私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

めんどくさいし、やめたいと言うのにLINEに依存する人たちへの省察

約 7 分

LINEというと今や国民的アプリケーションとなった。

 

マイナビのニュースによると世代別利用率の全てにおいて85%以上の利用率ということで他のアプリの追随を許さないと言える。

おそらくスマホはそこまでいらないと言っている人でもLINEの為だけに持っている人も多いのではなかろうか?

LINEとはそれほどまでに人々に浸透しており、欠かせない存在となっているのだ。

だが、すでにご存知の通り、私はLINEを使っていない。断固として使わない。

こういうことを言うと、アンチのあなたはマクドナルドを食べながらこう言うかもしれない。

「あまのじゃくだな。そうやって目立とうとしているだけ」

まあそういう思っていればいいでしょう。

ただ、LINEをやっていない数少ない人間だからこそ少し距離を置いた分析を可能になる。

今日は私から見たLINEに没頭する人々への考察を通して、LINEの正体を解明したい。

  1. LINEが見せる現代の病理
  2. LINEとは一体何なのか?
  3. LINEをめんどくさい、やめたいと思っている間は正常

1.LINEが見せる現代の病理

あなたはLINEが便利だと思っているかもしれない。

しかし、どうだろう。

LINEを使うようになってからLINEのありがたさを感じるどころか、イライラすることの方が増えたのではないか。

  • あいつLINE返さないのまじむかつくわ
  • LINE返信こないんだけど病むわ。。
  • LINEしてたらもうこんな時間かよ。。

我々は新しい「便利」なツールが出てきた時に幸せを感じ、より快適な生活がそこにはあると考えがちだ。

しかし、実相は全くもって逆である。

ルソーはこのことを未開人との比較で明確に指し示した。

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少し長いが重要なので引用する。

新たな道具を発明していたから、暇な時間は多かった。この時間を使って、それまでの祖先の人々には知られていなかったさまざまな安楽を作り出したのだった。ところがこれこそが、知らず識らずのうちに人間が自らの首にかける最初の枷となったのであり、子孫のために残した最初の悪の源だったのである。というのも、人間の身体も心もこのようにして柔弱になり続けただけではなく、こうした安楽が習慣になると、特に有難いものではなくなる一方で、それなしでは過ごせない欲望の対象となったのだった。だからこうした安楽は、なくなると極めて苦痛に感じられるのに、あったところでそれほど楽しくないものとなったのであり、これを所有していても幸福ではなく、所有していないと不幸になるのである。

ルソー『人間不平等起源論』

何か新しいものを生み出すために人間は幸福になるどころかそれを所有していない不幸を得るだけだとルソーは述べる。

ずいぶん昔の話とは思えないくらいに的を射た表現だ。

LINEを手に入れた現代人は幸福になるどころか日夜イライラし、不幸になっている。

では、なぜそこまでLINEの所有にこだわるのかを次に見ていきたい。

2.LINEとは一体なんなのか?

なぜ私がこの問いを考えるかというと、LINE自体は経済合理主義の観点から見たとしても生活必需品の観点から見てもなくて困るものではないからだ。

だから、途中でめんどくさい、やめたいと思っているならすっぱりやめることは難しくないはずなのだ。

しかしながら、多くの人がやめることができない。

なぜめんどくさいと思ったり、やめたいと思っているのにやめられないのか?

なぜそこまでLINEを持つことにこだわるのか?

をここでは考えていきたい。

まずLINEとは何かに対する私の考えを書きたい。

これはメールからの遷移を比較検討することで見えてくるものがある。

ズバリ、メールとLINEの違いはなんなのかを述べると「空間創設機能の有無」こそが最大の違いである。

LINEとは一つの空間創出媒体であり、一つの社会構築ツールなのである。

これを否定する人はいないと私は考えている。

そして、その創出した空間ではあらゆる相互批判が基本的にはご法度であり、共感のみが許される世界観が待っている。

仮に批判的な人間が現れた場合、「無視」したり「追放」したりするという機能がこの世界観には用意されており、現代社会に打ちひしがられた人にとってこれほどありがたい話はないとも言える。

少し話が小難しくなってきたので、私の考えを一言でまとめよう。

私は、現代ニヒリズムの加速度的高まりと全体主義への傾倒をLINEの普及に見ているということだ。

要するに、個人としての自らの無力感を埋め合わせるために、常に公的な空間(繋がり)に身を投じ、自己忘却を図ろうと嗜好する人間で世の中は溢れているということだ。

こうした時代には人々は互いに近づきあい、信仰の暖かさのなかに公的領域だけが投ずることのできる光輝と照明の代替物を求めようとするのであり、それが如何に強力な欲求であるかはすでに見てきたとおりです。しかしこのことは、かれらが論争を避け、可能な限り対立を招きえないような人々とだけ関係を持とうとすることを意味しています。

レッシングは、あらゆる差異を抹殺する、度の過ぎた兄弟的な親密さにも耐えられませんでした。

ハンナ・アレント『暗い時代の人々』

LINEはコミュニケーションによる共感のみを許すツールとして互いの差異を抹消する方に働くことはあれ、相互の「複数性」を開拓する本当の意味での人間味ある方向へ働くことは断じてない。

3.LINEはめんどくさい、やめたいと思っている間は「正常」

あなたはLINEに対してまだめんどくさい、やめたいと思っているのであれば、まだ正常だ。

あれに居心地が良くなれば最後で、取り返しがつかなくなる。

このめんどくささの本質は、すでに述べたように「人間の差異を明らかにする」という人間味ある活動とは正反対の「人間の差異性を解消する」ことが本質にあるからだ。

私はLINEを大学時代に使っていたが、少なくとも相互批判的な議論が交わされているところを見ることは一度としてなかった。

あれこそがLINEというツールが作り出す世界の実像であり、人間らしさを失わないために何が何でも逃れなければならないものなのである。

共感こそがLINEの存在意義であったと断言したいほどだ。

*もちろん個別的な経験を一般化することの危険性は重々承知しているので、そういった「差異性」を生み出す世界観があるのであれば、是非教えてもらいたい。

 

人間が人間らしくあると感じる条件としてハンナアレントは相互間の「複数性」を認知できることだと述べた。

要は、互いが「同じだ」と考えるのではなく、「違う」と考えられることが人間らしくある条件だということだ。

今こそ、LINEをやめるときだ。

 こうした平凡な日常生活が持つ「無限の陳腐さ」から抜け出す道は、そこから身を引いて、パルメニデスプラトン以来、哲学者が政治的領域に対置させてきた孤独のうちへ引きこもる以外にない。

ハンナ・アレント『暗い時代の人々』

おもしろき事なき世を面白く

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