私は高杉晋作

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

「成長したい」が口癖の気持ち悪い20代を大量生産する社会の危うさ

「私は、この会社で成長したいと思って入社しました」

 

「20代のうちにしっかり成長したいなあ」

 

成長したいから自己啓発セミナーに行ってみよ」

 

 

私が20代(同年代)の言う気持ち悪いワードランキングの中でベストスリーに間違いなく入れているのが「成長したい」という言葉だ。

 

 

新卒の就職活動の時にグループ面接で「成長したい」と言っている人間があまりに多くて辟易としたことは記憶に新しいが、今でも社会の至る所におり私はさらに辟易としている。

 

あなたももし共感してくれる部分があるならば、この先を読み進めてほしい。

成長したい」人は決して読まないように!

  1. 「成長したい」人間の誕生が暗に示す社会の危機
  2. 「成長したい」と言う人間の気持ち悪さの源泉
  3. 「成長したい」が口癖の人間はいつか破滅する

 


1.「成長したい」人間の誕生が暗に示す社会の危機

まず私が「成長したい」20代を気持ち悪いとみなすのは、いわゆる自己目的化の典型だからということがある。

 

 

が、その話は後回しにして、まずは、こういう人間が現れる社会の状況について整理しておきたい

 

 

結論から述べると、「成長したい」という人間が大量生産される社会においては、「徳」が消失していることが皮肉にも証明された状況にあるということを伝えなくてはならない。

 

 

何故この言葉が「徳」が消滅している兆候なのか?

それは、「成長したい」という言葉には「自らの生命を最高善とする」という態度が前面に出ているからである。

 

 

 

それ故に、「成長したい」と言う人間たちは、「自らの肉体」以上に守るべきものは何もないと無意識に言ってしまっている。

 

 

アレントは「成長したい」という気持ち悪い人間たちの誕生を予言し、そしてそれが道徳の壊滅という帰結になることを予言していた。

 

・・・人間にとっての最高善は、<生命>の維持であり、世界と人類の存続であると主張することもできるでしょう。

 しかしそれは、いかなる倫理も道徳性も、もはや存在しなくなるということにほかならないでしょう。・・・

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 

裏を返せば、なんらかの「徳」が存在した時代にあっては「成長したい」と言う気持ち悪い人間は存在しなかったに違いないのだ。

 

 

なぜなら、自分の生命以上に、「守りたいもの」「守るべきもの」が自分の中で明確にあったのだから。

 

何が重要とされるかには、時代ごとに大きな違いがありました。ソクラテス以前の古代ギリシアで重要だったのは、偉大さと名誉でした。ローマで<徳>とされたのは、国家の永続でしょう。・・・自由や正義が、あるいはその他の様々な理念が生命よりも重要とされることもありました。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

私は、500年前に学生団体を立ち上げることに奔走する学生がいたとは思わない。

 

 

 

ちなみにニーチェという今巷で人気の哲学者がいるが、彼の偉大さというのは近代以降の社会において既存の道徳が役に立たないということに気づいたことではなく、「道徳性」そのものが崩壊したことを発見したことにある。

*にもかかわらず、「権力への意志」「力への意志」を人間にとっての最優先事項と考えたのはニーチェの最大の誤謬である。

 

2.「成長したい」と発する人間の気持ち悪さの源泉

私は、「成長したい」と発言する人間を最初に見て衝撃を受けて以来、何故このような気持ち悪い人間がむしろ多数派なのかと悩み続けてきた。

 

 

成長したいと思わない」と私が言おうものなら、「終わった人間」と言われそうなあの空気を私は覚えている。あれには随分と苦しんだ。

 

 

この話は後の話につながるので、頭の片隅に入れておいてもらえればと思う。

 

 

さて、いよいよここでは、「成長したい」と言う人間たちの気持ち悪さの核心に迫っていきたいと思う。

 

 

 

早速その核心について語りたいと思うが、それは「何らかの目標」があると見せかけて、「成長したい」という「運動自体」が目的になっているところにあると指摘したい。

*こういう状況になっているのはいうまでもなく「道徳性が崩壊したから」に他ならない。

 

 

これの妥当性は、「成長したいってお前言うけどなんで?」という問いかけに対して想定される相手のレスポンスでわかる。

 

 

