私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】仕事でのストレスは結局どうすれば発散しうるのか?

約 7 分

「今週も疲れた。最近仕事でのストレスが、、、、」

 

 

こういう人多いのではないではなかろうか?

 

そして、何か発散する方法はないかとカタカタスマホで検索をかけたことがあるんじゃなかろうか。

 

 

私自身仕事ストレスを感じることが多々あり何か休日にうまくストレス発散できないかとずっと考えてきた。

 

 

ただ、安易なストレス発散を試みては翌週には同じ状態になるか、もしくは悪化しているという事実に気付かされた。

(例えば、カラオケだったりどこかに行ったりといったようなものをしてみて効果があまりに束の間である事に私はある日気づいた。)

 

 

それゆえに、まずはこの「仕事」というものの存在をつかむことなくして、真にストレスなど発散されえないと考えたわけだ。

 

 

今日は、我々が従事する「仕事」とは何なのかを皮切りに真にストレス発散を実現しうる方法について考察をしていきたい。

 

  1. そもそも仕事とはなんのためにやっているのか?
  2. なぜ我々はこの事実に目を向けられなかったか
  3. 仕事でのストレス発散方法を間違えるのはなぜか?

 

1.そもそも仕事とはなんのためにやっているのか?

この項については、いつも読んでいただいている方には重複になるので、さらっといきたい。

 

あなたは「「仕事」に取り組む理由は何なのか?」と聞かれて何と答えるだろうか?

 

  • 世の中をよりよくするため
  • 生きがい
  • お客様に感謝されるのが嬉しいから
  • スキルが身につくから

 

私は、上記のような言葉を聞くと吐き気を催すタイプの人間だ。

なぜなら、それは真に仕事に取り組んでいる理由ではないからだ。

 

 

 

どうやらこの国では真に「仕事」をしている理由というのは、口に出すことはどうもタブーらしい。

ただ、私は嫌われることを覚悟して書いていきたい。

 

 

結論を言うと、あなたが仕事をしている理由は「生きるため」以外にはない。(生命を再生産するため)

 

 

 

ただただ、肉体を維持するためだけに毎日強烈なストレスを感じることを強いられている。

 

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原始の狩猟者を苦しめた飢えとおなじく苛烈に容赦なく責め苛む強制が、現代の労働者を努力へ向かわせる。

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』

 

これほどまでに「当たり前」であり、これほどまでに「核心」もないのだが、誰もが口に出すことをためらう。

 

 

 

我々はまだ信じている。

自分が「ただ生きるために生きている」ということは嘘であると。 

 

 

ただ、それが事実であることをまず直視することなしに問題の前進はみられないだろう。

 

 

 

ちなみにこの「ただ生きるため」という「必然性」にのみ追われ人生を奔走する人間の種類を古代では「奴隷」と呼称した事をご存知だろうか。

 

 

 

あの蔑まれ、軽蔑を受けた「奴隷」である。

 

 リンカーンが「奴隷解放宣言」をして奴隷はいなくなったと教科書で学んだはずなのだが、どうも現実は違うようである。

*おそらくここで「肉体労働」の方を想起してしまう可能性があるので、断っておくが、私の見解では、「頭脳労働」と言われるホワイトカラー層も状況はさほど変わらない。個人的にはそういう住み分けをする人の方が差別主義者っぽいと思うが笑

 

 

では、古代においてあれほど卑しめられた「奴隷」としての生き方がなぜこれほどまでに「当たり前」になったのか?(ステータスを獲得したのか?)

 

 

それは、近代以降、あらゆる人間の活動の中で「労働」を再上位概念とするイデオロギーが確立されたからであることはいうまでもない。

 

近代は伝統をすっかり転倒させた。すなわち、・・・・伝統的ヒエラルキーさえ転倒させあらゆる価値の源泉として労働を賛美し、・・・引き上げたのである。

ハンナ・アレント『人間の条件』

 

2.なぜ我々はこの事実に目を向けられないのか?

