私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】金持ち父さん貧乏父さんの問題点を冷静に批判する

金持ち父さん貧乏父さん

 

 

この本の名前を一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

発売から10年以上たった今も本屋で平積みにされており、ロングセラーと言える。

 

『7つの習慣』と並んで世界で最も受け入れられている本だと言っていい。

つまり、これはあることを意味するのではないかという仮説がたつ。

 

 

それは、ある一定数以上の人から「生き方のバイブル」として受け入れられているのではないかということだ。

 

 

もちろん金持ち父さん貧乏父さんを呼んで批判をしたり問題点を感じる人がいることも織りこみ積みである。それにしてもよく売れている。

 

 

というわけで今日は、ネット上に感情的な批判や問題点の指摘しかなかったために金持ち父さん貧乏父さんの批判や問題点を冷静に分析していく。

 

  1. 金持ち父さん貧乏父さんの推奨する生き方
  2. 金持ち父さん貧乏父さん信者がはまり込む泥沼
  3. 20代の私が考えるあるべき生き方について

 

1.金持ち父さん貧乏父さんの推奨する生き方

名前は知っていても金持ち父さん貧乏父さんというものを読んだことがない人もいるかと思い、少しだけ概要を話す。

 

結構分厚めの本だが、内容は同じこの反復なので概要自体はとても短くまとまるものだ。

 

 

まず、金持ち父さんというのは「他人のために働かない人間」である。

そして、一方で、貧乏父さんは「他人のために働く人間」という定義が述べられている

 

 

 

金持ち父さんを具体的に上げると「不動産のオーナー」「金利・配当で生活する投資家」「フランチャイズオーナー」などが挙げられる。

 

 

一方で、貧乏父さんというのは職業に就く人全てを指す。それは「医者」から「アルバイト」まで例外なくすべてである。

 

 

 

そして両者のコントラストが著書の中で永遠と続くわけだが結論はもちろん「金持ち父さん」がとても豊かで、「貧乏父さん」が無惨な人生を歩んでいるかというところにしかない。

 

 

それ故に「お金が勝手に入ってくる仕組みを作りましょう」というのが本書のメッセージである。

 

 

だからこそ、アムウェイやニュースキンを筆頭としたネットワークビジネスにおいてはこの本を読んでもらうことから入会への足がかりとすることが多い。

 

 

しかし、私は金持ち父さん貧乏父さんに対して「あまりに大きな違和感」を著書に対して当初から感じていた。

 

 

それが問題点としてある程度まとまったので今これから文章として書いていくのである。

 

 

*ちなみに感情的な批判や問題点の指摘をしてくのではない。

「労働者を馬鹿にしているのか」という批判が多いわけだが、私はそこについてはどうでもいいと思っている。

 

2.金持ち父さん貧乏父さん信者がはまり込む泥沼

さて金持ち父さん貧乏父さんの問題点を批判していこう。

 

それは、すでに伏線を張ってきたつもりであるが、生き方を堅固に「定義」しているところにある。

 

 

これは、本田健、スティーヴンコーヴィー、ナポレオン・ヒルなどほぼすべての成功*哲学や人生への指南書に見られる傾向であり、金持ち父さん貧乏父さんに限った話でもない。

 

*カールヤスパースやラッセルの考える哲学の意味とは正反対の定義であり、成功哲学とは語義矛盾である。 

 

しかしながら、金持ち父さん貧乏父さんはその強度が成功哲学と呼ばれるものの中でも特に高い。

 

「金持ち父さんになってアーリーリタイアすることが人生における成功である」と。

 

 

しかし、これに引けを取らず驚かされるのが、「こう生きれば幸せになれるのね」とすぐに納得する単細胞の人間の多さである。

 

 

「アホか」と言いたい。

 

考え方を硬直化させて思考停止に落ちてはいけない。

 

 

