私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】仕事のストレスがやばい人に気づいて欲しいこと

仕事のストレスがやばい

 

 

そういう人は後を絶たないのではなかろうか。

私はそう思うことが度々ある。

 

 

 

その一例が毎日人身事故で電車が遅延しているのを聞いたりするときであったりする。

また一人この世から姿を消したのかと。

 

 

人生の大半をストレスだらけの仕事に身を捧げることが奨励される世の中のやばい具合は筆舌尽くしがたい。

 

 

これを読んでくれているあなたもストレスがやばいのであろう。

そんなあなたに「仕事のストレスの根本要因」と「そのストレスの解決策」について今日は書いてみたのでよろしければ読んでいただきたい。

  1. あなたの仕事は「仕事」ではない
  2. 仕事をする程ストレスがやばい状況になるのはなぜか。
  3. 仕事のストレスがやばい人にしてもらいたいこと

 

あなたの仕事は「仕事」ではない

このタイトルは「あなたが仕事をサボっている」とか「あなたは生産性を上げられる」という趣旨のものではない。ちきりんのようなことは書かないので安心してほしい。

 

 

もっと根本的な問いかけである。

私の趣旨は、あなたが仕事という言語に与えているものの正体が実は「仕事」ではないということなのだ。

 

 

 どういうことか。

まずもってあなたが今従事しているのは「労働」なのである。

 

この「仕事」と「労働」は明確に使い分けなくてはならない。

 

 

確かに、マルクスの中では完全に同一視されていた。

しかし、アーレントであったりヴェイユは明確に別物ということに気づき使い分けを行った。

 

その違いを少しだけ述べよう。

 

 

いろいろと定義があり、それを書き始めると10万字くらいにはなるので、平たく「仕事」と「労働」の区別を書かせていただく。

 

 

 

「仕事」というのは、その営みが完了した時点で、「世界」を創造することができる。

一方で、「労働」は何も残さない。

 

 

この方向性の違いが両者を区別するものであり、それ故に、あなたは現在「仕事」とひとまとめにしている状況を再検討しなくてはならないのである。そうすることで道は開かれる。

実際、背後に何も残さないということ、努力の結果が努力を費やしたのとほとんど同じくらい早く消費されるということ、これこそ、あらゆる労働の特徴である。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

 

「仕事」の場合、何か「世界」を創造することは製作者にその行動に対する「充足感」をもたらすのだが、「労働」は、何も生み出さない虚無感からただただ「苦痛を伴う所業」という解釈を人間にさせる。

 

イメージはヴェイユがわかりやすく述べているので、以下の例をご覧いただきたい。

職工長の監視下で流れ作業に携わる労働者の一団は、哀れを誘う光景である。一方、一握りの熟練労働者がなんらかの困難に足止めをくらい、めいめいが熟慮し、さまざまな行動の有り様を呈示し、他の仲間に対する公的な権威の有無にかかわらず、誰かが好走した方法を一致団結して適用するさまは、みていても美しい。

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』

 

私が冒頭に行った「あなたの仕事は「仕事」ではない」の意図がわかっていただけたかと思う。

そしてあなたが労働に従事しているからこそとんでもないストレスを感じているのである。

 

仕事をする程ストレスがやばい状況になるのはなぜか。

この「労働」(あなたが仕事と考えているもの)と「仕事」の違いを押さえた上で、なたのストレスがやばい状態になる核心にここでは触れたい。

 

 

まず結論を述べると「労働」の最大の特徴とも言える「分業」がもたらす、「人間の複数性の破壊」こそがあなたのストレスがやばい要因であるのだ。

 

 

「労働」によってうみだす「価値」は常に「社会的」であり、「個人的」な方向に還元されることはない。

 

・・・労働が生みだす「価値」は全て完全に「社会的」である。・・・それもこれも労働の集団的性格によるのである。・・・しかし、この社会性は、・・・同一性に依存している。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

 

この妥当性は、「労働」自体が引き起こす「イノベーション」と呼ばれる代物が個人の苦痛の軽減に何ら寄与していないことからも明らかである。

 

一刻の猶予なく緊急に改善すべき不備とは、右のように労働者が貶められている事態であり、この事態を悪化させることは断じて慎み、これを緩和させるためならあらゆる手を尽くすべきであると。

シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』

 

仕事のストレスがやばい人にしてもらいたいこと

 

こういった絶望的な状況にあって選ぶ道は2つある。

 

一つ目が、自らがこの状況にあるということを知ることである。

 

 

認識できることで苦痛は軽減されるということだ。

それを目指し私はここまで文章を書いてきた。

 

食べるために働き、働くために食べ・・・この二つのうちの一つを目的と見なしたり、あるいは、二つともを別々に切り離して目的としたりするならば、途方にくれるほかはない。・・・

 人間が円形のかごの中でくるくる回るりすの姿をわが身と見るときこそ、自分を偽りさえしなければ、救いに近づいているのだ。

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』

 

 

もう一つは正反対を選択することだ。

「理解力を欠いていることで正常でいること」を選択するのだ。

 

どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け入れさせることができるのだ。かれらは・・・現実に何が起こっているかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。

理解力を欠いていることによって、彼らは、正気でいられる。

ジョージオーウェル『1984』

 

 

 

 

「苦しみ」を感じることは確かに文字どおり苦しい。

ただし、それはあなたが「生きている」という証拠でもあると私は言いたい。

 

 

一方で、「思考停止すること」は幸福に映る。

しかしながら、それがもはや生きていると言える状態なのかは甚だ疑わしいのだ。

 

 

私は苦しもうとも前者を選ぶ。

 

 

面白きことなき世をおもしろく