私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】電通社員高橋さんの自殺に見る日本社会の闇

約 8 分

会社員である人々にとって「過労死」や「激務による自殺」といったワードに対する関心は世の中で極めて関心が高くなる。

今回の電通の新入社員である高橋まつりさんという方の痛ましい事件も例に漏れない。

www.j-cast.com

私自身こういった労働問題に非常に関心があり、独自に学びを深めるように努めている。

この事件を考察してみて「電通ブラック企業だ」という短絡的なコメントで終わらず、ある究極の問いについて考える必要性を感じた。

その究極の問いとは「自分と社会どちらがおかしいのか?」というものだ。

そして、それを皮切りに日本社会の闇が見えてきたので記事を書くことにした。

 

  1. 「自分と社会どちらがおかしいのか。」という問いと本事件の関係性
  2. 砂漠に迷い込む私たち
  3. この絶望的社会の中であなたが頼れる唯一のもの

*「電通ブラックだ」「ワタミはブラックだ」「すかいらーくはブラックだ」そう言った個別的処理に終わる世の中に違和感を感じる人にぜひ読んでもらいたい。

1.「自分と社会どちらがおかしいのか?」という問いと本事件の関係性

例えば、あなたは会社で理不尽なことがあった時に以下のことを思ったことはないだろうか?

「私は頭がおかしいのか?」もしくは、「社会がおかしいのか?」と。

この問いに対して間違った方向に歩みださせそうとするのが現代社会の病であり、そしてこれを食い止めることこそが今求められているのである。

では、「間違った方向に歩みだす」とはどういうことかを説明したい。

一言で言えば、「間違った方向に歩みだす」とは、「社会におかしさを感じつつも、社会に順応しようと最終的に決意すること」を指す。

確かに、あなたはそんなことはないというかもしれない。

ネットやら友達との会話などでは「社会がおかしい」と言っているであろうから。

しかし、行動に移すにあたってまで、その信念を保てている人がどれほどいるだろうか?

限りなく0に近いと私は思う。

ほぼ確実に「社会に適応できない自分が悪い」という意見に無意識にすり変わっているはずだ。

推測の域を出ないが、電通の自殺(過労死)につながった件も同じだ。

当初は高橋さんも「社会(会社)がおかしい」と思っていたに違いない。

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しかし、徐々に「おかしい」の対象が「社会」ではなく「自分」に向き始め、ああいう結果になってしまったのだ。

実は、これは私がよくブログで取り上げる「全体主義運動」と呼ばれるものだ。

人間としての人格を自ら骨抜きにさせ、運動のプロセスに組み込む。

ここでいう運動とは、なんらかの「目的」(例えば経済的合理性やノルマ)を終えるまで、あらゆるものを犠牲にしながら走り続ける一連のアクションのことを指す。

2.社会に強制適応する3つの装置

今回の電通のケースも含め、観察してくと日本の労働環境には全体主義運動に「順応」させるために3種類の装置が配備されている。

おそらく、この装置は多くの人に対して作用したことがあるはずだ。

  1. パワハラをはじめとした隣人(同僚)によるテロル(暴力、脅迫)
  2. 「俺の方が忙しい」という周囲(ネット上なども含め)との終わりなき消耗戦
  3. 心理カウンセラーを筆頭とした「自分」を「社会」に適応させるケア

1.パワハラをはじめとした隣人(同僚)によるテロル(暴力、脅迫)

まず一つ目が「社会がおかしい」と感じている「正常」な人を「自分がおかしい」と思わせる始まりに登場する装置だ。

「君はこれに耐えれないなんて社会でやっていけないよ」

「社会不適合者」

「みんなこれくらい問題なくやってるよ」

すべて「あなたは頭がおかしい」という教育をテロルの中で行う。

今回の高橋さんはこれが特に顕著であったと思う。

こちらの頭蓋を貫き、脳の動きを止め、脅かしてこちらの信念を捨てさせ、自分の五感から得られる証拠を信じないよう、ほぼ、納得させてしまうような何かだった。最終的に、党は、二足す二は五であると発表し、こちらもそれを信じなくてはならなくなるだろう。

ジョーオーウェル『1984』

いくら、心の底では「社会(会社)がおかしい」と周囲も含めてほとんどの人間が思っていても言い出すことはできないのだ。

そして、なんらかの悲劇が起きるまでテロルは終わらない。

ちなみに今回のテロルを実施したであろう上司は悪人ではない思う。

誤解してもらいたくないが、「悪人ではないから悪くない」と言いたいのではない。

人間は、「善意からとんでもないことをする」ということが言いたいのだ。

将軍たちのうちの一人はニュールンベルクで「あなた方は尊敬すべき将軍たちなのに、どうして皆あのように盲目的な忠実さを持って人殺しに支え続けることができたのですか?」と訊かれて、「最高司令官を批判するのは兵士のすべきことではありません。それは歴史か天なる神のすることでしょう」と答えた。

