私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【第二回】日本に於ける「一流の男」、「一流の女」の条件-英語をやるより勉強すべきこと-

約 9 分

今日も、前回に引き続き「俺、海外行きいたんす!行ってグローバル人材になりたいんす」という頭の悪いグローバル人材志望者向けに記事を書いていく。

 

これを書こうと考えたきっかけは、「グローバル社会」と世間が騒いだ結果、上記のような「取り返しがつかない」方向に向かう人間たちが改心するきっかけをもたらす必要性にかられたからである。

 

* 前回記事はこちらをご覧ください。

www.shinsaku-takasugi.com

 

 

「グローバル企業」に行けば、「グローバルに活躍できる」と勘違いしている馬鹿が増え、TOEICで何点取れば「グローバル人材」と考えている馬鹿も増えている。

 

病気である。

 

真にグローバルで活躍できる日本人とは、疑いもなく、日本の伝統や歴史に精通している人間である。

 

*誤解をして欲しくないので、あらかじめ注意しておくと以下のようなものを「古典や歴史を学んでいる」とはいわない。

「1982年に織田信長が本能寺で、、、」

徒然草の作者は兼好法師!」

 

ある程度私のスタンスを聞いた上で、興味がある人だけ本記事を読んでいただきたい。

 

 

 

二回目の今日は、日本人はどういう人間を「いい男」「いい女」と考えるのかについて考えていきたい。

  1. 男性と女性にとって最大級の褒め言葉
  2. 「いき」な人とは
  3. どうして「いき」な人が減ったのか

 

*これを読むことで、以下のことを考えるヒントになればと思う。

 

  • 自分がどういう人間であるべきか
  • どういう人間と親しくすべきか

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1.男性と女性にとって最大級の褒め言葉

突然だが、以下の質問にどう応えるか考えて欲しい。

 

(あなたが男の場合、)「理想の女性」とはどういうものか?

  • フェミニストだろうか?
  • 絶倫だろうか?
  • 「結婚したら家庭に入りたいの」と言う女子だろうか?

 

 

(あなたが女性の場合、)「理想の女性」とはどういうものか?

  • 年収600万だろうか?
  • 大手企業勤めだろうか?
  • 身長180センチだろうか?

 

確かにそういった個別的条件は大切かもしれない。

 

しかしながら、これらはすべて、テレビやら結婚相談所やらの狡猾なプロパガンダによって刷り込まれたものでしかない。

 

 

「核心ではない」ということだ。

 

 

 

 

日本人にとって理想とされる男性像と女性像はある1つの言葉で言い表すことができる。

 

 

 

それは「いき」な人である。

 

聞く回数は減ったかもしれないが、あなたもこの言葉は聞いたことがあるだろう。

 

 これは江戸時代以降、性別を問わず、相手を大いに賛美する際に使われるようになった言葉である。

 

 

 

実は、この「いき」という言葉は日本特有の言葉だ。

海外にこれに該当する言葉はない。

 

「いき」に該当する語が西洋にないという事実は、西洋文化にあっては「いき」という意識現象が一定の意味として民族的存在のうちに場所を持っていない証拠である。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

 この「いき」な人になろうとすることこそが、「グローバル社会」において日本人として確固たる地位を築き、尊敬される人間となれる方法だ。

 

 

 

では早速、「いき」な人がどういう人か紐解いていきたい。

 

2.「いき」な人とは?

では「いき」な人とはなんなのか?

 

九鬼周造は定義化することを嫌っているが、あえて書くならという意味合いで、以下のように「いき」を定義している。

 

運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

ただ、「いき」の本質自体は、個別的な具体例を重ねてみることによってしか理解されえないようだ。

 

文化存在の理解の要諦は、事実としての具体性を損なうことなくありのままの活ける形態において把握することである。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

 

 

だから、私は、「いき」を理解していただく意味でも、具体的な例を列挙しつつ、以下の説明の解釈をしていきたい。

 

運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

  1. 「諦め」
  2. 「媚態」
  3. 「意気地」

 

この三つがキーワードである。

 

 

 

まず1つ目の「諦め」という言葉だが、これは「give up」という意味ではない。

「悟り」という言葉に近いと私は考えている。

 

運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

 

この例が適切かどうかわからないが、以下のうちどの女性を男が好きかを考えて貰えば理解いただけると思う。

 

  1. 「うわっ。男って勃起するんだね。きもちわるーい」
  2. 「あんた変態ね。まあ男って結局、性欲だけで動く猿なんだろうけど。」
  3. 「〇〇くんもっとエッチな事しよー」

 

 

 

確かに、ワンナイトなら3なのかもしれない。

だが、ずっと一緒にいるという事を想定した場合、2の女性が最もいいのではないだろうか?

