私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】なぜ働きたくないという心理や理由は生まれるのか2

約 6 分

先週書いた「働きたくない」という理由についての記事に反響が結構あった。やはり誰しもが「働きたくない」と思ったことがあるのであろう。

この記事がきっかけで、私は「働きたくない」理由をさらに明らかにすべく、別の角度から哲学することを試みた。

そして幸運にも新しい一つの示唆を得ることができた。

前回は「労働」という概念の本質が「人々を働きたくない」という方向へと追い込むと書いたが、今回は追加コラムとして別の角度から「なぜ働きたくないのか?」のヒントをご提供できればと思う。

  1. 会社という集団が個人にどう作用するか
  2. 宗教心の希薄化が個人にもたらすこと
  3. 終わりに

1.会社という集団が個人にどう作用するか

働きたくない理由を掘り下げる上で、重要となる一つ目のキーワードは「集団」である。

会社とは人が集まり経済活動をおこなう集団だからである。

つまり、個人が一人でいるときには起こらなかったことが発生するのだ。

この集団の特質を突き詰めることで、「働きたくない」の理由を解明できる可能性がある。

ということで、群衆心理の分析を行ったギュスターヴ・ル・ボンの力を借りて考えていきたい。

ル・ボンは会社のような集団に個人が属した瞬間、あらゆる個人の個性及び知性が劣化すると述べる。

集団的精神の中に入り込めば、人々の知能、したがって彼らの個性は消え失せる。異質的なものが同質的なものの中に埋没してしまう。

ギュスターヴ・ル・ボン『群集心理』

個性及び知性が劣化するとどうなるのか?

責任能力の低下につながり本能にしばしば負けてしまうとル・ボンは述べる。

群集中の個人は、単に大勢の中にいるという事実だけで、一種不可抗的な力を感ずるようになる。これがために、本能のままに任せることがある。単独の時ならば、当然それを抑えたものでもあろうに。その群衆に名目がなく、従って責任のないときには、常に個人を抑制する責任観念が消滅してしまうだけに、いっそう容易に本能に負けてしまうのである。

ギュスターヴ・ル・ボン『群集心理』

本能のまま行動するというのが鍵だ。

これは次のチャプターにもつながってくる話だが、「働くという行動」をアプリオリ(生得的)にできる人はいない。

もしこれがアプリオリにできるのであれば、生まれた時から「ママ!働きたい!」というはずだからだ。

人間は本能のままに生きれば、食欲、性欲、睡眠欲を満たすだけであるので、道徳などにより「働くべき」という自己目的化を埋め込む教義が必要なのだ。

しかし、この教義的なものを粉砕するのが群集心理だとル・ボンは述べている。

少し小難しい話になったが、一言で言えば、集団が巨大化し個性の消失に伴い、人間は本能に身を委ね始める(働きたくないと考える)危険性が高まるということだ。

2.宗教心の希薄化が個人にもたらすこと

今しがた触れた内容とかぶってくるが「働きたくない」の理由をさらに探求するには、「宗教」がキーワードになってくる。

現在「宗教に入っている」とあなたが友達に言えば、友達はドン引きするという世の中だ。

それくらい、現代においては「宗教」は力を失い、人々にとって重要なものではなくなってきている。

(初詣やクリスマスは楽しむくせにね。。。)

しかし、この「宗教心」の衰退こそが、「働きたくない」につながっているのではないかというのが私の洞察だ。

ここは、宗教と勤勉の関係性を研究したマックス・ウェーバーの力を借りたいと思う。

ウェーバーによると、資本主義の原動力は貨幣などの可視化されたものではなく、人々の精神にこそあるのではないかとのことだ。

近代資本主義の拡大の原動力はなにかという問題は、まずもって資本主義的に利用しうる貨幣が何処から来たかではなくて、むしろ何にもまして資本主義精神の展開ということになのである。

マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

その影響度というのは賃金の上下操作とは比べ物にならない影響力があると彼は繰り返し述べている。

[工場の内部では]端的に高度の責任感が必要であるばかりか、少なくとも勤務時間の間は、どうすればできるだけ楽に、できるだけ働かないで、しかも普段と同じ賃金が取れるか、などということを絶えず考えたりするのではなくて、あたかも労働が絶対的な自己目的・・であるかのように励むという心情が一般に必要となるからだ。しかし、こうした感情は、決して、人間が生まれるつきもっているものではない。また、高賃銀や低賃銀という操作で直接作り出すことができるものでもなくて、むしろ、長年月の[宗教]教育の結果としてはじめて生まれてくるものなのだ。

マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

日本型資本主義の精神というものを山本七平さんが考察した著書があるが、日本人の勤勉の精神もまた宗教的なものであったと述べられている。

しかし、戦後日本はGHQなどによって宗教教育がどんどん衰退させられた。

そして現代の我々はこういった教義をおおよそ持っていない。

だから「働きたくない」という本能が露骨に表出しているのだ。

要するに、そのことが幸せかどうかは別にして、あなたの働きたくないは「宗教教育(プロテスタンティズム儒教精神)の欠如」によってもたらされているのかもしれないということだ。

* 少し補足したい

プロテスタントの教義は日本人に関係ないのではないか?ということについて

→日本の儒教浄土真宗系などの発想はプロテスタントとかなり似た教義を持っている。(禁欲の精神など)

*実際、内村鑑三新渡戸稲造と言った著名な人たちがプロテスタントに人生の中で改宗した。

3.終わりに

私は、人生の多くの時間を使う「働く」というものに対して多くの人が前向きに捉えられないこの世の中に疑問を持っている。

そしてそれを個々人月解決する事に役立てられればと思い、今回一つの示唆を出してみた。

その示唆とは、宗教教育の衰退に伴い、勤勉の精神が凋落した結果、群衆心理がもたらす知性の劣化にいとも簡単に敗北し、「働きたくない」という本能を露骨にあなたは抱いているというものだ。

宗教教育の減退と群集心理の加速によりパワーバランスが変わったのが現代なのかもしれない。

少し小難しい感じになったが、今回挙げたものはもちろん普遍的ではない。

ただ、あなたが働きたくない理由を考えるヒントになればと思う。 

この結論から我々がどう「働きたくない」を克服するかというのは難しいところだ。

強いて言えば、何らかの禁欲主義的宗教に入会するか本能のままに生活してもお金が手に入る方法を考えるくらいか。

おもしろき事なき世を面白く

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