私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

幸せとは何か。その意味に迫る

約 6 分

「〇〇を食べると超幸せ

 

「〇〇といると幸せ

 

「〇〇している時が一番幸せ

 

 

何かをした時、何かをしている時に人は「幸せだ」と感じる。

ところで、「幸せとはなんなのか?」ということを問われてその意味をすんなりと答えられる人がどれほどいるであろうか?

 

人間の全ての知識のうちで、最も役立つはずなのに、最も進歩の遅い分野は、人間そのものについての知識であるようだ。

ルソー『人間不平等起源論』

 

今日は、些細ではあるが、幸せとは何かという人間にとって根源的な意味について考えてみた。

  1. 幸せよりも不幸を感じやすい現代社会
  2. 真に「幸せ」にたどり着く方法
  3. 終わりに

 

1.幸せよりも不幸を感じやすい現代社会

突然だが質問をしたい。

 

「あなたはスマホを持っていて幸せだろうか?」

 

特に幸せとは思わないのではないだろうか?

なぜなら、かなり多くの人が持つようになり「珍しさ」を感じないからであろう。

 

 

しかし考えてみても欲しい。

スマホが出る前と今でだいぶ生活が「便利」になったはずである。

 

「豊か」であり「進歩すること」が幸せであったとすれば、おかしいではないか?

 

 

今までかかっていた「コスト」や「時間」が大幅に短縮されたことがどれほどあったであろう。

 

 

 

一方で、こちらも感がてみてほしい。

 

もし、あなたが今スマホを取り上げられたとして、そして「5年間使えない」と言われた場合、どう思うだろうか。

 

 

「不幸」であると感じるのではないだろうか。

 

「知り合いと連絡が取れない」

「LINEが使えない」

 

 

言葉には出さずとも「不幸」と感じるはずだ。

 

 

 

私がここで述べたいことがわかるのではなかろうか。

 

それは以下である。

 

人間社会は文明が進行していきあらゆる事柄が陳腐化、大衆化するにつれ、かつては「特権的」であったものがすべて「当たり前」と成った。

 

それゆえに、それがない時には不幸を感じる一方で、「幸せ」を感じることが極めて難しくなったのだ。

 

 

ルソーはそれを300年ほど前に予測していた。

だからこうした安楽は、なくなると極めて苦痛に感じられるのに、あったところでそれほど楽しくないものとなったのであり、これを所有していても幸福ではなく、所有していないと不幸になるのである。

ルソー『人間不平等起源論』

 

平たく言えば、文明社会が進んだ現代社会に生きる我々というのは昔に比べ「不幸」に敏感になる一方で、「幸せ」を感じることが極めてわがままなかつ下等な生き物となったのだ。

 

 

 

ここで言いたいのは、それゆえに、「幸せ」の意味は我々にとって極めて見えづらいものとなっているということである。

 

 

 

「スマホ」でピンとこない人のためにもっと極端な例をだそう。

例えば、あなたは「洋服」を着ていて「幸せ」と感じるだろうか?

 

 

感じないのではないだろうか。

なければ不幸を感じるにもかかわらずだ。

 

 

「当たり前」というのは「不幸」を感じる能力であり、それはある一面では先ほども述べたように人間としての「退化」なのだ。

 

だから原初の人間にとっては、裸で暮らすこと、住む家がないこと、私たちがどうしても必要だと考えているが、無用な様々なものが欠けていることは、それほど大きな不幸ではないし、生き続けるために特に大きな障害となることもないのである。

ルソー『人間不平等起源論』

 

ここで言いたかったことは一つだ。

あなたの目の前にあるものはそのほぼ全てが「幸せ」をもたらすものではなく、「不幸」を感じるのに一躍買う程度のものなのだ。 

 

2.真に「幸せ」にたどり着く方法

私の考える真の幸せとはを書いていきたい。

 

一言で言うと、ここまで書いてきたような「陳腐さ」とは全く逆に位置する。

 

つまり私は、他者と自己との「複数性」(差異)を幸せの根源であると考えている。

 

ソクラテスの教えは次のことを意味していた。すなわち、自分自身と共生するすべを心得ているものだけが、他者と共生するのにふさわしい。・・・それゆえ「独りでいて自分自身と意見が合わないよりは、全世界と意見が合わない方がましである」ということなのだ。

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

 

現在は、自己を放棄し、「集団に昇華する」人間が溢れているが、あるべきは逆なのだ。

 

まず、自分というものを自分自身が見出し「唯一性」の感覚を得ることが大切である。

 

 

ニーチェやラボエシは、人間は個人として弱くなればなるほど「隷従」を好み、数少ない人間のみが「自由」のために戦う世の中がやってくるといったが現代社会はまさに彼らの予言した通りになっている。

 

 

 

隷従する幸せとはまやかしなのは人類の戦争の歴史を見ればわかる。

 

昔から人間にとっては命以上に自由が大切だったのだ。

 

隷従し、同化することを望み始めたのはものの数百年の話でしかない。

 

 

では、なぜ「幸せ」の意味を間違えたのか。

 

それについてはラ・ボエシの以下の言葉を読んでいただきたい。

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たしかに、人はまず最初に、力によって強制されたり、うち負かされたりして隷従する。だが、のちに現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されて成したことを、進んで行うようになる。そういうわけで、軛のもとに生まれ、隷従状態のもとで発育し成長する者たちは、もはや前を見ることもなく、生まれたままの状態で満足し、自分が見出したもの以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとって自然なものと考えるのである。

ラ・ボエシ『自発的隷従論』

 

人間は、先にも述べたように古来から隷従に必死に抵抗してきた。

 

しかし、その人々がやむなく屈服したのちにはあまりにあっけなかった。

 

生まれてきたものは、「屈服すること」こそが当たり前となり、その中で「幸せ」を見つけるしかないと考えるようになってしまった。

 

 

 

 

 

ただ、みんな同じであるという「平等」という考えは一歩間違えると人間らしさを損ねてしまうことをどうしてもあなたには伝えておきたい。

人間は自由を失うことで、人間性を失った。人間であることとは自由であることであり、人間は<自由を志向する存在>である。まったく、人間に人間であることを断念させ、さらにはそのような断念の永続を希求させる災難とは、いかなる災難なのであろうか!

ピエールクラストル『自由、災難、名づけえぬ存在

 

 

3.終わりに

幸せとは何か?

 

それは、他者と「同一である」という教官の体験にあるのではなく、真に幸せであるとは自分がその他のものと「異なる唯一の存在である」と感じた時なのだ。

 

その感覚を失ったならば、「人間でない人間」なのだ。

 

 

おもしろきことなき世を面白く

 

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