私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【最後通告】そのくだらない人間関係はいらないから断捨離せよ

約 7 分

あなたはこれを見る前に何をしていただろうか?

 

 

楽しかっただろうか?

 

 

そうかそうか楽しかったか。

おそらく明日も明後日もそうやって過ごすのだろう。

 

 

開いてもらったところ恐縮だがこの記事はあなたを不快にさせるので読まない方がいいかもしれない。

 

 

これから私はあなたの生き方を徹底的に否定するからだ。

もちろん内容はタイトルに書いた通り、「そのくだらない人間関係いらないから断捨離せよ」だ。

 

 

人間関係の重要性は、すべての人が盲目的に信じ込んでいる事項の中で、これに切り込むことはなかなかハードルがあることは自認している。

 

 

 

ただ、あなたは人間関係をバカみたいに増やしたことで多くのものを失っていることを私は伝えたい。

 

 

その核心の一つが「思考」する力だ。

あなたは人間関係断捨離しなければ「思考」できない人間となるのだ。

 

 

今日は「思考」をテーマに人間関係断捨離する必要性について書いていきたい。

 

  1. 「思考」とは何か?
  2. 「思考」できる人間と「思考」できない人間の特徴
  3. 人間関係がいらない理由

 

1.「思考」とは何か?

私が今回のべる「思考」はあなたが思っている思考力とは違うかもしれないし、そもそもこの言葉の定義自体が単一ではないと思うので、ある程度了解を取ってから本題に入りたい。

思考とは、沈黙の対話における<一人のうちの二人>であり、これが意識に与えられた私たちのアイデンティティのうちの差異を現実のものとします。そして思考はその副産物として良心を生み出します。そして思考が解放する効果を発揮するとすれば、判断力はその副産物としてこれを<現れの世界>のうちで輝かせます。この<現れの世界>ではわたしは孤独であることはなく、思考するにはいつでも忙しすぎるのです。思考の<風>のありかをはっきりと示してくれるのは知識ではありません。善と悪を区別し、美と醜を区別する能力として、その力を示すのです。そして少なくともわたしにとっては、思考は危機の稀な瞬間において、破滅的な結果を避けるために役立つものなのです。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

難解な文章がハンナ・アレントの厄介さでもあるので、ここでは私なりに咀嚼したものを述べる。

 

まず、「思考」とは、孤独の世界で自分の中にいるもう一人の自分と対話し、一つの「良心」を生み出す行為である。

 

 

ここで述べている「良心」は、具体的には物事の善悪や美と醜を判断する際に、役立つ力である。

 

そしてこの「思考」によって培った「良心」は時として危機的な状況を救ってくれる素晴らしい力を持つのだ。

 

 

 

逆に言えば、社会(人間関係)にどっぷり浸かっている時、私も漏れず、真に「思考」することは難しい。つまり、人間関係が多いと「思考」できないのだ。

 

 

 

 

これが何を引き起こすのかというと、もしそこにある慣習や価値観が人を悪へ誘う可能性があったとしても気づくことができず、「悪意なく悪人となる」可能性がぐっと高まる。

 

 

 

では、この「思考」の重要性をさらに知る意味でも、「思考」できる人間と「思考」できない人間を比べてみたい。

 

 

2.「思考」できる人間と「思考」できない人間の特徴

まず結論から言うと「思考」できない人間でも日常で困るわけではない。

そしてそれなしで生きるのは簡単なことです。そのためには、孤独な状態での無言の対話(それを私たちは思考と呼ぶわけです)を始めず、自宅に戻って物事を吟味しないだけで良いからです。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 

ただ、「思考」しない人間は、明快に危険人物なのだ。

なぜなら「物事を疑わないことで、時としてあまりにひどい価値観を取り込んでしまうから」である。

 

それを先ほどは「悪意なく悪を為す」可能性があるという書き方をした。

 

思考しないことにも固有の危険性があるのです。人々を吟味の危険から隔離してしまうと、それがどんなものであっても、その時代にその社会で定められた行動規則に従うように教えることになります。人々が慣れ親しんできたのは、規則の内容でも、特定の事例を包摂する規則を所有することでもないのです。・・・ということは、人々が慣れ親しんでいるのは、自分で決める必要のない状態だということなのです。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 

一方で、「思考」している人間は何をしているのか?

