私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

生きる希望がない人、生きる理由がわからない人、生きるのがつらい人に私が示せる3通りの生き方

約 7 分

突然だが質問がある。

 

あなたは哲学者ではないだろうが、「生きる意味」「生きている理由」について考えたことはあるだろうか?

 

私は、この問いに関して2年ほど考えをめぐらしてきた。

  

 

最近ある程度この問いについて考えにまとめることができた。

ズバリ言うと「生きる希望がない人」「生きる理由がわからない人」「生きるのがつらい人」に提唱できる道は3つある。

 

 

今日は、あなたにとって何か生きるヒントになるように3通りそれぞれの生き方について書いていきたい。

  1. 信仰対象を持つこと
  2. 権力・地位を志向し続けること
  3. 公的な「活動」領域へ向かうこと

 

1.信仰対象を持つこと

デカルトの近代哲学に端を発し、ここ数百年であらゆる価値観は「絶対的」なものではなくなった。

 

 

すべてのものは疑われ、すべてのものは信じるに足ると言えない時代である。

 

 

そんな中で、救われる第一の方法が、「信仰対象」の獲得である。

 

 

「信仰」というと宗教を彷彿させるかもしれないが、広義に捉えてもらいたい。

具体的には、偉人などでもいいと思っている。

 

 

「神」である必要はない。

「必然」というものがないことで、あなたは生きる希望を失い、蓋然的な欲望の充足に終始しているのかもしれないというのがあなたに考えてみてほしいことだ。

 

 

彼に欠けているものは、実は必然性なのである。・・実は服従する力なのである。・・・自己の限界とも呼ばれるべきものであるが、この必然的なもののもとに頭を下げる力なのである。

キルケゴール『死に至る病』

 

 

ちなみにキルケゴールは世の中の荒廃を目の当たりにし、キリスト教に飛び込んでいった人間であるが、別にキリスト教である必要はない。

 

 

あなたには尊敬できる人や信仰している対象があるだろうか?

(もちろん知り合いである必要はない。)

 

 

「何か信仰できる対象を見つける」

この生き方が生きるのがつらい人に私が伝えられる一つ目の生き方だ。

 

2.権力・地位を志向し続けること

世の中がおかしいと感じ、生きる理由がわからない人に示せる2つ目の生き方が権力・地位を志向し続けることである。

 

 

これは私が通称ニーチェ的生き方と呼んでいるもので、最近一番流行りの生き方だ。

すべての偉大なものは、それ自身によって滅びるものである。自らを止揚する行為のうちで滅びるのだ。その事を生の法則は求める。生の本質のうちに必然的に潜む「自己克服」の法則が、その事を求めるのである。

ニーチェ『道徳の系譜学』

 

具体的には、セミナーに行ったり、本を読んだりすることで力を蓄えるパターンから今いる会社でトップまで登り詰めるというパターンまで何でもいいがとにかく俗世にある権力や地位の獲得に奔走するという生き方だ。

 

 『金持ち父さん』や神田昌典ブーム、などはすべてこの生き方を志向する人によって支えられている。

 

 

 あなたの周囲にもこのような向上心の高い人を見かけたことがあるはずだ。

 

ここまで手短ではあるが二つの生き方を挙げてきた。

 

 

 

ただ、あなたは今「この二つはちょっと。。。」と思っているかもしれない。

そこで、3つ目の生き方を提唱したい。

 

3.公的な「活動」領域へ繰り出すこと

最後の3つ目は「活動」領域に加わるというものだ。

 

これだけではピンとこないかもしれない。

 

 

では、「活動」領域とは何か?ということを書いていきたい。

 

 

 アレントによれば、その定義は自分が「誰であるか」(who)を示し、自分のユニークさを積極的に明らかにできる空間のことを指すものだ。

 

人々は活動と言論において、自分が誰であるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿を表す。

ハンナアレント『人間の条件』

 

 

実は私が、SNSやら飲み会やらを手当たり次第に批判する理由はまさにこれに逆行することに起因している。

 