 

 

 

女性のパターンもあるが、あまりこの例に時間をさくと文章が長くなるので、この辺にしておきたい。

 

 

 

この例で、私が示したいのは、「確かに理想はある。ただ、その理想は現実にはありえない」ということをある種悟っている「諦め」こそが日本人にとって「素晴らしい」と考えられているのではないかということだ。

 

 

 

続いて、2つ目に移ろう。次は「媚態」である。

この言葉はあまり日常的に使うものではないが、「なるほど」と思わせる説明を九鬼周造がしている。

 

媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

 簡単に言えば、「妄想」の余地がある状態を「素晴らしい」と述べているのだ。

 

 

「秘密がある」と言い換えてもいいかもしれない。

 

媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命を持ったものである。永井荷風『歓楽』のうちで「会陽として、得た後の女ほど情け無いものはない」と言っているのは、異性の双方において活躍していた媚態の事故消滅によって齎された「倦怠、絶望、嫌悪」の上を意味しているに相違いない。

九鬼周造『「いき」の構造』

 

 

すべてが明らかになってしまうと「倦怠、絶望、嫌悪」につながると彼は述べる。

これはうなずけるのではないか。

 

 

何か「知りたい」と相手に思わせ妄想させ続けられる人間

 

 

こう言った人を「素晴らしい」と我々は感じるようだ。

 

 

植島啓司さんという方の『官能教育』という本にも似たようなことが書いてあった。

男女間の「マンネリ化」を防ぐためには「肉体関係」まで行かない恋愛の仕方があってもいいのではないかというものだ。そうすることでドキドキが続くと書かれている。巻末にリンクを載せたので、よければ読んでみてほしい。

 

 

  

最後の「意気地」に移ろう。ただ、これは説明が前二つと比べて一筋縄にはいかない。

なぜなら、九鬼周造はこれを「江戸文化の道徳的理想」と書いてしまっているのだが、これが含蓄することが多岐にわたるからだ。

 

意識現象としての存在様態である「意気」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。

 九鬼周造『「いき」の構造』

 

 

 

まあ一言で言うと、江戸文化の道徳的理想とは、「武士道」精神である。

「いき」のうちには溌剌として武士道の理想が生きている

 九鬼周造『「いき」の構造』

 

 

残念ながら、「武士道」はもちろん一言では言い表せない。

おそらく新書になってしまうくらいの文字数が必要となるだろう。

 

 

ただ、何も書かないというのも味気がないので、新渡戸稲造によって定義された「武士道」の徳目を書き記すことでこの場を収めたい。

 

  1. 名誉
  2. 忠義

 

これら7つを備える度合いによってその人が「いき」と呼ばれる要因となる。

 

なかなかハードルが高い笑

 

これを完全に備える人などいまい。

 

 

 

だから、前向きにこれを捉えるとこういった「武士道精神」を追い求める姿勢こそが大事だという解釈をするのが適切であろう。

 

長くなったので、私なりにまとめよう。

 

 

 

我々にとって「素晴らしい」とされ、「一流の証」でもある条件とは、

 

世の中の消滅しえない悪徳を受け入れつつ(諦め)も、理想を追い求め続け(意気地)、周囲からあの人について「知りたい」と思わせる魅力及び秘密を持つこと(媚態)である。

 

九鬼周造も言ったように「普遍化」しえない概念であることはご理解いただきたい。

 

3.どうして「いき」な人は減ったのか?

「いき」という言葉は残念ながら、昨今は聞く回数がめっきり減ってしまった。

 

 

最後にその理由について考えていきたい。

 

時代によって言葉は移りゆくものだから仕方ないとも言えるが、ひとえにそういう人が減ってしまったからだというのが私の考えだ。

 

例えば、街行く男の生き方というのはそのほとんどが以下の箇条書きで説明がつく。

 

  • 平日の夜は和民で飲み会や合コン
  • 飲み会がない日はプロ野球素人評論家
  • 朝の満員電車では、ポケモンGO
  • 休日は、同僚とゴルフ。その後ビールで一杯
  • ゴルフがない日は家族サービスでマクドナルド

 

 

 

どこに「いき」があるのだろうか?

秘密があるとすれば、頭のハゲ具合や内臓脂肪の深刻な数値くらいだろう。

 

 

 

 

 

こういう話をすると

 

 

「お前完璧な人間ズラするなよ。お前もマクドナルドに行けよ」

 

 

 

と言われそうなので、それについて反論を述べたい。

まず私はマクドナルドにはいかない。

 

なぜなら、完璧でなかろうとその完璧を目指す人間でありたいからだ。

 

 

ただ、大衆はというとそうはいかない。

 

ニーチェも言っていたが、頭のおかしい人たちは、総じて相手を堕落させることで自らの安堵を得ることに腐心する。

 

だから真面目な顔で「マクドナルドにお前も行けよ」と恫喝するのだ。

 

 

 

 もう一度だけいっておくと、

 

 おそらく、先ほど書いたものを全て兼ね備えている人間などいまい。

ただ、先ほどあげたものを目指すことこそが一つの「いき」な姿だと私は考えている。

 

  

 

オルテガの分類する第一の人間のタイプに我々はならなくてはならない。

 

人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外の何物でもなく、したがって自己感性への努力をしない人々、つまり風の間に間に漂う浮標のような人々である。

オルテガ『大衆の反逆』

 

おもしろきことなき世を面白く

 

*『武士道』も『いきの構造』もまんがで読破シリーズがあるのでまずは漫画からでも読んでみるといいかもしれません。

 

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