ハンナアレントイェルサレムのアインヒマン』

ナチスで実際に何万人何十万人殺戮をしていた人間は決して根っからの悪人ではなかった。むしろ命令に忠実であり、組織人としては優れていたのだ。

2.「俺の方が忙しい」という周囲(ネット上なども含め)との終わりなき消耗戦

ハンナアレントでも予測できなかったと思うが、全体主義運動を加速させる上で、インターネットも大きな作用を為す。

つまり、全くの赤の他人がインターネットの登場で、全体主義運動の加速に一躍かっているのだ。

例えば、今回の「残業105時間」というのが挙げられた時に、「俺の方が働いてるけど、、、」という趣旨のコメントが山のように溢れた。

書かなくても思った人はいたであろう。

そこで、「社会がおかしい」というふうに徐々になっていくのが健全なように思われるが、日本人はなぜか「自分がどれほど酷い目にあったか」という応酬に向かう。

そして、おそらくそう言った反応を見ている世の中の「残業を100時間やっていて辛い思いをしている人」は「私がおかしいんだ」と思い直している可能性が高い。

3.心理カウンセラーを筆頭とした「自分」を「社会」に適応させるケア

最後は盲点かもしれない。

私もハンナアレントの言説で気づいた。

日本では、ケアの段階でも社会に無理やり適応させようとする。

「治療」という形で、全体主義運動に組み込もうとするのだ。

心理学は私たちを「救済」しようとするのだろうが、それは心理学が、私たちがそうした情況に「順応」する手助けをして、私たちの唯一の希望を、つまり砂漠に生きてはいるが砂漠の民ではない私たちが砂漠を人間的な世界に変えることができるという希望を、奪い去ってしまうということを意味しているのだ。心理学は全てをあべこべにしてしまう。私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。

ハンナ・アレント『政治の約束』

「こうしたら社会に適応できるよ」という心理学を筆頭としたアカデミズムのスタンスをハンナアレントは批判しているが、これはかなり的を射ている。

ケアをする場所すらも全体主義運動への参画を促すものだとすると、もう我々に逃げ場はないのだろうか。

恐怖である。

3.この絶望的社会の中であなたが頼れる唯一のもの

宗教、道徳など多くのものが荒廃した現代社会において我々が真に今信ずることができるものはなくなった。

その砂漠とも言える中で我々が手にしたのは誰かが過去に作った「偏見」であった。

この「偏見」は、時代のある地点では、適切であったのかもしれない。

しかし、その「偏見」が今やむしろ害をなすものでしかない状態においても寄る辺のない我々は藁をもすがる思いですがっている。

それが自分自身に刃を向けていると薄々知りながら、、、

ハンナ・アレントはいたるところで、全体主義化する現代に生きる人へどのような救いの道を提示したかを最後に紹介したい。

まず、彼女は、人間は自分自身を過小評価しすぎだと述べた。

人間とは、なんらかの「基準(偏見)」がなければ、何も判断できない愚かな動物ではないのである。

自分自身の内なる良心をもっと信頼すべきだということを彼女は言ったのだ。

アレントはカントの言葉を引用しつつ以下のように述べる。

かつてカントは次のように述べている。すなわち、私たちは美や趣味について「議論する」ことはできないが、自分の意見を主張したり賛意を示したりすることは間違いなくできると。私たちは日常生活においてそのことをちゃんと承知している。例えば私たちは問題の情況はあまりよく判らなくても「この人の情況判断は正しい」とか「あの人の状況判断は間違っている」などと言ったりするのである。

ハンナ・アレント『政治の約束』

*カントは、これを「アプリオーリな統合判断」と述べたり、「人間は行動し始めたときから一人の立法者」という表現を用いて説明している。

世の中がいかに「正しい」とみなそうと、何度も冷静に考えてみて「何かがおかしい」と今あなたが感じているのは「おかしい」のである。

その「おかしい」世界に慣れ親しむことが最もしてはいけないことだ。

私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。

ハンナ・アレント『政治の約束』

  • これが社会で生きるってことなんだな
  • 俺の頑張りが足りないだけ
  • ネットや友達にはもっと辛い思いしてる人がいるし俺がダメなんだな

これこそ終わりの始まりである。

あなたの感覚は思ったより「まとも」だ。

 「正気かどうかは統計上の問題ではない」このことばには深遠な叡智が含まれているような気がした。

ジョーオーウェル『1984』

おもしろきことなき世を面白く

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