私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【第一回】日本企業における意思決定の遅さのルーツ-英語をやるより勉強すべきこと‐

約 8 分

「日本人は英語が本当にダメ」

 

「英語教育をもっとしっかりと」

 

「日本人は英語をもっと勉強しましょう」

 

 

多くの知識人たちが勘違いに勘違いを重ねこの言葉を連呼している。

 

 

f:id:zyunn14641:20160910154619j:plain

f:id:zyunn14641:20160905154337j:plain

 

 

ただ、英語が話せれば、解決するのかというとそうでもないのは明快だ。

 

 

というのも、私の周りには、「TOEIC-点」「-に2年留学」といった「グローバル人材(笑)」がたくさんいるのだが、、、、

 

 

 

心の底から「お前は、頼むから日本国のために英語を話せないでくれ」と思うことが多いのだ。

 

 

 

 

彼ら・彼女らは、国際的な交流にあたってなんら深い会話ができない。

 

 

外国人は好奇心からか相手を試すためからか不意に以下のような質問をよくする。

あなたは答えられるのか?

 

  • 神社と寺の違いは何なの?
  • なぜ日本は明治維新を戦争なく行えたの?
  • なぜ日本企業はこれほどに意思決定が遅いんだい? 

 

こういったものは、いくら語彙や文法を知っていようと答えられない。

日本の文化や歴史に精通することなくして答えることはできない。

 

 

 

そこで、相手に失望されないためにもある程度「日本人とは何か?」について見識を深めておく必要がある。

 

 

そうはいっても日本人とは何か?は残念ながら一言では言えない。

なぜなら、民族とは「歴史の積み上げ」によってできているからだ。

 

 

ただ、少しずつ学んでいくことでその民族特有の「癖」は少しずつ見えてくる。

 

 

 それがあなたがcommunication competenceを身に着ける前にするべきことだと私は言っている。

 

 

私の役目はというとあなたが「日本人とは何か?」を学ぶきっかけを提供することだと考えている。

 

 

f:id:zyunn14641:20160911152243j:plain

 

そこで、不定期ではあるが、身近な話題をテーマに「日本人とは何か?」について学ぶことができる記事を数回にわたって書いていくことにした。

 

 

 

第一回は「日本企業はなぜこんなに意思決定のスピードが遅いのか」をテーマにした。

 

結論から言うと「皆平等という意識」が強くアイデンティティに刷り込まれており、集団による了解を得ることなしに物事を進めることに違和感を感じる民族だからである。

 

 

詳細は順を追ってみていこう。

 

  1. 意思決定の際の「皆平等」(民主主義)意識はかなり昔からあった
  2. 誤解されがちな多数決が「正しい」といわれる根拠
  3. 坊主の初めた多数決がなぜいたるところに浸透したのか

 

 

1.意思決定における「皆平等という意識」(民主主義)は昔からあった

日本企業というのは、もちろん個々に差はあるがとてつもなく意思決定に時間がかかると海外の人はよく言う。

 

実際、「価格交渉」で一ヶ月なーんてこともざらであるし、契約書を作るのに何か月もかけていることもある。

 

 

決定者がある人間に一任されていれば、すぐに決まる話なのにと思った人は日本人でも多いのではないか。

 

 

おそらく建前の決定者はいる。組織としてディシジョンメーカーがいないことなどありえない。

 

 

だが、日本企業でそういった即決判断を目にすることは極めてまれであろう。

 

 

これは、先ほど触れたが民族的に「トップダウンによる意思決定」に抵抗があり、民主主義的に決めたい(そういった空気を作りたい)という心理がアイデンティティに刻まれているからではないかと私は考えている。

 

 

前置きが長くなったがこれについて理解を深めるために、日本型民主主義のルーツを本記事では紹介していきたい。

 

 

日本で平等選挙、民主主義という概念はいつ現れたか?ときかれた時にあなたはいつごろだと答えるだろうか。

 

デモクラシイについて教科書で学んだ人は以下のような理解をしているかと思う。

———

 

世界で初めてドイツのワイマール憲法がデモクラシイの概念を取り入れた。そしてそのあと日本で、大正時代に「大正デモクラシー」という言葉が流行り普通選挙法が施行されたあたりから浸透した。

だから、総じてここ数百年ほど(近代以降)の間に現れてきた概念だ。

 

———

 

教科書的に見れば、民主主義の考えは、西洋が発生源で日本は後から輸入したと考えられている。

 

ただ、どうもこの「近代以降に民主主義は発生した」という教科書的な考えは正解ではない。

 

つまり、民主主義はこの時代に急に始まったのではない、民主主義のルーツはもっと昔にあったのだとということだ。

 

こういった(外国からあるイデオロギーが持ち込まれた)場合、古い文化的蓄積の中からそれと共通するものが「掘り起こされ」、それが外部から来たものと「共鳴する」。この場合、共鳴したものは受容されるが、共鳴しないものは受容されない。したがって日本の民主主義といっても、それは共鳴現象だからアメリカと同じとはいえないが、まったく違うともいえない。一方、キリスト教のほうは、共鳴する文化的蓄積が無かったか、宣教師が日本を知らなかったため、共鳴する蓄積を見出しえなかったか、のどちらかであろうと。

山本七平『日本人とは何か』

 

()内は私の補足

 

 

では、「皆平等」とする民主主義の概念は本当はいつ始まったのか?

