私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【極秘】なぜ電通は殺人という最悪の結果を引きおこしたのかー鬼十則ー

約 8 分

電通はゴミ」

電通はクズ」

電通は最悪の企業」

 

 

電通で過労死認定の事件があって以来、電通という会社の評判はあまりに落ちたように感じる。それを示すかのように検索ワードとして電通を罵倒する言葉がしばしば付帯され検索されている。

 

 

 

昨年度時点で大学生の就職人気ランキングで1位(みんしゅう)8位(マイナビ)などサイトごとに差はあれど上位に居続けてきただけに来年度のランキングは興味深い。

 

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ただ、この電通事件は他人事ではないとあらかじめ言っておきたい。

 

 

 

さて伏線を張ったところで本題に入ろう。

電通がブラック企業であるということが女性の過労死以降、暴露された形になっているが、その原因を色々考えていくと見えることがある。

 

 

 

その筆頭に私は鬼十則と呼ばれる電通社員の行動規範をあげたい。

これが殺人をもひきおこした発端だと考えている。

 

 

今日は、電通鬼十則がなぜ殺人という最悪の結果を引き起こしたのかについて書いていこうと思う。

  1. 電通という企業が最悪の殺人マシーンと化した理由ー鬼十則ー
  2. 鬼十則自体が問題ではなく・・・
  3. 外的な真理に判断基準を求める人間は危険

 

 

1.電通という企業が最悪の殺人マシーンと化した理由ー鬼十則ー

では改めてになるが、電通はなぜ殺人マシーンになってしまったのか?

 

 

これに対する解答に必要不可欠なのが先ほども述べたが鬼十則という行動規範である。 

あらかじめ電通殺人マシーンになった理由について結論を述べると、

 

 

「電通社員は鬼十則という形で行動規範を外部におくことであらゆる事態を処理するようになったから。」

 

というのが私の考えだ。

 

 

アレントの以下の文章にある「イデオロギー」を「行動規範」や「鬼十則」に読みかえれば私の言いたいことがご理解いただけると思う。

 

イデオロギーは常に、前提からの展開によって全てを説明するためには一つの観念があれば充分であり、全てはこの一貫した論理的演繹の過程の中に含まれている以上経験などは何も教えないという仮定に立つ。

ハンナアレント『全体主義の起源』

 

 

ちなみに鬼十則を知らない人のために一応引用しておきたい。

1)仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
2)仕事とは、先手先手と働き掛け、受身でやるべきではない。
3)大きい仕事と取り組め。小さい仕事は己を小さくする。
4)難しい仕事をねらえ。それを成し遂げるところに進歩がある。
5)取り組んだら放すな。殺されても放すな。
6)周囲を引きずり廻せ。引きずるのと引きずられるのとでは、長い間に天地の差が出来る。
7)計画を持て。長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と正しい努力と希望が生まれる。
8)自信を持て。自信がないから君の仕事は迫力も粘りも厚みすらもない。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って一分の隙があってはならぬ。サービスとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れるな。摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと、きみは卑屈未練になる。

 

元社長が作ったと言われているいわゆる電通社員の行動規範だ。これが殺人マシーンとしての原動力である。

 

 

ちなみに、ここで私は鬼十則を引用したが、実は内容はそこまで重要ではない。

 

 

なぜなら、鬼十則を解釈しているのは個々人だからだ。

 

 

何が言いたいのかというと上の文章は、見方によれば、鬼十則は素晴らしい言葉だし、見方によれば「最悪」「クズ」になるということだ。

 

 

 

私の考える本質的な問題は、このような外部にある「規範」「イデオロギー」を絶対化することは、実態がいかに荒唐無稽であっても「ここにこの規範があるから」という理由だけで引き返せなくなりうるその硬直性にある。

 

 

それをより鮮明に理解していただく為には、スターリンという全体主義運動を実施した男のやり口を見てみると良いかもしれない。

 

スターリンは革命時代から一つの制度を受け継いで、この制度によって同じような機能の分割をロシアにおいて実施することができた。その制度とは他でもなくソヴェート制度だった。・・・重要なのは「ボルシェヴィキーが、そうしようと思えばいささかも困難はなかったにもかかわらずソヴェートを廃止せずに、彼らの権力の装飾的な外面的な象徴としてソヴェートを利用した」という事実である。・・・・ファザードとなるためには絶対に必要な伝統の神秘的な魅力を全く欠いていたロシアの見せかけの政府は、明らかに成文法というものの神聖な威光を必要としていたのである。

ハンナアレント『全体主義の起源』

 

かいつまんでここに書いていることを説明する。

 

 

スターリンは、ロシアで全体主義運動を展開するために、容易に滅ぼすことができた旧ソヴェートの制度をあえて残し、その威光を利用しつつ、中身だけ作り変えるというやり方で、素早く権力を手中にした男なのだ。

 

「骨抜き」と一般的に呼ばれる現象だ。

 

 

このスターリンのやり方を見ることで、鬼十則を作った元社長の吉田秀雄氏が批判されていることがあまりに的外れであることがわかるのではないか?

