私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

まともな人は一体どこへ行ったのか?

約 5 分

まともな人とは何か?

 

 

 

この質問について哲学する人間というのは、社会で「まともじゃない」と言われた人や「狂人」と言われたことのある人である。

 

 

かくいう私がこの一人である。

 

 

 

 

 

私は、現代を苦しみ生きてきた。

 

 

 

 

 

その1つが、学校であり、会社であったりする。

細分化すれば、友達、親、同僚といった個別の人間関係にまで至る。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、私は、自分こそがまともであることを諦めたくない。

 今日は真にまともな人とはどこに行ったのかということを考えていきたい。

 

  1. 一般的な「まともな人」の定義
  2. その「まとも」は危険(外部真理からの逃走をせよ)
  3. まともでない」と言われている人がまとも

 

1. 一般的な「まともな人」の定義

 

世の中で言うところの「まとも」とは何か?

 

これは私の分析によれば、「服従すること」であり、「隷従すること」である。

 

「君がここにいるのは、謙虚さに欠け、自己鍛錬を欠いているからに他ならない。正気であるために支払うべき服従という行為を、君は断固拒否している。君は、精神異常者、たった一人の少数派となる道をえらんだのだ。・・・」

ジョーオーウェル『1984』

 

 

 

 

例えば、私のように断固として「飲み会」という社交を拒否する人間は、どう判断されるか?

 

 

 

 

 

「コミュニケーション苦手なのね」

 

「付き合いが悪い人間」

 

「社会人失格」

 

 

という具合だ。

 

私は飲み会に行かないという態度をとることで「まとも」でない人間となっている。

そして逆に「ぜひ行かせてください」と嫌々ながら行く人が「まとも」だと言われている。 

 

 

 

 

私は、そういった経緯もあり、治療の対象となっている。

 

 

「そのうち飲み会の楽しさがわかる」

 

「今度俺が飲み会の楽しさを教えてあげる」

 

 

 

このさりげない声掛けがいかに怖ろしいものであるかは言うまでもない。

 

 

2.外部にある「真理」から逃げよ

 

 

今述べてきたような社会的な「まとも」な人は、外部にある「真理」に傾倒する。

 

 

 

 

 

読者諸氏には薄々私の言いたいことがわかっているかもしれないが、この手の「真理」が力を持つと「全員が同じことを嗜好すべき」という極めて危険な全体主義が始まる。

 

 

 

ハンナ・アレントは以下のように述べる。

 

・ ・・外部にあるあらゆる真理は、それが人々に善をもたらそうと悪をもたらそうと、文字通り非人間的なものです。

 

それが、人々を相互に対立させ、人々を離反させるおそれがあるからではありません。

 

むしろ、それが突如としてすべての人間を単一の意見に結び合わすような結果を生み出す恐れがあるからであり、その結果、無限の多様性を持った人々ではなく、単数の人間、一つの種族とその類型だけがこの地上に住んでいるかのように、多数の意見の中の一つだけが浮き上がることになるからです。

ハンナアレント『暗い時代の人々』

 

 

 外部にある作り出された「真理」が「まとも」かどうかをしばしば決めるが、その「まとも」は全てを同化させる極めて危険なものなのだ。

 

  

 

こういった危険な思想は、どういうときに表れるかというと社会全体が衰退しているときに生じるとアレントは述べる。

 

こうした時代には人々は互いに近づきあい、信仰の暖かさのなかに公的領域だけが投ずることのできる光輝と照明の代替物を求めようとするのであり、それが如何に強力な欲求であるかはすでに見てきたとおりです。

 

しかしこのことは、かれらが論争を避け、可能な限り対立を招きえないような人々とだけ関係を持とうとすることを意味しています。

ハンナアレント『暗い時代の人々』

 

 

つまりだ。

平たく言うと、和民や金の蔵のような激安居酒屋が繁盛する時代というのは、社会全体が大きく後退している時代ということだ。

まともな時代ではないのだ。 

 

 

 

 

 

 

そして、「つながること」を嗜好し、決して相互批判はご法度の世界を作るのだ。

 

   

あなたがもし、別のまともであることを望むのならば一度逃げ出し孤独になってほしい。

 

こうした平凡な日常生活が持つ「無限の陳腐さ」から抜け出す道は、・・・孤独のうちへ引きこもる以外にない。

ハンナアレント『暗い時代の人々』

 

 

 

3.「まとも」でない人がまとも

世界が如何に「飲み会はすばらしい」と言おうと、白木屋や笑笑が1億店舗を突破しようとも私は言い続ける。

 

 

「飲み会は本当に必要か?」と。

 

 

 

だが、あらゆることに答えを出そうとする左翼イデオロギーがむしばむ現代社会は「疑いを持つ」哲学的人間を駆逐する。

 

  

 

今や多くの人が何ら疑いなく、全体主義の幻想にいる。

そして、当初抵抗していた人間も治療された。

 

 

 

 

あらかた治療も終わりのこされたのは、少数の狂人である。

 

 

  

このまま治療がすすめば、世の中に、「多様性」という言葉すらいずれなくなるだろう。

 

 

  

だからこそ、あなたには「まとも」でない人であり続けてほしい。

そうでなければ、人間がこの世からいなくなるのだ。

 

 

 

まともな人とは、 「まとも」でない人と言われている人なのだ。

  

 

 まず気付いて欲しいのが、あなたは今まさに「理不尽なこと」を要求されているということである。

 

最後にジョージ・オーウェルの金言を記載したい。 

 

 

 どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け入れさせることができるのだ。

 

かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているかを十分に理解せず、また、現実に何が起こっているかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。

 

理解力を欠いていることによって、彼らは、正気でいられる。

ジョーオーウェル『1984』

 

 

*「飲み会」は単なる例です。

 

 

おもしろき事なき世を面白く 

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