つまり、ああいった空間はユニークな人格を現す場であるどころかその逆の同質化をもたらす空間だから不必要だということなのだ。

 

アーレントは、「複数性」の基本的視座にたちつつ、複数の人々が存在しているという「人間の条件」を破壊しかねない一切の政治のあり方ー全体主義であれ、イデオロギー操作であれ、テロルと暴力であれ、大規模技術支配であれ、核兵器主義であれ、大衆消費社会の政治であれ、マスデモクラシーであれーを批判した。

ハンナアレント『アウグスティヌス愛の概念』の解説より

*彼女の述べる「政治」は一般的な昨今の解釈と意味が全く違うので注意願いたい。彼女の言う「政治」とは、今ここで述べている「活動」そのものであり、人間のユニークさや「複数性」を開示できる場であるということにご留意いただきたい。 

 

 

 

現代社会では、本当に「複数性」や「ユニークさ」といった「正体」(who)を開示できる場所が本当に少ない。

 

 

 

 

現代がどれほどに病んでいるか卑近な例を挙げよう。

例えば、私のような哲学を通して人間の「正体」を明らかにしようとする者は世間的に見れば狂人だと言われるのは読者諸氏もご存知であろう。

 

 

 

一方で、「〇〇会社勤務」とか「〇〇検定一級」と聞けば、スイーツ女子は「きゃああああ結婚して!」と飛びつくこともご存知だと思う。

 

 

 実は、このスイーツ女子たちは現代のあまりに気違いじみた諸相がうみだしたものだとあなたに気づいて欲しいのだ。

 

 

「知性が劣化している」という言葉で一蹴するだけでは物足りないのだ。

 

 

というのもこれこそ先ほど述べたwhoよりもwhatが重要視されている社会の典型的な例だからだ。

 

 

どういうことか簡単に言うと、今の世の中というのはスイーツ女子からすればもはや札束や肩書きを持っていれば結婚するのは「極論を言えば」誰でもいい状態なのだ。

 

 

もちろんこの発言に「言い過ぎだ。純粋な愛はある」という反論を私は予想している。

そこでなのだが、以下のデータを見てほしい。

 

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結婚条件ランキングTOP30(仕事/年収/年齢/学歴/趣味/性格など) | Conshare

 

この中で、whoを評価しているのは甘く見積もっても「仕事に情熱、誇りを持っている」の5%だけだ。他は、whatでしかない。

 

*私からすれば、この項目も「仕事」が入っている時点で、who よりwhatの方が上位に来ているという感は拭えない。

 

 

 

ちょっと脱線した。

今のはほんの一例でしかない。

 

まあ字数の都合もあるのでまとめに入りたい。

 

あなたが今生きる希望がなかったり、生きる理由がわからない、生きるのがつらいと感じているのはあなたがwhoを開示できる場所がないからだということを改めて強調したい。

 

あなたは社会において何ができるか、何に所属しているか。そればかりが求められる。

 

 

何らかの枠に固まることが求められている。

 

 

だからこそハンナアレントが提唱する「活動」領域に繰り出してほしい。

 

 

 p.s

そんなのどこにあるんだよ。という人向けに最後に一つ私は紹介したいものがある。

私が紹介できるのはRead for actionという「読書会プラットフォーム」である。

Read For Action –日本最大級の読書会コミュニティ

 

 

 

 

これは、幅広い年代幅、広い職域の人が無作為に集まれるという今の日本では奇跡的な領域だ。

 

 

 

私の読書会の宣伝だと思われては困るので言っておくと、このコミュニティには私以外に200人くらいが読書会を主催しているので、別に私が嫌いでもぜひ上のサイトを覗いてみてほしい。

 

ここにはあなたの「閉塞感」を打ち崩すエッセンスがある。

 whoを探求することができる。

 

その「活動」領域では「誰」が問題なのであり、「何」はさしたる問題ではないのだ。

 

 

おもしろき事なき世を面白く

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