 

 

 

 

それを理解するうえで注目すべきキーワードは「出家」である。

 

 

なぜ、「出家」がキーワードかというと俗世間から離れたこの領域が唯一「自由な投票」や「個人」としての投票行為が発生しえたからだ。

 

 

 この場合、もっともそれが行いやすかったのは「出家」のはずである。僧は原則としてこの世の社会のあらゆる「縁」を断ち切って「出家遁世」し、「個人」となって僧院に入り、平等な立場でブッダに使えているはずだからである。

山本七平『日本人とは何か』

 

 

もちろん実際には、組織の中には上下はあっただろう。そして、組織の長は人事権なども持っていたはずである。

 

ただ建前上ブッダの前では皆平等なので全員で会議をし、多数決で何かを意思決定するという方式があってもおかしくはない。

 

 

実際、延暦寺では3000人での集会による秘密投票がおこなわれていたことが『平家物語』に詳しく書かれているので興味があれば見てほしい。

 

 

この坊主たちの間に民主主義的意思決定プロセスがあったことは驚くべきことである。 

 

 

ワイマール憲法交付よりずいぶん前の13世紀ー14世紀ごろには日本に民主主義の考えがあったということになるからだ。

 

 

それほどまでに民主主義というものの歴史は我が国においては深いということだ。

 

 

 

これほど長い歴史がある伝統に対して「今日からトップダウンね!」と組織の紙面図をかえたところで変われない事を推測するのは難しくないだろう。

おそらくマッキンゼーのコンサルが泣こうがわめこうが変わらない。

 

 

2.誤解されがちな多数決が「正しい」といわれる根拠

ここで、多数決という意思決定の方法がなぜ日本(の寺社)において受け入れられやすかったのかを別の角度から見てみよう。

 

 

結論から言うと、それは、多数決が「正しい」とされる根拠自体を知ることでわかる。

 

 

よく「多数派が賛成しても正しいとはいえない」ということがよく言われる。

 

 

ただ、これは山本によると多数決原理発生の原因を忘れてしまった議論らしい。

 

 

「多くの人が賛成したから正しい」という「数の論理」で多数決は成り立っているという認識は誤りだ。

 

 

多数決の「正しさ」は宗教性に基づくのである。

 

 

 ・・・これはあくまでも神意を問うのだから、「親が・・・、親類が・・・・、師匠が・・・・」といったようなこの世の縁に動かされてはならない。それをすれば・・・神意は現れてくれない。

 

このような信仰に基づけば、多数決に現れたのは「神慮」「神意」だから当然に全員を拘束し、これを違反することは許されないようだ。

山本七平『日本人とは何か』

 

 

多数決には神の意志が現れるという考えが多数決の「正しさ」のよりどころなのである。

 

 

 決して「数の論理」ではない。 

この宗教っぽさが坊主たちにとってはおあつらえ向きだった。

 

 

3.坊主の始めた多数決がなぜいたるところに広まったのか

 

ただ、ここで一つの疑問がわくであろう。

 

「坊主のことなんて俺らに関係ねえ」ということだ。

 

実は、無関係ではない。

 

 

これは実は、日本の坊主が武装する集団だったことと関係がある。

 

 ここからは多数決の正当性の根拠が神意からややずれてくる。

 

 

 

当時の僧兵たちはお経を唱えるだけではなかった。

 

保有する武力を背景にし「多数派の論理」を公家に出すことで支配力を増大する試みを行っていたのだ。

 

「俗世間と縁切れてないやん」と突っ込みたくなる次第である。

 

 

 

そこで、武士は手をこまねいているわけにはいかない。

武士も多数派を構成し軍事力に裏付けされた形で対抗するしかなかった。

 

 

 

こうして、多数派による正当性の主張、平たく言えば数の暴力による連帯が坊主以外にも広まっていた。

 

 のちに一揆という形で農民にも広まる。

 

*小ネタだが坊主がどれほど徒党を組むことで強力であったかは織田信長本願寺を鎮圧するのに10年かかったことからもわかる。これは、武田や浅井といった大名の比ではない苦戦ぶりである。

 

 

4.終わりに

日本企業の意思決定の遅さは何ゆえかは歴史を見ればわかるということを私は述べてきた。

 

そして、その意思決定の遅さの背景には、「多数派をおさえることが支配においては必須」という思想が日本人のアイデンティティに強く組み込まれているからだということが私の結論である。

 

 

もちろん、時代による変化はある。

当初はその権威は神意に基づいていたが、やがて武力へ移行し、現在はその名残だけが残っているといったところか。

 

 

誤解してほしくないが、今書いたことだけが意思決定のスピードに関わるとはいえない。

ただ、何かを考えるヒントになれば幸いである。

 

おもしろきことなき世を面白く

 

 

f:id:zyunn14641:20160911151021j:plain

Amazon CAPTCHA

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)