私の指摘する「思考停止状態」は金持ち父さんや貧乏父さんを読んでいる多くの人に散見される。

 

よくアムウェイやニュースキンの人を見て「洗脳されている」という人たちがいるが、実はそれらに洗脳されているのではなく、本当は背景にある「金持ち父さん貧乏父さん」の提唱しているイデオロギーに思考を硬直化させられているのである。

 

 

 

「思考停止」しているかどうかなんて分かりようがないだろと言われそうなので、それを判別する方法をお伝えしたい。

 

 

 

それは一つ質問をすればいいだけだ。

「なぜ金持ち父さんになることが「幸福」だと言えるのか」と。

 

 

その時に、必ず金持ち父さん貧乏父さん崇拝者は「金持ち父さん貧乏父さん」自体をその妥当性を説明するために使用する。

 

具体的にいうと「えっ?逆になんで金持ち父さんになりたくないの?」という趣旨の返答などが予想される。

 

 

あなたは「質問に答えろよ」と唖然とするであろうが、実はこの切り返しこそイデオロギーによる硬直化がなされているかを判別できるポイントである。

 

彼ら・彼女らの<論理>は常に「金持ち父さん貧乏父さん」からスタートする。

あるイデオロギーの主題をなす<観念>は、精神の目で捉えられたプラトンの永遠的な本質でもカントの言う理性の調整的原理でもなく、説明の手段となってしまっている。

ハンナ・アレント『全体主義の起源3』

 

3.20代の私が考えるあるべき生き方について

現代社会に於いては近代以前には多くの人にあった「どう生きるべきか」というものが全く見えなくなっている。(カントが他の哲学者と一線を画するのはこの「どう生きるべきか」を考えたからに他ならない。)

 

現代とは、生きる理由を通常は構成すると考えられているいっさいが消滅し、全てを問い直す覚悟なくしては、混乱もしくは無自覚に陥るしかない、そういう時代である。

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』 

 

この虚無感がはびこる社会を近代以前にモンテスキューが予言はしたものの、それはモンテスキューの想像をはるかに超えたであろう勢いで進行した。

 

 

ちなみにこの状況に最も真正面から向き合ったのがニーチェなのだが、ニーチェは以下のようにその状況を述べている。

 

「善くて義しい者」たちに対しても警戒するがいい!かれらは自分自身の得をつくりだす者を憎むのだ。

フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』

 

こういった何もかもが疑わしい状況にあっては「虚無」を志向する人もいるのであろうが、多くの人はインチキでもいいのですがろうとしてしまう。

 

ほとんどの人間は、自然においてはすでに成年に達していて、他人の指導を求める年齢ではなくなっているというのに、死ぬまで他人の指示を仰ぎたいと思っているのである。

エマニュエル・カント『啓蒙とは何か』

 

 

その一つがここで言っている金持ち父さん貧乏父さんなのだが、以下の引用は「金持ち父さん貧乏父さんとは何か」という表題を読み替えてもらってもそのまま理解できるほどに的を射ている。

 

 内容がいかに荒唐無稽であろうと、その主張が原則的にかつ一貫して現在及び過去の拘束から切り離されて論証され、その正しさを証明しうるのは不確定の未来のみだとされるようになると、当然にそのプロパガンダは極めて強大な力を発揮する。

 このようなやり方は、過去が疑わしく現在が耐え難くなった危機の時代には必ず威力を揮うものなのである。

ハンナ・アーレント『全体主義の起源3』

 

金持ち父さん貧乏父さんとは「内容がいかに荒唐無稽であろうと」も「過去が疑わしく現在が耐えがたくなった危機の時代には必ず威力を揮うもの」なのである。

 

 

20代で生き方を迷っている・わからない人に手っ取り早い答えを渡してくるものは全てインチキである。

 

 

あなたはもっとそれに惑わされることなく思考し続けなくてはならないのだ。

 

 

 

おもしろきことなき世を面白く