 

 

それは、すぐに取り込むことを拒み、一人の時に落ち着いて確立された慣習や価値観を疑う時間を取るのである。

そして、じっくり考えた上で、取り入れるかを決定する。

 

思考が価値を作り出すことはなく、何が「善であるか」を発見することも決してありません。そして思考は、社会で受け入れられている行動規則を確認するのではなく、解消してしまうのです。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 

もちろんこの「思考」は役に立たないことも多い。

だから、「思考」する人間は社会では「狂人」「異端児」「変人」と呼ばれる。

 

 

 

 

ただ、この「思考」する人間だけが社会にある本当は危険なデタラメに気づく可能性があるということをここでは繰り返し強調しておきたい。

 

 

ちなみに補足すると、受験で言われる「思考力」とはここでは全く意味が違う。

どれだけの知識をつけているかはその人の「思考力」には関係ない。

経団連所属の大企業にいようが、起業家であろうが、テレビスターであろうが、「思考」しない人間は山のようにいる。

思考する能力が欠如していることは、愚鈍を意味しません。高度に知的な人物においても、思考の能力が欠けていることがあるのですし、邪悪が思考の欠如の原因となることはほとんどありません。それに考えのなさと愚鈍さは、邪悪さと比較するとはるかに頻繁に見られる現象です。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

3. 人間関係がいらない理由

現代はまともな価値観や道徳観が本当に消え失せてしまった時代だ。

 

  • 大手企業に入った人間が賢い
  • 飲み会に行かない奴はダメ
  • 週末は合コンね
  • 「俺も昔はそうされたから」と言う理由で行われる理不尽という名の奴隷道徳
  • facebookで友達が少ない奴はスペックが低い
  • LINEをやらない奴は人間じゃない

 

だからこそ、上記のようなぽっと出の価値観に多くの人がすぐに飲み込まれる。

 

 

この現状には以下のような「悪魔のサイクル」が存在する。 

  1. 人間関係が多い
  2. 「思考」する時間がない
  3. 「悪意なき悪」を為す

(無限ループ) 

  

 

 

もちろん社会で生きるということは、誰かとの人間関係において生きることだ。

だから0にしろとはいっていない。

 

 

しかし、現代人はあまりにくだらない人間関係を増やしすぎたことで、病気が取り返しがつかないレベルで進行している。

 

タチの悪い人間で溢れているのだ。

 

ほとんどすべての哲学者は、悪とは単なる欠如であり、否定であり、規則からの例外であると考えてきたのです。プラトンにさかのぼる推論の最も危険で、最も顕著な誤謬は、「誰も意志して悪を為す人はいない」という命題が、暗黙のうちにその結論として「すべての人は善を為すことを望む」を含んでいると考えることです。しかし悲しいことに、善を為すとも悪を為すとも決めることのできない人間が、最大の悪を為すのです。

ハンナ・アレント『責任と判断』 

 

そのタチの悪い人間とは、もちろん、「根っからの悪人」ではない。

「善を為す」とも「悪を為す」とも考えていない人間だ。

 

ハンナ・アレント最も警戒すべき人間の特徴とは凡庸な人間であると述べたのはこういう背景があったのだ。

 

 

だからこそ、あなたが人間関係断捨離する意味は二重である。

  • 「思考」できる時間の確保
  • その「思考」により「人間関係は重要」に関するイデオロギーを全て疑うこと

 

 

 

これで良いサイクルができるはずだ。 

早くそのくだらない人間関係断捨離しなければ、あなたが悪意なき悪人になる日は近い。

 

おもしろきことなきことを面白く

 

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