私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】どうも世の中がおかしいと思った人へ

「世の中なんかおかしいよ」

 

 

あなたはそう感じているかもしれない。

そして私の文章を開いてくれたのかもしれない。

しかし、あなたの思いに賛同する人の少なさにあなたは愕然としているのではないか?

 

 

 

そんなあなたに朗報だ。

実は私は、世の中おかしいと毎日考えている人間で、あなたと少しは分かり合える人間かもしれないのだ。

 

 

あらかじめ結論を述べるとあなたの「おかしい」という感覚を私は正しいと思っている。

 

 

しかし、何がおかしいのかわからないが故に「世の中がおかしい」と感じるのは「自分がおかしい」だけかもしれないと無理やり解釈していないだろうか?

 

 

そんなあなたにあらかじめニーチェの言葉を紹介しておきたい。

個々の人々はこのような憂慮について何も知らぬかのように装っているが、我々の眼を欺くものではない。彼らの不安こそ、彼らがいかによくそれについて気づいているかを示すものである。

フリードリッヒ・ニーチェ『若き人々への言葉』 

 

 

今日は、世の中おかしい状態に対する省察を僭越ながら書かせていただければと思う。

  1. 世の中がおかしい状況になった根本理由
  2. 自分自身がおかしいと感じなければ処理できない現代社会
  3. 世の中や社会の復刻はいかにして可能か

 

1.世の中がおかしい状況になった根本理由

最近インフルエンザや風邪が流行っているが、私が思うに何にも増して季節を問わず流行している病気があると思う。

 

 

それは、うつ病である。

厚生労働省のデータなどを調べていただければと思うが、うつ病の人というのは絶対数が増え続けている。

 

*うつ病の定義は辞書では以下のように書かれている。

憂鬱な気分が毎日続き、興味や喜びが感じられなくなる精神疾患気分障害の一つ。

うつびょう【鬱病】の意味 - goo国語辞書

 

 

毎日がとにかく「つらい」という状況から引き起こされる精神疾患のようだ。

要は、「世の中」や「社会」に適合できていないのだ。

世間ではこれらの人に「甘えだ」という罵声を浴びせるのが趣味のようである。

 

 

しかし、このついていけなくなった人が「異常」なのかというと極めて議論の余地があるところなのはいうまでもない。

 

 

 

 

なぜなら、彼ら・彼女らは世の中の「正常」があまりに異常であることに気づいた人たちかもしれないからだ。

 

「正気かどうかは統計上の問題ではない」このことばには深遠な叡智が含まれているような気がした。

ジョージ・オーウェル『1984』

 

 

 

しかし、「社会」では声の大きいほどの正当性は揺るがない。

それ故に、苦しむ人々は適応できない自分に苛立ちを重ね、精神を失調する。

 

 

 

これこそがおかしい世の中」の全貌である。

「社会」や「世の中」が作り出す「一般意志」に適合しないものは「病人」「異常者」になるのである。

 

デモクラシーは・・・かつて階級や人間が押し付けていた拘束をすべて断ち切った人間精神が、今度は大多数のものの一般意志に進んで自分を固く縛り付けることになるのではなかろうか。

アレクシ・ド・トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

宗教や道徳が崩壊して我々を縛るものがないと勘違いするのはあまりにお粗末で、むしろそういった人は旧来以上に「大多数の一般意志」に強烈に縛られる。

 

 

自分自身がおかしいと感じなければ処理できない現代社会

「みんなが同じである」という言葉への解釈はいいように行けばいいものだが、そうもいかないのが現代社会ということを今述べた。

 

しかも、どうも今の世の中では「あらゆる多様性を許容しない」というネガティブな側面への傾きが大きい。

 

 

 

「あなたは頭がおかしいのね。精神病院に行きましょう」・・・

「あなたは鬱のようです。休職してください」・・・

 

 

これは個別の人間を「人間」という抽象概念へと統一する働きかけであると私は考えているのだが、リップマンも同様のことを述べている。

 

しかし、眼の前に一つの手強い事実があってうまい説明で片付けられないほど邪魔になるようなとき、取るべき道は3つのうち一つである。・・三番目は最もよくあるケースだと思うが、環境を拡大解釈し、自分の全行動をそれに合わせるやり方である。

ウォルター・リップマン『世論』

 

目の前の環境は「素晴らしい環境」と解釈をし、自分の全行動をその環境に合わせるのが専らの人間がとる行動のようだ。

 

しかし、これほど危険なことがあるだろうか。

イデオロギーをテロル体制の行う圧迫のための極めて優れた準備手段とした演繹的思考の自己矯正は、この「Aと言った以上Bと言わなきゃならない」という思考方式の中に見事に現れている

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

「この世界はまともだ」と解釈した以上、それに適応するために「自分を変えなくてはならない」という演繹的思考による自己矯正がいかほどに危険かアレントが教えてくれている。

 

世の中や社会の復刻はいかにして可能か

このようなおかしい世の中を人間味あふれる世界にするには一つしかない。

それは、「社会」や「世界」についての認識自体を改めることだ。

 

 

 

それは、多くの人が「社会」や「世界」と呼ぶときそこには「物」のイメージを先行させがちだということだ。

 

人間世界のリアリティと信頼性は、なによりもまず、私達が、物によって囲まれているという事実に依存している。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

しかし、その考えから脱却しなければ「世の中おかしい」状態は解消されない。

本当の意味での「社会」や「世界」というのはあらゆる種類の人間が共存している状態に他ならない。

 

 

 

 それ故に、物理的に何かを破壊せずとも、人間の複数性を破壊する営みは「世界」や「社会」の一部を破壊する危険な行為であることは言うまでもない。

 

 

あなたにはなんとか苦しみながらも耐えてほしい。

あなたが「一般意志」に委ねた時それは、世界が一部崩壊する時なのだから

 

面白しろき事なき世をおもしろく