私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【これが現代の病】「向上心がある人」について

あなたは「向上心がある人」と聞いた時にどのような人間をイメージするであろうか。

 

 

  • たくさん本を読む人
  • 仕事をバリバリやる人
  • 営業でトップを取る人
  • 学校でトップの成績を取ろうと勉強する人

 

 

いろいろあるであろう。

ただ、各々が「向上心がある人」に共通しているのは、「あるべき個人の姿」という概念ではなかろうか。

 

 

 

そう。「向上心がある人」は偉大なのだ。

あなたは「向上心がある人」でなくてはならないのである!

 

 

 

次のように言ってさえ差し支えないかもしれない。

「向上心がない人」など生きる価値のないゴミ人間だ!

 

わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。あなたがたは人間を克服するために、何をしたというのか?

フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』

 

 

さあ、あなたは山を登り続けなければならない!

時間はないのである!!!!!!!

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

確かにそうかもしれない。

あなたも超人になれば良い。

 

 

 

ただ、私はあなたに一つの予言をしよう。

その選択は「いずれあなたを破滅させる」と。

 

 

 

向上心がある人」になることはいいことばかりではないと言いたいのだ。

 

今日は、「自分は向上心が強いタイプ」という自認がある人や、「向上心がない人は人間としてクズだ」と思っている人に読んでもらいたい記事を認めた。

  1. 前書きー今回執筆の経緯
  2. 向上心がある人は何が危ないのか
  3. 向上心より今必要なもの

 

前書きー今回執筆の経緯ー

私がこのような記事を書くきっかけは一つではないが、今の仕事場で起こったことがきっかけとしては多かった。

 

 

私は、ある向上心が高い営業マンの自滅を目撃したのだ。

 

 

その人は、150人くらいいる営業マンの中で圧倒的な成績を残した人だった。

どのくらい圧倒的だったかというと、今までの営業部の記録を塗り替えたということをあげればある程度凄さはわかっていただけるだろうか。

 

 

私の会社では、そういったすごい人の取り組みを共有する場があるのだが、その際その人物は以下のように言っていた。

 

 

「記録を塗り替えられて嬉しい。もっともっと向上心を持ち続けたい。将来的には自己啓発本などを書くつもりである」と。

 

 

 

私はその話を聞きながら、その人を「向上心がある人だなあ」と感じつつも、その人物の危うさを感じていた。

 

 

 

その3週間後だろうか。

その人はメンタルに病を患った。私の思った以上に早かった。

 

 

現在その人は、数ヶ月の療養をしている。

数ヶ月で戻ってこれれば嬉しい限りだが、、、どうだろう。。。

 

 

 

この一連の事件は私にある確信をもたらした。

やはり「向上心がある人」はいずれ破滅すると。

 

 

 

さて、前置きが長くなった。

 

このブログをいつも読んでいただいている人にはもう繰り返しとなってしまうところがほとんどだが、「向上心がある人」はなぜ危ういのかを話していこう。

 

向上心がある人は何が危ないのか

「向上心がある人」は何が危ないのかについて書いていこう。

 

以下の順序で話していく。

  1. 「強者」についての完全なる誤解
  2. 現存在の起点を「無」に配置
  3. 「自己の完成」についての誤解の完成

 


「強者」についての完全なる誤解

自分自身が過去に「向上心がある人」だったという経験からも言えるのだが、「向上心がある人」には総じて「強者」についてのおかしな誤解がある。(私もそうだった)

 

 

これが「偏見であること」に気づかないからこそ偏見なのだが、以下の言葉が「向上心のある人」にとって終わりの引き金になっている。

 

「強者」とは、他者に反抗して一人で住み、一人でいるからこそ強い人間のことであるが、確かに、このような「強者」に対する大衆的な信仰がある。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

この「独居」=「強者」が向上心がある人が前進すればするほど加速するわけだが、これが向上心がある人を砂漠へと移動させる。

 

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現存在の起点を「無」に配置

なぜこのような思い込みは生まれたか。

 

それは、おそらく「*現存在の意味とは「無」である」という世界観が生み出したと思われる。

 

(*キルケゴールがその開祖であり、ニーチェも同様の世界観を描いたが、ハイデガーがこのことに最も向き合った哲学者であるとされている。)

 

 

これは、あらゆる宗教の権威・道徳・慣習が崩壊した近代以降の社会では圧倒的な魅力があったようだ。

*もちろん「無」=「ニヒリスティック」という方程式が常に成り立つわけではないことは頭には留めておいてもらいたい。例外はカールヤスパースであろう。

純粋観照としての哲学に反抗する哲学という私たちのコンテクストに引きつけて無の問題を考えるなら、そしてそれを、人間を「存在の主」たらしめようとする試み、つまり、直ちに行為へと進むことを人間に可能にするような哲学的な問いを提起する試みとして理解するなら、その場合には、存在とは本来は無であるという観念は測り知れない価値を持つことになる。

