私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

東京で読書会を20代向けにしてみて感じたその可能性

この記事は以下のような考えをお持ちの人にぜひ読んでいただきたい。

 

  • 会社と家の往復に辟易としている20代社会人
  • 自分の頭がおかしいのではないかと思っている20代社会人
  • 異業種交流会だの飲み会だので見られる「つながり」に違和感がある20代社会人

 

 

突然であるが、私はあなたが感じているような現代の病を和らげる治療法として読書会に注目している人である。

 

 

そしてそれを多くの20代に存在を知ってもらいたいと思い日夜活動させていただいている。今は東京都内でしかできていないが、2月にはネットでも行う予定で、より多くの人にその機会を提供できればと思っている。

 

 

 

ではなぜ読書会に私が可能性を感じたのかというとよくありがちな以下の理由ではない。

  • 神田昌典がいってたから
  • 社会人で人脈を増やしたいから
  • ネットワークビジネスで勧誘したいから
  • 勝間和代が好きだから
  • ビジネスで成功するため
  • 速読を身に付けたいから
  • 「コネクションはあったほうがいいよ!」が口癖だから

 

 

私は、ハンナ・アレントという天才が書いた『人間の条件』という本を読んだその日から読書会を始めた。これが動機で始める人をあまり聞いたことがないだろう。

 

 

ただ、私の解釈ではここには現代の病を治療する方法がすべて書かれていた。 

そしてそのエッセンスを具体化したものが読書会だったわけだが、1年以上東京で続けた中で、それは確信に変わった。

 

 

今日は、私なりに「毎日がなんとなくつまらない20代」むけになぜ読書会がおすすめなのかを書いていく。

 

私以外にも巷では読書会がたくさんあるので、興味があればこのあと調べてみてほしい。

  1. 現代社会の病とは何か。
  2. 読書会とその他イベントの集まりは何が違うか
  3. 読書会には現代の病を救い得る〇がある。

 

東京を中心に開催されている読書会コミュニティはこちらから

Read For Action –日本最大級の読書会コミュニティ


1.現代社会の病とは何か。

突然だが、「言葉にはならない」が、「何かがおかしい」と誰もが感じているのが現代社会である。

 

私も20代にしてこの世の中に辟易としている。

 

 

社会人1年目の時に、キャリアについて上司と面談をした時に「20代後半までには山の中に引退したい」と言い放ったくらい私は疲れていた。

 

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まあ私のことはここではとりあえず置いておこう。

ここでは、表題にあった現代の病の正体をここでは書いていきたい。

 

 

現代社会の病の根もとというのは、「価値」のほぼすべてが功利的な尺度から図られ、そしてそれ以外の評価軸が著しく弱体化しているところにある。

 

 

 

こういった世界では人間はどうなるのかというのを少し書いていきたい。

 

 

一言で言えば、このような社会では、「行為者が誰か」(Who)は概ね無視され、「行為者は何ができるか」(What)だけに焦点が向けられる。

 

 

つまり、個々の人間同士の「差異性」には決して目を向けられることはないということだ。むしろ消滅させにかかってくる。

 

 

この近代以降、世界が転倒させたヒエラルキーを明確に捉え糾弾したのがアレントだった。

ある人の「正体」というのは、その人がなしうることや生産しうるものよりも偉大であり、重要であると信じることは、人間的自負にとって欠くべからざる要素である。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

 

現代人において「すごい」と価値が置かれるものはアレントの言葉とは正反対に下記のようなものであろう。

  • 大会社に勤めている
  • 年収1000万円である
  • タワーマンションに住んでいる
  • 社長である

 

 

ただ、この「行為者は何ができるか」にとらわれる人間というのは仮に功利主義における成功者であったとしても結局は永遠に能力に付き従うという意味で奴隷と変わらないとアレントは述べる。

ただ野卑な人だけが、卑屈にも、自負を自分のためにしたことに求めるであろう。このような人は、この卑屈さによって、自分自身の能力の「奴隷や囚人」になるのである。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

 

実は、功利主義の偏見から逃れることができない成功者も実は、無意識のレベルでは「誰か」(Who)を示そうとしていると私は考えている。

 

「何らかのスキルがある」自分

「いい物件に住むことができている」自分

「いい会社に勤めている」自分

 

 

こういった形で、WhatをWhoに転換し、物理的対象としての「人間」を超え出ようしている。

行為者が何者であるかを示すことはやはり本能なのだろう。

  

 

ただ、これらの人間は決定的な取り違えをしているのは言うまでもない。

むしろ近づくどころか遠ざかっていってしまう。

 

 

功利主義的偏見に気づき、そこから抜け出さない限り、決してその人間は物理的「人間」を超えることはない。

 

これを20代のうちに治療しうるのが読書会なのである。 

2.読書会とその他イベントの集まりは何が違うか。

どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。

ハンナ・アレント『人間の条件』

先ほども触れたが、 

行為者が自分の姿を明らかにできる環境こそ、あらゆる人間との間の事柄が衰退する現代においては必要だ。

 

 