ただ、こういったからくりは日常的には見えなくなっている。

 

 

 

それはなぜかについてここでは少し触れたい。

 

 

一言で言えば、ストレスを感じる状態を「通常状態」であると人間に誤認させる虚構の世界に移住させられていることが挙げられる。

 

 

 

わかりやすく言えば、「会社」や「職場」を「社会」と呼称する人がいるが、実は「会社」や「職場」は「社会」とは別の世界だということだ。

 

 

 

なぜ私がこう考えるのかというと、あらゆる「会社」や「職場」において「社会」における非常識があまりにも容易にまかり通るからである。

 

 

それゆえに、私は最近、会社や職場のことを「全体主義の起源」と呼ばせていただいている。

 

 

その理由は明快で、先ほど挙げた「常識からの隔離」に加え「集団」の総意が「個人」に対して常に優先されるなどあまりに共通点が多いからだ。

 

 

・・・ヒットラーは嘘というものは法外なものである場合にのみ効果を挙げ得ると数百万部も刷られた本の中で宣伝した。法外というのは、事実の連関全体はそのままにしておいて個々の事実を否定する・・・ような小細工をせず、事実全体を歪めてしまって、その結果、個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界の代わりに一つの仮構の世界を作り出すようにするということなのである。

ハンナ・アレント『全体主義の起源』

 

ここで書かれている内容で一例をあげよう。

 

例えば、「業績が一番大事」という法外な嘘を厚顔無恥にもならべたててその前提を崩されなかったとしよう。

 

すると、「長時間を賞賛する」というロジックは一貫性を持った正論となるのである。

 

 このイデオロギーが支配する虚構の世界においては、あなたは死ぬまで組織への献身が求められる。

 

 

3.仕事でのストレス発散方法に必要な条件とは?

最後に、私が考えるストレス発散方法について少し書きたい。

 

「〜を食べる」

「〜と遊ぶ」

 

といったハウツーではないので注意頂きたい。

 

 

結論から述べる。

仕事という「隷従」状態において感じる強烈なストレス状態を発散するには、人間が本性的に求める「自由」を実感できる活動に従事するのが良い。

 

 

「自分」の「唯一性を発見できる活動への従事」と言ってもよかろう。

 

 

こういうことを述べるとよく「一人で過ごすこと」と勘違いされるのだが、それだけではない。「対話」の中での「自己」の発見も含まれる。

 

 

 

条件としては、

 

「組織集団への無批判的な奉仕や献身が含まれないこと」

 

これだけである。

 

最後に、組織とは共同行動を促す手段ではなく、いかなる集団であるにせよ、集団の行動は組織強化の手段でしかない。

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』

 

基本的にどのような人間関係であっても人数が増加すればその色は強くなるため避けることを推奨する。

 

 

いまいちこの話にピンとこない場合はすでに危険な領域に入っているかもしれない。

 

あなたは「自由」を求めるという人間の本性すらも忘れていないだろうか?

そうならば極めて危険な状態だ。

 

隷従した人間というのは、そうでない人間と比べて圧倒的に品位を落としてしまうのだ。取り返しがつかなくなる

有名な警句によれば、隷従は人にこれを愛させるまでに人間の品性を損なう。さらに、現実に自由を享受する人間でなければ、自由を貴重なものとは思わない。我々の政体のように全面的に非人間的な政体は、新たな人間社会を形成しうる人間を鍛え上げるどころか、被抑圧者と抑圧者の別なく、政体に従属するすべての人間を己の似姿とすべく造形する。

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』

 

 

ストレス発散という活動が「スイーツを食べる」「カラオケに行く」などでもいいのだが、それらは単なる資本主義社会の「消費」のサイクルに組み込まれているだけで、あなたのストレスを真に発散してくれるものではない。

 

まずは、自己の「自由」を取り戻す活動にくりだしてほしい。

 

おもしろき事なき面白く

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