私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

常識とは何か?

約 6 分

わたしのブログでは、陰ながらPVを稼ぐ記事達がいて、以下の様なものである。

 

 

楽しいとは何か?

決断とは何か?

そういった素朴な疑問についての疑問というのは流行り廃れなく継続的にヒトが考えるものなのであろう。

ということで、今日は、「常識とは何か?」について書いていきたい。

「常識」こそが我々を縛り、我々の人生をかたどるものである。

だから、この言葉について考えることは極めて重要だ。

読者諸氏が「常識とは何か?」を考えるきっかけになれば幸いである。

1.「常識」という言葉のルーツ

小林秀雄は「常識」について以下のように述べる。

どうも常識という言葉は、誰もわかり切った言葉のように使って入るが、その意味合いは、余程面倒なものだ、という事になるようです。

『考えるヒント2』

そう。

「それ常識!」

「常識的に考えて〜」

という枕詞を我々はあまりに軽率に使う。

だが、其の意味を問うことなく、使っているのが現実である。

こうなれば、この言葉の意味を問いかけるには、歴史をたどるしかない。

調べたところ、元々日本語にあったわけではないようだ。

小林秀雄によると、其のルーツは、英語の「コモンセンス」にあるとのこと。

では、「コモンセンス」とは何か?を見ていこう。

「コモンセンス」と聞いて、思い出すのが、アメリカ独立宣言と深いつながりのあるトマス・ペインの『コモンセンス』であろう。

小林秀雄は、トマス・ペインが「コモンセンス」という言葉をどのように考えていたかを以下のように述べる。

ペインという社会革命家は、コンモン・センスという理想をかかげた、と言っても過言ではあるまい。アメリカ独立という理想について、自分は、煽動的言辞も煩瑣な議論も必要としていない、誰の目にも見えている事実を語り、誰の心にも備わっている健全な尋常な理性と感情とに訴えれば足りる、そういう考えから、ペインは、その革命文書に、コンモン・センスという標題を与えたに相違いない。

『考えるヒント2』

彼にとって、「常識」とは、理想であり、その理想とは、健全な理性と感性を持ち合わせていれば各人が共通して思い描くものだったようだ。

2.「常識」という言葉の堕落

今しがた「健全な」という言葉に線を引いたが、どうも現代のおいては健全な理性と感性を持ち合わせている人が少なすぎる。

トマス・ペインの崇高な精神に比べ、現在の「常識」はあまりに堕落しているという他ない。例を見ていこう。

「えっ?ポケモンGOやるのとか常識でしょ?」

「飲み会で四六時中飲み明かすのが社会の常識」

「休日は、ゴルフ接待ってのが社会の常識」

「えっ?今原宿でパンケーキ食べるの常識だよ」

「平日の夕方は、読売巨人の試合を見ながらビールで一杯が常識」

コモンセンスは辞書で引くと一度も変わることなく、「常識」という日本語が当てられている。

しかし、長い年月を経て、合衆国独立の理念という価値から、居酒屋で飲む口実に使われるほどに安売りされるようになったようだ。

小林秀雄も「常識」という言葉が価値を下落させていることを嘆く。

なるほど常識という言葉は、今日では十分日本語として熟しているが、その価値は、もうひどく下落してしまって、とてもコンモン・センスという言葉の目方には、つりあわない。

『考えるヒント2』

私にとって飲み会で3時間程度の時間を毎日毎日湯水のように費やす「社会の常識」は非常識である。

之に関しては、カール・ヤスパースやパートランド・ラッセルを100回精読しても譲れない。逆に読めば読むほど、理解ができなくなる。

ただ、堕落した社会人にとっては、それこそが「コモンセンス」であり、「理想」なのだ。

「常識」が堕落している。あまりに堕落している。

3.崇高な「常識」を持つべき

では、崇高な「常識」はどのように獲得するかというとデカルトがすでに其の答えを出している。

誤解のないように予め補足すると、デカルトは、「合理主義」や「理性」について考えた人間であるのだが、彼自身の思想は全く逆であることに留意いただきたい。

どういうことかというと、デカルトは、崇高な「常識」は、高度な経験によってのみ獲得できる(作られる)と考えていたのだ。

彼の方法では、我という「思う物」の、こういう様々な異質な働きが、言わば心眼の描く互いに相容れぬ力線が、何処でどう平行し協力するか、何処で、どう交錯し矛盾するかを告げるものは、現実の経験しかないのです。

『考えるヒント2』

同様のことをゲーテも述べており、これはおおよそ間違いないと考えて良い。

われわれは、外界の事物の奴隷に過ぎず、事物がわれわれを萎縮させるか、のびのびさせるかに応じて、われわれは、つまらない人が下忍にも見えれば、偉い人間にも見えるのだよ。

ゲーテとの対話』

あなたがもし、外部の堕落した「常識」なるものに支配されてきたのであれば、それは今すぐに叩き壊すべきだ。

外部に本当の「常識」はない。あるのはあなたの中だけだ。

人は常識に紛れも無く、支配されて生きているが、それを徹底的に疑ってほしい。

そして、疑い得ぬレベルで残ったものが、あなたにとっての常識であり理想である。

左翼の皆さんには申し訳ないが、「常識」という言葉は、明確な定義を嫌っているようである。だから明確な定義はない。

それは、各々が日々考え経験を通して、見つけてほしい。

ここで考えていただきたいのは、常識を、正確を欠く主観的な知恵とか程度の低い一般的な知恵とか考えるのは、常識を或る認識のカテゴリイとして、外から規定しようとすることだ。

私が、常識という言葉は、定義を拒絶しているようだといったのは、この働きには、どうしても内から自得しなければ、解らぬものがある、それが言いたかったからなのです。

『考えるヒント2』

其の一つの方法が、「古典を読むこと」だと個人的には思っているので、最後にゲーテの言葉を残したい。

この世界は、現在では、老年期に達していて、数千年このかたじつに多くの偉人達が生活し、色々と思索したのだから、いまさら新しいことなどそうざらに見つかるわけもないし、言えるわけもないよ。

ゲーテとの対話』

おもしろきことなき世を面白く

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