私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

精神不安定の本当の原因とは?

精神不安定な人(精神不安定になる人)というのは後を絶たない。

 

私の周囲でも2ヶ月に一人くらいは精神不安定による休職をしたり、退職を余儀なくされる人がいる。

 

 

精神不安定というのは、古代ローマからあった人間固有の病なのだろうか。。。

いやそれは異なる気がするのだ。

 

 

私が思うにそれほど古い話でもない。

 

今日は、気になって人々を精神不安定にする原因について考えてみた

参考にしていただければ幸いである。

  1. 精神不安定の本当の原因とは何か
  2. 人間を「人間らしく」する科学(心理学、社会科学)はインチキ
  3. 精神不安定な人に最も必要なこと

 

現代とは、生きる理由を通常は構成すると考えられているいっさいが消滅し、全てを問い直す覚悟なくしては、混乱もしくは無自覚に陥るしかない、そういう時代である。

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』

 

 

1.精神不安定の本当の原因とは何か

冒頭に話したような体験というのはあなたの周辺においても頻繁に起きているのではなかろうか。

 

こういった出来事に際して人々の向き合い方というのは実に多様だ。

情を寄せる人がいる一方で、それほど親交のない人々というのはあまりに薄情な対応をとったりする。

 

  • あの人根性ないよね。
  • 気持ちが足りなかっただけだね。
  • ああいう弱い奴はいなくなった方がぶっちゃけいいと思うよ。

 

口には出さなくてもその人間との関係性が薄い場合に上記のようなことを思ったことがある人間というのは少なくないであろう。

私自身過去にそのように精神不安定となる人を見ては思っていた時があった。

 

 

 

しかし、その「個人」に問題があると考えるのがいかほどに危険なことかを私は伝えなくてはいけない。

 

精神不安定を引き起こす人が問題の発生源ではなく、それ以外のところにあると述べたい。

 

 

その問題発生源は、「イデオロギーを主軸とした価値観が一般的となっている」とところすべてにおいて見られる。

 

 

ちなみにイデオロギーというのはここでは、以下のような意味合いがある。

  1. ある一つの普遍化された観念
  2. 個別的な経験を一切排除する運動
  3. 人々をある論理的帰結に必ず導こうとする演繹的思考のベース

イデオロギーは常に、前提からの展開によって全てを説明するためには一つの観念があれば充分であり、全てはこの一貫した論理的演繹の過程の中に含まれている以上経験などは何も教えないという仮定に立つ。

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

  

つまり、イデオロギーに支えられる「空間」は個別の人間の「自由」や思考の余地を洗い流す強力な力があるのだ。

 

 

 

もちろん、いい風に捉えれば、ある目的の完遂(功利主義)にあたって一切の妥協を許さない。それはいいように働くこともある。

 

しかしながら、この論理的首尾一貫性から少しでも逸脱するものは破滅へと導かれるということが同時に言えることはご存知であろう。恐ろしさを過小評価しているのが現代社会の「組織論」である。

 

 

この手のイデオロギー的思考が跋扈するところがいかにいい側面を持てど私は批判するわけだがこれには明確な理由がある。

 

「個人の経験」がいかほどにも尊重されない排他性を持つからである。

「なんかやばい」という個人の感覚が集団が作り出す機械的なロジックよりどれほど正常なことがあるだろうか。 

 

 

ここまで私が話してきたことを「他人事」のように感じている人がいるかもしれない。

しかし、あなた自身が今そのような環境に身を委ねている可能性は思いの外高い。

 

 

イデオロギーに支えられた空間(会社)には以下のような傾向が見られる。

  1. 「成長」「モチベーション」「スタンス」という言葉が飛び交う(心理学的アプローチ)
  2. モンテスキューが言った意味とは異なる固有の意味での強力な「文化」(社風)がある(社会科学的アプローチ)
  3. 当該個人が「根こぎにされている」(会社以外の公的基盤の絶滅)