おそらくほとんどの人間が2パターンに分かれる。

1つが説明に困るパターンで、もう一つが、「成長したいと思わないなんて人間じゃないよ」という「成長したい」という観念自体が説明の手段になるパターンだ。

 

 

両者の態度はともに、「運動自体が目的になっている」ことの帰結であることは言うまでもない。

 

 

アレントの次に引用する言葉の「観念」という言葉を「成長したい」に読みかえれば、もう私からの説明はこれ以上不要であろう。

 

あるイデオロギーの主題をなす<観念>は、精神の目で捉えられたプラトンの永遠的な本質でもカントの言う理性の調整的原理でもなく、説明の手段となってしまっている。

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

 

そして、この人間たちの気持ち悪い様子に拍車をかけるのが、その病原菌を周囲にばらまき運動に巻き込もうとする点にある。

 

・・・運動を持続し周囲のものを全てを運動に取り込むことによってのみ自己を維持しうる全体主義運動というものの持つ病的な運動欲求と深く関わりがある。それゆえにある意味ではこの儚さこそ、運動に付き従った臣下たちが全体主義特有の病菌に侵された証拠であって、・・・

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

 

ちなみに何故20代の意識高い系と呼ばれる人が「頻繁に団体を立ち上げては役職をたくさん身につけること」や「勉強会に繰り出しFacebookでつながりを増やすこと」で「運動自体」を肥大化させようとするのかというと、あれは彼らに特有の現象ではなく、人間全般に見られる「権力欲」の表れなのでその辺は彼ら・彼女らを叩いてあげないでほしい。

 

 

これについては、ホップズの言葉を紹介したい。

以下を読めば、現状の自己を維持するには、意識の高い20代は絶えず「成長したい」といい続ける必要があることがお分かりいただけるだろう。

 

人類全体に共通する一般的な傾向として第一に挙げられるのは、絶えず突き上げてくるやみがたい権力欲である。・・・満足の行く生活を保つべく現有の権力と手段を維持しようとすれば、さらに多くの権力と手段を獲得しなければならないからだ。

ホッブズ『リヴァイアサン』

 

「えっ?成長したいと思わないの?人としてやばいよ」

「ベンチャーいくっしょ!」

「俺〇〇っていう団体で、〇〇っていう役職でね。。。」

 

 

この言葉の気持ち悪さはいうまでもないが、その背景には「運動自体」を目的にしなくてはならない彼ら・彼女らの悲痛の叫びを見て取らなくてはならない。

 

3.「成長したい」が口癖の人間はいつか破滅する

成長したい」が口癖の人たちを「気持ち悪い」と批判することで20代以上の大半の社会人を敵に回すような記事を書いてきた。

 

 

 

ただ、私は、その「成長したい」ということ自体が目的になっている人を危険から救いたい思いで筆を走らせているということを留意いただきたい。

 

 

 

 

この手の「運動自体が目的になっているパターン」というのは、「内部からの崩壊」しか終わらせる手立てが基本的にはなく、「肉体の欠損」や「精神病」になるのを待つしかないのだ。

 

成長したい」という言葉を前提にした「論理的一貫性」はそれほどに危険を含んでいる。

イデオロギーは常に、前提からの展開によって全てを説明するためには一つの観念があれば充分であり、全てはこの一貫した論理的演繹の過程の中に含まれている以上経験などは何も教えないという仮定に立つ。

・・・・人間はこの強制的論理を持って、何らかの力によって強制されるのとほとんど同じくらい乱暴に自分自身に強制を加えるのだ。

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

 

この社会は病んでいる。

 

「成長したくない」「成長したいと思わない」そう言う自由があってしかるべきだし、それが普通である。

 

私は、「キャリアパスは?」と言われれば、「成長したいとは思わない。気持ち悪い」というようにしている。

 

 

あなたもそう言ってはいかがだろうか。

真に「成長」というのは、自らの内にある「徳」から導き出された「活動」に従事した結果においてのみ達成される産物なのだから。

 

 

自分自身を真に成長させるにおいてはまず「成長」という<根>のない観念に身を委ねるのではなく、過去に自分の<根>を発見し安定化させ、諸観念の誘惑を断たなくてはならない。

 

・・・最大の悪は根源的なものではありません。それには<根>がないのです。根がないために制限されることがなく、考えのないままに極端に進み、世界全体を押し流すのです。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 

面白きことなき世をおもしろく