私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

SNSとは一体何だったのか?ーSNSに疲れた人へー

約 6 分

*本記事は日本中のほとんどを敵に回す内容です。ご注意ください。

 

 

電車に乗ると今や低く見積もって7割、多い場合は、9割近い人間がスマホを触る時代となった。

 

彼らが何に夢中になっているのかというとゲームかもしくは今回テーマにするるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)だ。

 

e-wordではSNSについて以下のように説明している。(抜粋)

世界的には、初期に登録資格を有名大の学生に絞って人気を博し、その後世界最大のSNSに成長した「Facebook」(フェースブック)や、短いつぶやきを投稿・共有するマイクロブログ型の「Twitter」(ツイッター)、写真の投稿・共有を中心とする「Instagram」(インスタグラム)、ビジネス・職業上の繋がりに絞った「LinkedIn」(リンクトイン)などが有名である。

 

以下のようなものをSNSというようだ。

 

 

 

今や多くの人がコミュニケーションをとったり情報収集をするためにこれを利用するという。

 私も2年ほど前まで毎日使っていた。

 

しかし、ある日を境に辞めた。

辞めることで、多くのことが見えてきた。

 

そこには「恐怖」としか言えない事実があったのだ。

 

 

今日は、そういう背景のある私から見たSNSとは一体何だったのかをお話ししたい。

  1. SNSとはなんなのか
  2. SNSの問題点 
  3. SNSはとっとと全部やめる方がいいと私が思う理由

 

 

1.SNSとはなんなのか

まず私の分析によれば、世の中の人間は2種類に分けることができる。

 

  1. 卓越した人間
  2. 凡庸な人間

 

この中で、SNSを商業目的で使う人間を除けば、2つ目の人間が主なSNS使用ユーザーである。

 

 

これだけを書けばもはや説明は不要なのだが、99.999%凡人しかいないSNSからあなたが人間的に成長できる要素は皆無である。

 

 

SNSとは、凡人のために作り出した「もう一つの幻影世界」なのである。

 

 

ここで、凡人とは何かについて書いておこう。

よく誤解を生むのだが、収入の差や職位の差ではない。

 

 

凡人とは「すべての人」と同じであることに、苦痛を覚えるどころか快感を覚える人だ。

大衆とは善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。

オルテガ『大衆の反逆』

 

 

彼らは、何かをきっかけに山へ登ることを諦めた。

代わりに、「自ら」であることを諦め平地で「みんな」と同化するために「いいね」を集めることに腐心した。

 

自己自身を失うという最大の危険が、世間では、まるで何でもないことのように、いとも平静に行われているのである。

キルケゴール死に至る病

 

自己自身を幻影を見せ続け、その中を死ぬまで泳ぎ続ける。

 

 

2.SNSの問題点

SNSの問題の本質をもう少し掘り下げたい。

 

SNSが恐るべきなのは、途方もない嘘に支えられている点にある。

 

 

その嘘とはもちろん「繋がりは多い方がいい」というものだ。

 

この途方もない嘘のせいであらゆるデタラメが「なぜか正しく見える」という奇妙な状況が生まれてしまっている。

 

ヒットラーは嘘というものは法外なものである場合にのみ効果を挙げ得ると数百万部も刷られた本の中で宣伝した。法外というのは、事実の連関全体はそのままにしておいて個々の事実を否定する・・・ような小細工をせず、事実全体を歪めてしまって、その結果、個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界の代わりに一つの仮構の世界を作り出すようにするということなのである。

ハンナアレント全体主義の起源』

 

「繋がりは多い方がいい」という大嘘を置くことで、個々の小さな嘘の論証が一切不要となり、大嘘を議論の出発点としてあらゆるデタラメを「正しい」と主張できる別の世界を作り上げられるのだ。

 

 

例を挙げよう。

 

「繋がりは多い方がいい」→「LINEは素晴らしい」

「繋がりは多い方がいい」→「Facebookでたくさん友達がいた方がいい」

「繋がりは多い方がいい」→「Facebookとりあえず交換しようぜ!」

 

 

この前提がない人間からすると迷いなく「SNSとはあらゆる面で単なる時間の無駄」と一蹴できるのだが、全体主義運動に飲み込まれた人間たちは、そうはいかない。

 

 

 

あなたの議論の前提に常に「繋がりは多い方がいい」が付きまとうのならばもうそこはどこか別の作り上げられた世界にいることを示してしまっている。

 

・・外部にあるあらゆる真理は、それが人々に善をもたらそうと悪をもたらそうと、文字通り非人間的なものです。それが、人々を相互に対立させ、人々を離反させるおそれがあるからではありません。むしろ、それが突如としてすべての人間を単一の意見に結び合わすような結果を生み出す恐れがあるからであり、その結果、無限の多様性を持った人々ではなく、単数の人間、一つの種族とその類型だけがこの地上に住んでいるかのように、多数の意見の中の一つだけが浮き上がることになるからです。

ハンナアレント『暗い時代の人々』

 

 

 

SNSをやめたくてもやめられないという人がその典型であろう。

その原因はこの思考の出発点が書き換えられているからだ。

 

 非常に危険だ。

次にそこから脱出する方法を書いていく。

 

 

3.SNSはとっとと全部やめる方がいいと思う理由

結局、 すべて逆なのである。

これほどの大嘘があふれる中で、真に「自由」であり、「偉大」であることを目指すには孤独になるしかないのである。

 

 

LINE Facebook Twitter Instagram

すべて例外なくいらないのである。

 

確かに、幻影に魅せられる人生もそれはそれで幸せになのかもしれない。

 

だが、偉大なことを人生において完遂したいと考えるのであれば、生を無駄に使っている時間はないのだ。

その幻影の世界には傑出したものを生み出す力は何もない。

  

奴隷の幸福をまぬがれ、神々とその崇拝から解放され、恐れを知らず、他からは恐れられる偉大な孤独者、—こうしたものでありたいというのが、真実に生きるものの意志なのだ。

ニーチェツァラトゥストラかく語りき』

 

 

あなたは騙されている。

 

 

正気かどうかは統計上の問題ではない。

その数の多さに紛わされてはいけないのだ。

 

「正気かどうかは統計上の問題ではない」このことばには深遠な叡智が含まれているような気がした。

ジョーオーウェル『1984』

 

 

くどくなってしまうが、一度孤独にならなくてはならない。 

そして、本来の自己を取り戻さなくてはならない。

 

万人がいつも絶えず哲学しているわけではなく、多数の人々とか、せめて幾人とか、ごくわずかの人々とかいうのでさえなく、ただ時折ひとりずつ、まったくの例外的人間だけが哲学しているに過ぎない、と言う事実である。

 

そのほかの人々はと言えば、彼らはこの夢の中で漫然と暮らしていて、その有様は動物たちとたいした違いもなく、その相違は結局のところ、わずか二三年先を見越して思い煩っているくらいのところである。

ショーペンハウエル『知性について』

 

凡庸なレールの上を走り、つかの間の快楽と自虐に終始する人生を送りたいのでなければ、今がやめるときだろう。

 

 

おもしろきことなき世をおもしろく

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