ハンナ・アレント『実存哲学とは何か』

 

そして、その「無」は人々を「行為」へと向かわせるとアレントは語る。

 

ではなぜ即座の「行為」へと人々を導くのか。

 

それは、「我々」自身が、「所与のもの」(神が作った存在)ではない以上、我々自体が始まりなのだから自分自身にブレーキをかける意味はないと結論づけられるからだろう。

 

従ってまた、存在を無として特徴づけることによって、人間が、所与の物としての存在という定義を脱却し、自らの行為を神のようなものではなくまさしく神のものとみなす試みが生まれる。

ハンナ・アレント『実存哲学とは何か』 

 

 

しかしながら、ここで一つの問いが生まれるだろう。

 

 

「人間存在とは何か」という問いに対して、「無」の境地にいたった後で、先の「強者」についての誤解に至るとはどういうことなのか?と。

 

 

これは私の推測だが、デカルトの「我思うゆえに我あり」に見られる「内省を推進力とする」という近代の偏見にとらわれていると考えるのが一つの可能性として最も良いものだと考えている。

 

「自己の完成」についての誤解の完成

この結論に至った場合、もう破滅するのは時間の問題である。

ちなみに冒頭に引用したニーチェは今の道筋を歩き砂漠の中で自滅した。

 

一言で言えば、自己の完成を目指し「孤独を深め続けること」が彼の歩いた道だったのだがそれを突き詰めたことで自己を破壊した。内省とは懐疑のことをあらわすが専ら自分自身が怪しくなってくるのである。

 

のがれなさい、あなたの孤独の中へ!あなたは、このちっぽけな、みじめな者どもに、あまりに近づいて生きてきた。目に見えぬかれらの復讐から逃れなさい!

フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』

 

 

ずいぶん話が逸れたがように見えるかもしれない。

しかし、現代における「向上心がある人」のその多くが、「強者」に対する誤解を持ち、ニヒリズムを加速させ破滅しているのだ。

 

 

これら「向上心の高い人」は歩けば歩くほど周囲への軽蔑を加速させ、より砂漠の奥へと進もうとするわけだが、本人はもう戻ってこれなくなることに気づけない。

 

向上心より今必要なもの

改めてお願いである。

 

まず、あなたが「向上心がある人」だったら金輪際、向上心を高めないでほしい。

 

 

 

次に、周囲に「向上心の高い人」がいたらビンタをしてでも「向上心が高い人」をやめさせてほしい。「向上心が高いお前はバカだ!」と。

 

 

 

ちなみにここで誤解を生むといけないので一つ補足をする。

まずもって「堕落しろ」と言っているのではないということだ。

 

 

「向上するか堕落するか」という二つしか道がないという考えは「イデオロギースタイルの政治家」(橋下徹や小泉純一郎)などによく見られるが、世の中にはもっと多くの道がある。

 

 

「絶え間ない向上心」があなたを破滅へと導かない意味でも一つだけ持っておいてほしい大切なものがある。

 

 

それは固定観念である。

 

習慣や宗教なき今我々がすがるべきは「節度をもたらす固定観念」しかない。

 

 

固定観念というと「向上心がある人」という言葉に比べてずいぶんマイナスイメージを持ってしまうものだが、これこそが我々に節度ある行動をもたらす。

 

孔子の言葉でいうと「中庸」(ほどほどに)の概念に近い。

 

人間はいつでも善いことをするとは限らないものの、望ましい固定観念に支えられれば善行をする習慣が身につく。つまりは社会に対する習慣が身につく。つまりは社会に対する義務を、本能的に果たすようになるのである。

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』

 

「〜をすべきだ」という根拠なき固定観念というのは我々を真に「自由」な存在へと誘ってくれる。

 

自由は欲するとなしうるとが一致する場合に初めて生まれるのである。

ハンナ・アレント『過去と未来の間』

 

 

この重要性については多くの智者が説いてきた。

  • 孔子
  • ブッダ
  • イエス
  • ゲーテ
  • カント
  • バーク
  • キルケゴール
  • モンテスキュー
  • トックビル

 

天才たちが言ったことの「共通点」と言ってもいいかもしれない。

我々の理性に基づく思考だけを絶対視してはならないと。

 

人をほどほどにすることが人間たらしめ破滅を逃れされる数少ない方法なのである。

 

おもしろきことなき世を面白く