私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】「自分は頭がおかしい?・・もしかして病気かも」と思った人が知っておくべきこと

約 7 分

突然であるが、この記事を開いてくれたということは

 

  • 頭がおかしいと言われたことがある。
  • 頭がおかしいと言われたが、社会の方がおかしい気がする。
  • 世の中一般の生き方が理解できない。

 

といった経験があるのではないだろうか。

 

 

 

 なぜそんなことがわかるのか?

  

それは私が、小中高大社会人とすべての領域において「狂人」「頭がおかしい」と言われた人間だからだ。

 

 

 

 

 

ただ、我々は諦めてはならない。

 

世の中一般が「おかしい」と考えることが「おかしい」とは限らないとジョージオーウェルは言った。

 

少数派であってさえ、いやたった1人の少数派であってさえ、そのことで狂人ということにはならない。一方に真実があり、他方にデタラメが有る。もし全世界を敵に回しても真実を手放さないのなら、その人間は狂ってないのだ。

ジョージオーウェル『1984』

 

 

 

 

だから私は諦めず、少数者として迫害されても考えることを続けた。

 

 

社会と私を隔てるものはなんなのか?と。

 

 

 

結果、あることがわかったのだ。

 

 

 

嗜好性の違いである。

私の分析では社会の人間は嗜好性に応じて大きく2つに分類ができるのだ。

 

 

それは

 

  1. 自由を追い求める人間
  2. 平等を追い求める人間

 

である。

 

もちろんこの嗜好性は「自由」と「平等」という言葉を使った回数とは全く関係がない。

 

 

 

ちなみに現代社会はどちらに傾いているかというと「平等」である。

 

 

つまり、現代社会は「自由を追い求める人間」が迫害され「平等を追い求める人間」が賞賛される時代である。

 

 

 

 

 

今日は、その少数者として多数派が無意識に訴求する「平等」の危険性を以下の3つからまとめた。

 

 

  1. あらゆる「正しさ」が頭数に依存する
  2. 超自然的なものが消滅し、近視眼的な見方しかしなくなる
  3. 平等自体が目的であるため終わりがない

 

*本記事は平等を否定するものではない。平等は必要な概念であるが、それの行き過ぎに対する問題提起を行っている。0か100ではない。

 

1.あらゆる「正しさ」が頭数に依存する

平等が加速した世の中というのは、誰も彼もが「同じ能力である」という前提に基づき、多数の人が賞賛したという事実のみで「正しさ」を確定するとトックビルは述べる。

 

 

・・皆同じだからこそ、人々は公衆の判断にほとんど無限の信用を置くことになる。なぜなら、誰もが似たような知識水準である以上、真理が最大多数の側にないとは思えないからである。

トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

 

極めて反知性的であると言える。

 

 

 

 この考え方の危うさをわかりやすく書こう。

 

 「ユニクロがいいのか悪いのか」という問いに対して、「ユニクロを着る人」が多いという理由だけで、「ユニクロを着る人」は「ユニクロを批判する人」より正しいと排他的に社会が判断するところにある。

 

 

 

それが進むと「ユニクロを着る」以外の意志を強く制限される世の中になるのだ。 

 

そして時を経て社会全体がユニクロ人間で溢れることになる。

 

 

 

トックビルはこのような平等に基づく多数派の論理が人々の精神的自由を強く制約し、一般意志に縛り付けることに警鐘を鳴らす。

 

デモクラシーは民主的な社会状態の促進する精神的自由の火を消してしまいその結果、かつて階級や人間が押し付けていた拘束をすべて断ち切った人間精神が、今度は大多数のものの一般意志に進んで自分を固く縛り付けることになるのではなかろうか。

トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

 

「頭がおかしい」と言われるあなたは病気ではないのだ。

 ユニクロに何らかの抵抗があるだけなのだ。

 

 

 

ただ少数派の人に理解してもらいたいことが一つある。

 

公衆の側ではあなたのように「ユニクロを着るべきか着ないべきか」という検討はほぼほぼなされていないということだ。

 

 

 

 