 

 

吉田氏の意図が本当に鬼十則にあると誰が断言できよう。

  

2.鬼十則が問題ではなく・・・・

読者諸氏には私の言わんとするところがもう分かりつつあると思うが、「鬼十則」自体が「悪」ではない。

 

 

それを骨抜きにし、「過労を美しいものとする」といった解釈を与えたのは鬼十則ではなく人間であった。

 

 

 

この「思考停止」を奨励する解釈こそあらゆる悲劇の始まりであり、その器に鬼十則が使われたに過ぎない。別に他に便利なものがあればそれでも良かったのである。

 

 

ここまでの内容でそろそろ人間の行動を外的な真理に基づき実施することの危険性について気づく頃ではなかろうか?

・・・外部にあるあらゆる真理は、それが人々に善をもたらそうと悪をもたらそうと、文字通り非人間的なものです。・・・・それが突如としてすべての人間を単一の意見に結び合わすような結果を生み出す恐れがあるからであり、その結果、無限の多様性を持った人々ではなく、単数の人間、一つの種族とその類型だけがこの地上に住んでいるかのように、多数の意見の中の一つだけが浮き上がることになるからです。

 ハンナアレント『暗い時代の人々』

 

  

外的な真理に依拠して行動を確定させることはあらゆる荒唐無稽な事象をも「真理」としてしまうことに危なさの本質がある。

 

例えば、地下鉄があるのはモスクヴァだけだという主張が嘘であるのは、ボルシェヴィキーが他のすべての地下鉄を破壊する権力を持たない間だけのことでしかない。

ハンナアレント『全体主義の起源』

 

ここで書いている例を電通のケースに当てはめてみよう。

 

例えば、「電通社員で朝5時まで働けないものはいない」というのは我々には嘘にしか聞こえないかと思う。おそらくその命題は立てた時点では嘘であろう。

 

しかし、それを真理にすることができるのだ。

もちろんその方法とは、できないすべての社員を抹殺するのである。

 

ヒットラーとスターリンはいつも、世間でよく使われる「Aと言った以上Bと言わなきゃならない」という言い方で彼らの議論を固めることをとりわけ好んだが、この理屈が・・・・現代人を納得させたことは疑いない。

ハンナアレント『全体主義の起源』

 

外的な真理に身を委ねさせることに成功させれば、相手を納得させた上で殺すことができる。

 

3.外的な真理に判断基準を委ねる人間は危険

この電通の話題を通して、私は電通を叩きたいわけではない。

 

冒頭に述べたが、電通に限らずこの現象はいたるところで起きている。

それは身近な人間関係から、職場、友人関係、すべてで起こっている。

 

この考察の初めで私は、全体主義の支配の本質を理解しようと試みたいというだけではなく、我々すべてが今日いたるところで体験しているあの危険の特徴をその本質の中に見いだすことを期待していると言った。

ハンナアレント『全体主義の起源』

 

 

外的規範への信仰が起きてやまない理由は何なのか?

 

それは「人間は外部に何かなければ何も判断できない」という自らへの偏見にある。

・・・標準が喪失されるとき、人間の判断力もまた無力化するのではないか?と疑問を呈する。しかし「判断力」はいかなる標準にも依拠するものではなく、聖化する人間の能力に関係を持ち、決して強制的なものではない。標準に頼らないと人間は判断できないという偏見の裏にあるのは、近代世界で失調したのは世界ではなく、人間だという考え方である。今や不安の対象はもっぱら人間なのである。世界とその中で起こる破局は優れて人間的な出来事であり、現代の不幸の原因は、人間の行動と本性のうちにある、ということだ。行動主義や人間学、心理学が隆盛を極めるのもそうした理由に他ならない。

ハンナアレント『政治の約束』

 

今は、企業では行動規範が奨励され、カリスマ経営者がもてはやされる。

その背景には先に述べた人間への偏見がある。

 

 

今や我々の偏見を解体してくれる数少ない「読書」という営みにおいてさえ、むしろ偏見を助長させる活動に成り下がりつつある。

 

 

本屋に行けば世相がわかるというが、今本屋の平積みには「心理学」「どう行動すべき」といったハウツー本に溢れているのだ。

 実に嘆かわしい。

 

 

今回の電通事件もあなたの日常で起こる苦しみの多くも「外的標準がいかなる判断においても必須」と感じてしまう偏見にあるのではなかろうか。

つまるところ私は安易さを排斥し、困難を引き起こす考え方を推奨する。私は何よりも努力を重んじる。どうして人々はこの点について誤解したのだろうか。私のいう「直観」を本能だとか感情だとか称する人については何も言うことはない。私の書いたものには一行でもそんな解釈を許すところはない。それどころか私は、すべてそれとは反対のことを言っている。直観とは熟慮反省である。

ベルクソン『思考と動き』

 

熟慮すること、自らの直観を信じること

 

それが「愚か」とは限らない。

 

おもしろきことなき世を面白く

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