そして、それを具体的に起こしたものが読書会であると私は考えており、実際に東京都内でやってみて確信を持ったということをここまでで述べてきた。

 

なぜなら、そこには「言論活動」を通して、Whoを追求する環境があり、Whatの介在価値は皆無だからだ。

 

つまり言論と活動は、人間が、物理的な対象としてではなく、人間として、相互に現れる様式である。・・・・しかも、人間である以上止めることができないのが、この創始であり、人間を人間たらしめるのもこの創始である。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

あなたにとっては、現代社会というのは「物理的対象」としての人間を超えでる場がもはや壊滅しているため、その必要性すら忘れかけているかもしれない。

 

しかし、創始を可能とするダイアローグは人間らしく生きる上でやはり必須要件である。

 

 

ちなみに20代の人からすると読書会は異業種交流会や飲み会などのイベントと同じようにあなたには映るかもしれない。

 

 しかし全く異なる。

例えば、異業種交流回や飲み会で相手に畏敬を持つのは「相手が何ができるか」(What)という点ばかりだ。Facebookで友達を増やすことに奔走する人間が「フリーター」などを「友達」にしようとしているのを少なくとも私は見たことない。

 

 

平たく言えば、多くの社会人向けに開催されるイベントは行為者が何者であるかが前面に出ることはほぼない。

出れば「うざい」で一蹴される。

 

 

 

20代の社会人が東京でよくイベントに参加しているのを見るが、参加すれど参加すれど失望に終わるのは実はここにあると私は見ている。

 

 

本能的に求めているものを探しに行ったらそれとは全く正反対のものが求められる集まりだったという。。。。

ドクサという言葉は、意見だけではなく、光輝と名声という意味を持っている。・・・すなわち誰であれ登場して自分が誰であるかを示すことのできる公的領域に、関係している。・・・ギリシア人にとって、これは公的生活に付属する一つの大きな特権であった・・・

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

3.読書会には現代の病を救い得る〇がある。

私は以前ブログで以下のようなことを書いたことがある。

 

日本は資本主義を導入する際に、キリスト教を導入しなかった。

 

その結果、資本主義がもたらす「個々の人間のあらゆる事柄の衰退」を軽減することができる教会機能がないために、あらゆる人々が孤独感を極めて特に感じやすい国であるのだと。

(参考は丸山眞男『日本の思想』山本七平『日本人とは何か』)

 

 

実は、この教会コミュニティという公的な基盤についての言及は後付けではない。

 

アウグスティヌスは資本主義の登場の前からいち早く教会の必要性を感じていたと言われている。それは神学的コンテクストに基づく必要性ではない。

 

彼は、人と人との間の「愛」を最も大切なものと考えていたのだ。

(この「愛」は恋愛的なものではない。詳しくはアウグスティヌス『告白』を読んでいただきたい) 

こうしたアウグスティヌスの思考と活動によってもたらされたキリスト教の変容によって、教会は最終的にキリスト教徒の逃避的引きこもりを世俗化する役割を果たすことになり、その結果、信者たちは世界内にまったく新しい、宗教的に定義付けされた公的空間・・・・を構成するまでになったのである。 

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

私は、この教会の代わりを読書会に見出している。

人と人との関係性を真に打ち立てる「愛」はここで再生できると。

 

 

 

ここまで言えば、私が20代の人に読書会をお勧めする理由はわかるだろう。

功利主義から逃避する役割を果たすことができる数少ない方法だからだ。

 

 

人生の早い段階でこのことに気づかなければ、後戻りできないという意味で、20代に特にお勧めしている。

 

 

もちろん「逃避」自体が目的ではなく、その場に身を置くことで行える「行為者は何か」という人間の生存要件において欠くべからざるものを手に入れられるところが本質である。

 

 

 

現代社会で失われた「愛」の概念をあなたは参加することで何かを知り、その重要性を実感すると私は思っている。

 

 

ここまで読書会をごり押ししてきたがそうは言いつつ読書会でなくてもいいとは思っている。(なんやそりゃと思われるだろうが)

私よりあなたのほうが賢明だろうから他にも思いついているだろう。

 

 

ただ、私はこれよりいいものを思いついていないが故に今は読書会を推奨している。

砂漠化したこの世界を人間味ある世界に(人と人の間の事柄の復活)していくことが必要ではないだろうか。

 

 

 

おもしろき事なき世を面白く

 

 

補足を少しだけする。

*ダメな読書会というのがある。

それは、「功利主義においてどうやって成功するか」を考える読書会である。

これがなぜダメなのかは言うまでもないのだが、その数は結構多い。。。。 

 

p.s

2月11日にスカイプ読書会というのを試験的に開催予定である。

扱う著書は、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』である。

 

Read For Action –日本最大級の読書会コミュニティ

 

これが、成り立つようになれば、全世界から参加できるようになるという事で試験的に開催予定である。

興味があれば上のサイトから詳細を見ていただきたい。

 

 Read For Actionは東京に限らず全国で読書会がたくさんあるので、20代の方に限らずお勧めである。

 

全国で開催されている日本最大規模の読書会コミュニティはこちらから

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