なぜなら、公衆の側ではすでにユニクロを着ている人が多数なため「ユニクロは着るべき」という「正しさ」を決定してしまったからである。

 

 

 

あなたの中で「何か考えた上にユニクロを着ている」という前提を周りの人に対して持っているならそれは違うとだけ言っておきたい。

 

 

「ユニクロを着るべき」というカントも驚きの「アプリオリな統合判断」を彼ら・彼女らはしているのだ。

 

 

2.超自然的なものが消滅し、近視眼的な見方しかしなくなる

平等の害毒としてトックビルが二つ目に挙げているのが、超自然的なものへの信仰が消滅するということである。

  

・・境遇の平等が人々に超自然的なものへの本能的な不信感を抱かせ、人間理性をきわめて高く・・・評価させることを示した。

だから、この平等の時代に生きる人々にとって、自らが服すべき精神的権威を人間性の外やその上におくことは難しくなっている

トックビル『アメリカのデモクラシー』

  

 

超自然的なものを疑い、自分の価値観に途方もない自信を持つようになったのが現代社会である。  

 

ただ、これが極めて危険なのだ。

 

 

 

 

超自然的なものへの信仰がなぜ重要なのか?

 

それは、人間が即物的かつ近視眼的な行動をとり間違いを犯すことを防ぐ唯一の手段だからである。

  

宗教は将来を見据えて行動する一般的な習慣を与える。この点で、宗教は来世における至福に劣らず、現世の幸福に役立つ。

トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

 

ここでおそらく、超自然的なものに対する信仰は「人をむしろ縛るのではないか?」と思われる人がいるかと思う。

 

 

 

その考えは正しい。なぜなら人間は何らかの諸概念への無条件の隷属を必要とする生き物だからだ。

 

 

 

ただ、人間の「精神の自由」をより多く残しておけるのが超自然的なものに対する畏敬を選ぶことなのだとトックビルは述べている。

  

全くいかがわしく荒唐無稽な宗教は確かに存在する。けれども先に私が示した枠内にとどまり、かつていくつかの宗教が試みたように、その外に出て人間精神の自由な羽ばたきをあらゆる面で妨げることがなければ、すべて宗教は知性に健全な枠をはめるものということができる。

トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

 

 自由を望むか平等を望むか。

それが問題なのだ。

 

3.平等自体が目的のため終わりがない

一般大衆がそれ以外を排斥してまで平等のいく先に何か壮大な理想があるとあなたは考えているかもしれない。

  

 

しかし、平等には「平等化を加速させる」以外の目的はない。

そして、この追求には終わりがない。

 

人々が一定の自由の段階に達し、これに完全に満足するという事態は考えられる。このとき人は落ち着いて冷静に独立を楽しむ。だがどんな平等を築いても、人間がそれに満足することは決してないだろう。

トックビル『アメリカのデモクラシー』

 

 

 

平等の最大の恐ろしさはここにあるのだ。

 

 

 

全員が

 

  1. ユニクロを着る
  2. 一着1万円の青山のスーツで仕事をする
  3. ランチは添加物が山盛りのコンビニ弁当を食べる
  4. 平日の夜は笑笑で宴会をする
  5. 休日はゴルフに行く
  6. ゴルフがない時はプロ野球観戦をする
  7. ゴルフとプロ野球観戦がなければバラエティー番組を見る
  8. 「大手企業だから俺は勝ち組だ!」と連呼する
  9. 公務員になることが親孝行だと子供に刷り込む
  10. 「これが社会のルールだから」が口癖になる

 

こういう生活を全員にさせるという終わりなき「駆逐作業」「同化作業」が今日も日本中で行われていることであろう。

 

 

「君は頭がおかしいからまずはユニクロを着よう」

「君はまともになるためにゴルフをやろう」

「君はまともになるための代償を渋ってるね。飲み会には毎日行くのが社会のルールだよ」

 

 

さあ面白い世の中はもう始まっている。

 

 

 我々がすべきは、平等が求める隷従に対して超越的なものの助けを借り、抗うことである。

そして、自らが求める自由を守ろう。

 

 面白き事なき世を面白く

 

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