私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【号外】ポケモンGOが流行る社会の人々は「終わっている」ということについて

約 6 分

今、トレンドキーワードといえばポケモンGOというスマートフォンのゲームである。

 

 

全く興味のない私だが、カフェに座ってたら入れ代わり立ち代わり座る人が全員がポケモンGOをやっていた。(8人中8人)

 

 

 

www.asahi.com

 

 

 

 

いよいよ多くの個人が社会に絶望している印だろうか。

 

 

なぜ、私がこういうことを言うかというと

 

こういったぽっと出のものに人が群がる現象は、「極めて社会が危機的状況にある」際にしばしば見られるものと偉大な賢者達がすでに述べていたからだ。

 

 

 

 

そういった危機的社会ではどういう人間がいるのかということを今日は述べたい。

 

1.人生を放棄した人間達

2.「したくないこと」を「したいこと」と解釈する人間達

3.無力感からくる群衆形成をする人間達

 

 

 

1.人生を放棄した人間達

子どもが有り余る人生を浪費してしまうのはある程度仕方ないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、理性をともなった大人までもがこういった現実逃避にひたることは社会全体として非常に停滞していることを示していると私は考えている。

 

 

*「現実逃避」の定義は、「個人の力に何ら寄与しないもの」というニーチェの思想に基づいている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

オルテガがまさに同様のことを指摘しているので引用したい。

 

明快な未来像を示さず、未来を明確に予告せず、その後の発展を想像しうるようなものの始まりとしての姿をとっていない。要するに、生の設計も計画もなしに生きているのである。

オルテガ『大衆の反逆』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明確な未来像を持たないがゆえに、場当たり的な流行に多くの人が身を委ねるのだ。

それが、今回のポケモンGOに飛びつく人達である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ未来像をもたないのかというと、これは私の推測の域を出ないが、自分の生(未来)に絶望し、肉体の死の前にすでに死ぬことを決断した故である。

 

 

 

「いや。俺ポケモンGOやってるけど、毎日楽しいよ!」

 

 

と言われるかもしれない。

 

 

 

 

ただ、当事者すら、自らが「絶望している」ことに気づいていないケースがあることを私はあなたに伝えなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

キルケゴールはそういった状況が最も重症だと述べた。

 

 絶望とは、まさに自己を食いつくすことにほかならず、しかもみずからの欲するところをなしえない無力な自己食尽なのである。

 

・・中略・・

 

絶望していないということ、絶望していることを意識していないということ、それこそが絶望の一つの形態に他ならないことを、見逃しているのである。

 

キルケゴール『死に至る病』

 

 

 

2.「したくないこと」を「したい」という人間達

 

人間は、生きることに絶望したらどうなるのか?というと「したくないこと」を「したい」と言い始めると私は考えている。

 

 

 

 

 

 

 

ポケモンGOをもしあなたがやっているならぜひ考えてもらいたい問いかけがある。

 

 

 

 

 

 

本当に心の底からやりたいと思っているのか?

 

 

ということだ。

 

 

 

 

 

 

自分が人生で「本当にしたいこと」が叶わないと悟ったがゆえに、認識の書き換えをしているのではないか?と私は言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

エーリッヒ・フロムが「結婚」について興味深いことを書いている。これをポケモンGOに読み替えてほしい。

 

一般にはたいていのひとびとは自発的に結婚(ポケモンGOを)してると、考えられている。しかし義務や拘束力にうながされて、意識的に結婚(ポケモンGOを)する人びとがあることは確かである。。・・(中略)・・かれは結婚(ポケモンGO)するまでは、「自分」が結婚(ポケモンGOを)することを欲していると思い込んでいる場合も少なくない。

『自由からの逃走』 

*(ポケモンGOは私の書き込みです)

 

 

 

 

 

 

 

結婚という社会通念にたいして、自分が本心からしたいと思っていないにもかかわらず、「したい」と自らに言い聞かせる人間がたくさんいるのではないか?というのがフロムの示唆である。

 

 

 

 

 

 

これは、ポケモンGOにもいえることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

何度でも言いたい。

 

 

 

 

 

自分が本心から「したいと思っていない」にもかかわらず、社会が吹かせる風によって「したい」と解釈していないか?を是非検討してもらいたい。

 

 

 

 

 

ちなみにジョージ・オーウェルはこの認識の書き換えを「二重思考」と言った。

 

(二重思考とは)あからさまな事実に反して黒は白であると厚かましく主張する態度のことを言う。・・・それはまた、黒を白と信じこむ能力でもあり、更には、黒は白だと知っている能力であり、かつてその逆を信じていた事実を忘れてしまう能力のことである。

ジョージ・オーウェル『1984』

 

 

 

 

自分が「そう思っていなかった」事実すらも人間は時に忘却してしまうのだ。

 

 

 

3.無力感からくる群衆形成をする人間達

ポケモンGOに多くの人が何を求めているのか?

 

 

それは、ゲームコンテンツもあるだろうが、ゲーム内でのコミュニケーション、もしくは、現実世界での話題作りである。

 

 

 

なぜそういうことをするか?

 

 

 

ポケモンGOをすることで「群れ」を形成したいからではないだろうか。 

 

 

 

 

ポケモンGOという壮大な群れをつくろうとしているのだ。

 

 

 

 

 これがいい傾向とは思えないのだ。 

 

 

 

 

 

 

群れをつくろうという志向性は、自らへの無力感から来ているとニーチェは述べる。

 

すべての病人は、すべての病的な人間は、重苦しい不快感と無力感を振り捨てることを望んでいるために、家畜の群れの組織を本能的に求めるようになるのである。・・・強いものたちはその本性からしてたがいに分かれようとするが、弱いものたちはたがいに結びつこうとするからである。

 

・・中略・・・ 

 

人間が積極的に社会過程に参加するときにのみ、人間は現在かれを絶望・・・にかりたてているものを克服することができる。人間が今日苦しんでいるのは、貧困よりも、むしろかれが大きな機械の歯車、自動人形になってしまったという事実、かれの生活が空虚になりその意味を失ってしまったという事実である。

ニーチェ『善悪の彼岸』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで随分とえらそうなことをかいてきた。

 

 

 

 

もちろん私も一人の人間でしかない。

無力感を感じることも多々あるし、絶望することもある。

 

 

 

 

ただ私は、自らの生を諦めたくないし、放棄はしない。

 

 

 

 

ポケモンGOに手を出した人に今日問いかけたかったことは一つだ。 

 

 

 

いくらゲームの世界でステータスを得ても、ポケモンGOについて飲み会で盛り上がっても、友人と話せても、あなたの人生に充足感をもたらさないのではないか?

 

 

 ということである。

 

 

 

 

 

 私は、ポケモンGOを否定したいのではない。

 

ただ、「力」への意志を失ってもらいたくないというだけだ。

 

 

 

 

おもしろきことなき世を面白く

 

*参考文献は多くすべてのせるとページが重くなるので、他はamazonで参照いただければと思います。

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