 

3については後で述べるとして

1つ目と2つ目について次のチャプターで話したい。

 

この2つは、人間を「科学すること」である特定の「完成」へと導こうとする。

しかし、結論を先に述べるとこれが他ならぬ「人間の条件」の破壊であるのだ。

 (精神不安定が行き着く先である)

 

2.人間を「人間らしく」する科学(心理学、社会科学)はインチキ

私は専門家ではないので、すべてのことを知っているわけではない。

 

ただ、心理学や社会科学と呼ばれる人間を「科学的に」分析するというのは「人間について理解する」という建前とは裏腹に「人間の条件」を破壊しようとする営みであると述べなくてはならない。

 

 

こういったものをありがたがる現代社会というのは極めて病的であるのだ。

 

アーレントは以下のように述べている。

近代の科学や政治学の多岐にわたる試み、すなわち人間を「条件付け」ようとする実験はすべて、人間の本性を社会のために転換する以外の企図を持たない。

『アーレント政治思想集成2』

 

人間を「社会(本コンテクストにおいては会社)への奉仕」にあてがおうとする視点が前提としてこれらの「人間を科学的に分析する」という視点には組み込まれているとアーレントは述べている。

 

これに私は概ね同意する。

 

メンタリズムや「企業文化」などというアカデミズムを基盤としたものの注入は「運動自体の首尾一貫性」を強化するのには一役買ったが代償はあまりに大きかった。

 

その代償こそが、ここでテーマとなっている精神不安定となり運動から抹殺される人間達である。

 

 

 

これこそ「スタンス」の問題と言われるかもしれないが、私は、人間の行動は「条件付け」できると考えたり、「こういう人間が完成体だ」という認識はすべてインチキだと思っている。

 

 

「心理学」や「社会科学」に毒された人間達を見てみるといい。

「人間でない人間」の雰囲気を感じないだろうか。

 

 

そこにあなたは「恐怖」を感じればまだ幸いにも人間的だ。

 

 

今述べている考えは世間的に受け入れられるものではあるまい。

それは私自身自覚がある。

 

ただ、私はあくまで人間の「予測不可能性」にこそ人間の条件が宿るというところにこだわっている。

 

逆に、「予測可能」と考えるアカデミズムはもちろんインチキだ。

人間の本性には予見不可能性・・・・が内在しており、その哲学的意味は、人間の本性は他の事柄とは違い、けっして規定しえないという点にある。

ハンナ・アーレント『アーレント政治思想集成2』

 

精神不安定の人というのは何らかの「条件付け」に無意識に反発できる実は「人間的な」人間なのであり、「正常」と言われている人がいかほどに正常であるかの方が実は怪しいのだ。

 

3.精神不安定な人に最も必要なこと

精神を病んだ感覚がある人やメンタルに支障をきたしたと感じる人、これらのように精神不安定に陥る人に伝えたいことは1つである。

 

 

あなたは自らでもってあなたの現存在を不安定にしていないかと。

あなたがむしろ人間として安定してるにもかかわらず、自分自身でその基盤を崩そうとしている可能性を漏らしていないかと。

 

 

改めてであるが、人間にとって最も重要な「自由」の概念はいい意味でのカオスが許容される空間においてのみ成り立つ。

 

・・人間の自由とは、混沌とした諸々の可能性の大海の中で人間が自ら自身を作り出すことにほかならない。

ハンナ・アーレント『アーレント政治思想集成2』

 

 

それは「アナーキー」なように見えるが、真に人間を人間らしくしてくれるという意味で有益なものだ。

 

逆にこの「自由」を破壊し「単一の型」にあてがう運動はいかなる理由であろうとも許されてはならないのだ。

 

今こそ、モンテスキューが述べた共和制の統治において人々の行動規範の最上位概念に「徳」(節度)を位置した意味を思い返さなくてはならない。

 

 

面白きことなき世をおもしろく