私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

友だちが多いことなんて実はどうでもいいことに早く気づけ

約 5 分

「友だちが多いこと」

 

 

 

これは今や21世紀で絶対善とされつつある。

 

 

 

あなたはこの価値観が1000年も続いてきた価値観とおもっているかもしれない。

 

 

しかし、それは嘘だ。

 

 

 

 

 

こういうぽっと出の価値観というのは非常に危険である。

もう一度言うが、非常に危険である。

 

 

 

 

 

この毒に我々はそろそろ目覚めなくてはならない。

何が問題かについて今日はいつもとは違う角度からまとめてみた。

 

 

 

1.自分の弱さからの逃避でしかない

ニーチェは以下のように述べる。

 

群れを形成することは、鬱状態との闘いにおいては大きな一歩であり、勝利である。共同体が成長すると、共同体のうちの個人においても新たな関心が育ってくるのであり、個人はこうした関心の力で、彼が抱く不満の中でもっとも個人的な性格のもの、すなわち自己への嫌悪・・を超越できるようになるのである。

『道徳の系譜学』

 

 

 

単刀直入に言えば、共同体や群れを構築しようと必死になることは、自らの弱さからの逃避だという。

 

 

 

 

 

そして、個人は共同体に没入することで、その劣等感をごまかすことができるようである。

 

 

 

彼らは、集まることで何をするのか?

 

これに対するニーチェの洞察が興味深い。

 

 

この弱き者たち、不治の病人達が、今では徳をまったく独り占めにしていることは、疑問の余地もないことだ。

 

彼らは主張する、「われわれだけが善人なのだ。正しき者なのだ。われわれだけが善意の人間なのだ」

 

・・・・出来の良い人間であること、強い者であること、誇りの高い者であること、自分の力を感じる者であることが、それだけで品の悪いことであるかのように、人はそのことのために償いをすることを迫られるかのように、しかも手酷い償いを強いられるかのようにである。

『道徳の系譜学』

 

 

 

 

「弱者」は「弱者」同士で共同体を作り、そこで道徳や規範を勝手に創りだすようだ。

そして、強者を徹底的に叩くことに専念する。

 

 

 

・ ・・彼らは道徳的なオナニストであり、「自分で自分を慰める」輩なのだ。この<病める者の意志>、それはどんな形であっても、優越感を誇示したいという意志であり、健康な者にどうにかして暴力を加える事のできる抜け道を探しだそうとする本能である。

『道徳の系譜学』

 

 

 

2.強者は何をするのか

弱者と強者では発想が全く違うとニーチェは述べる。

 

強いものたちはその本性からしてたがいに分かれようとするが、弱いものたちはたがいに結びつこうとするからである。

 

 

強いものたちが結合することがあるとすれば、それは彼らが全体として、力への意志を満たそうとするためであるが、強いものたちは結合することにたいして、それぞれの良心の強い抵抗を感じさせるを得ないのである。

『道徳の系譜学』

 

 

 

強者は一人で何とか歩こうとする。

もちろん、人間は一人では生きていくことが出来ない。

 

 

ただ、「一人では生きていけない」という自らの弱さに痛みを感じることが強者にはできる。

 

 

 

 

 

一方の弱者にとっては、結合することで快感を得る。

 

 全くもって発想が違う。

 

 

 

 

ニーチェの言葉踏まえると、友達が増えていくことに対して、痛みを感じることが「強さ」の条件である。

 

 

 

 

 

 

逆の発想をしているとすれば、あなたはジャンプの読み過ぎである。

 

 

 

ルフィやナルトは「友だちがいることで強くなった」としばしば主張するがそれはありえない。

 

 

 

彼らは一人でいるときに明らかに成長している。

勘違いしているのであれば、もう一度『ONEPIECE』『NARUTO』を読み返すべきだ。

 

 

 

3.人が集まってもほとんどルサンチマンが高まるだけ

価値を設定するまなざしをこのように向け変えることも—自己に向けるのではなく、外部に向けるというこの必然的な方向の転換—、かのルサンチマンの一部である。奴隷の道徳が生まれるためには、まず自分に対立した世界、外部の世界を必要とする。

『道徳の系譜学』

 

 

 

「弱者」は自分の弱さに既に屈したがゆえに生きる目的が自らのルサンチマンをなだめることに終止する。

 

 

 

 

 

ただ、ルサンチマンの怖ろしいところは、慰めれば慰めるほど、ルサンチマンは増幅するという無限性にある。

 

 

 

この連鎖を断ち切るには、集団からぬけ出すしかない。

 

 

 

そして、その後どうするのか?

 

 

 

 

それは、ニーチェが言うように「自らの中に価値設定のまなざし」を育てる努力をすることである。

 

 

 

 

まっとうな価値観を身につけろとニーチェはいっている。

 

ではまっとうな価値観とは何か?

 

 

 

それは、「長い歴史の中で培われてきたもの」である。

 これ以外にはない。

 

 

 

 

 

よくニーチェは道徳批判をしていると誤解している人がいるが、わたしの見立てではそう単純ではない。

 

 

 

 

 

大衆が自らの弱さを癒やすために作り出した道徳と本当に守るべき価値観を見分けろとニーチェはいっているのではないか?

 

 

 

 

 

友だちが多いことは「良い」どころか害毒なのだと早く気付こう。

 

これが1000年も続いてきた規範だと思ったら大間違いだ。

 

 

ルサンチマンを増幅させる危険なイデオロギーである。 

 

 

 

 

おもしろき事なき世を面白く

 

 

f:id:zyunn14641:20160705232258j:plain

Amazon CAPTCHA

p.s 

賢者は既にこの結論を数百年前に出している。

 

www.shinsaku-takasugi.com

www.shinsaku-takasugi.com

www.shinsaku-takasugi.com

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)