいのだ。

というよりもう少し踏み込んでいうと「なりたい自分」はない方がいい。

 

 

こういうことを平然という私には「意識高い系」の人からしたらにくくて仕方ないと思う。「開き直ってるわこのバカ」という感じだろうか。

 

 

しかし、あなたのほうが頭の中がお花畑である。

 

「なりたい自分」がある人間たちを支えているのは、「根拠なきオプティミズム」(前へ進んでいるという勘違い)なのだが、前進など断じてしていないし成長などしていないと早く気づいて欲しい。

 

 

 

なんとかしてその偏見から私はあなたを救いたいのだが、あなたは「金持ち父さん」を読み続けるし、「7つの習慣」を読み続ける。

 

 

ちなみに何故これほどまでに「なりたい自分」を多くの人が追いかけるのかというと、実はそれほど前向きな理由でもないのではないかと思っている。

 

 

私の見立てでは逆にこの「なりたい自分」なる抽象概念なくしては、自らの人生の無意味さを感じてしまうからしがみついているのだと。

しかし人間というものは、アナーキックな偶然と恣意に為す術もなく身を委ねて没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直し狂気じみた首尾一貫性に身を捧げるかという全体未聞の選択の前に立たされた時には、必ず後者の首尾一貫性の死を選び、そのために肉体の死をすら甘受するだろう

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

試しに「なりたい自分」がある人に聞いてほしい質問がある。

その「なりたい自分」は本当にあなたがなりたいものなのかという質問だ。

 

 

相手の心にまだ人間味があれば何らかの「疑い」の気持ちが湧き上がってくるはずだ。

これは本当になりたい自分なのかと。

 

3.我々が克服すべき難題

「なりたい自分」というのはどうやって成し得るかという話を最後に書きたい。

これは、今と正反対にすればいいのである。

 

あらゆる論理的演繹性(イデオロギー的思考)からの逃走である。

 

 

 

断じて答えを出さないこと、断じて明確に定義しないこと、

 

それこそが「なりたい自分」そのものである。

 

その一手段としてアーレントは「言論活動」を推奨しているのだ。

常に問いを生み出す言論活動はあなたの複数性を鮮明にしてくれるし、固定化された自己を決して生み出さない。

 

常に流動性を持ち続ける。

それこそが「なりたい自分」ではないか。

 

言論と活動は、このユニークな差異性を明らかにする。そして、人間は、言論と活動を通じて、単に互いに「異なるもの」という次元を超えて抜きん出ようとする。

ハンナ・アーレント『人間の条件』

 

面白きことなき世をおもしろく

 

Comments & Trackbacks

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  1. 嘘にだらけの世界で生きてしまうと気付いたら
    なりたい自分が出来てしまい。
    ですが、理想の裏に隠された気持ちを
    知るために確かに逆の事を行えば
    見つかります、自分の気持ちが…。
    修行僧さんのブログは毎回どれい化されそうな
    自分に気づかせて頂きます。

  2. 秩序や習慣がないこの無世界においては「多くの人が言っている」という原理の破壊力は凄まじいものがあります。
    そこには気をつけてください。
    またお待ちしてます。

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