私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

哲学を馬鹿にして人生を棒に振った人のお話

約 6 分

「哲学?くだらないな」

 

「哲学?無駄無駄」

 

「哲学?なんか意味あんの?意味ないよ」

 

「哲学?宗教かなんか?」

 

 

 

世の中には、「哲学」というものに対して、こういった考えを持つ人が多い。

 

 

 

ただ、前もって断言しておくと、「哲学をしない人間」=「終わった人間」である。

 

 

今日は、それを知ってもらうために、「一般的に哲学に対して抱かれがちな誤解」と「哲学の真の価値」について簡潔ではあるがまとめてみた。

 

 

 

1.あまりに多くの人が犯す「哲学」に対する捉え方の誤り

 

哲学について理解するにはそれの二項対立概念である科学と比較をすることが適切かと思うので、比較をしながら話をしようと思う。

 

 

 

科学というものは、医学、科学、物理学など「世の中に対して何らかの形で、具体的な成果を残している学問」である。

 

 

そのため、その有用性を疑うものはいない。

 

 

 

 

一方の哲学は「具体的な成果は何も残さない」学問である。

 

 

 

 

 

「俺が言ったとおり不要じゃないか!」

 

といいたそうだな。

 

 

 

まあ待ち給え。

 

 

 

 

具体的な成果は残さないが、非常に有用なのだ。

 

 

 

それをラッセルは以下のように分析する。

 

学問の研究者に「あなたの研究している学問が今までにつきとめてきた真理にはどのようなものがあるか」と聞けば、こちらが聞く気を失うまでに答えは続くだろう。

 

しかし同じ質問を哲学者にすれば、もしその人が正直なら「私のしている学問は、科学が達成してきたような積極的な結果を何も成し遂げられなかった」と告白するだろう。

 

このことは次の事実によって部分的に説明される。

 

それはどんな主題についてであれ、知識だと確定した成果が得られるようになると、とたんにそれは「哲学」とは呼ばれなくなり、独立した一個別科学になる。

『哲学入門』

 

 

 

 

意味がわかるだろうか。

簡単に言うと何かしらの答えが出てしまった瞬間「哲学」と呼称しなくなるということだ。

 

 

 

例えば、心という極めて科学と縁遠そうなものであっても何らかの知識が確定したため現在「心理学」と呼んでいるではないか。

 

 

 

哲学とは「答えを出す学問」ではないのである。

 ただ、あらゆる学問の発展に貢献する。

 

 

 

2.哲学をする人間が「一流」

ラッセルは哲学の価値を大きく2つに分ける。

 

 

一つ目は、「新たな発見の可能性を高める」ということだ。

 

それゆえ哲学は、「どんなものが存在するか」に関しては確信の度合いを減らしてしまうが、「どんなものが存在しうるか」に関する知識を著しく増大させる。 ・ ・・見慣れたものにも見慣れない側面があることを示すことで、私達の驚異の念を生き生きと保つのである。

『哲学入門』

 

 

 

 

 

つまり、繰り返しになるが、哲学とは、そもそも「答えを出すための学問」ではなく、「新たな問いを建てるための学問」なのである。

 

 

 

 

 

そのため、哲学の価値は「世の中からあらゆる課題が消滅した時」まで不滅だと断言できる。そんなことはないだろうが、、

 

 

 

 

もう一つの価値に話を移そう。ラッセルはこれが最も重要と述べる。

 

 

 

それは「個人的な狭い目的から自由になること」である。

 

 

 

これに関するラッセルの分析は以下である。

 

・ ・・もう一つ、おそらく最も重要な価値がある。それは、・・・・個人的な狭い目的から・・・自由になることを通じて得られる。

  

本能的な人は自分の個人的利害が及ぶ範囲に閉じこもって生活している。

 

家族や友人たちには配慮しても、それ以外の人については、彼が本能的に望ましいと思う人たちによかれあしかれ関わってこないかぎり気にも留めない。

 

そうした生活には、哲学的生活の落ち着きや自由さとは対照的に、熱狂的で狭苦しいところがある。

 

本能的利害関心という小さな個人的な世界は、大きく荒々しい世界に取り囲まれており、遅かれ早かれ荒廃させられてしまう。

『哲学入門』

 

 

 

 

 

 

 

 

要するに哲学というものは、「我欲」を超越し、頽廃的生き方から脱却するためのハシゴをだしてくれるのだ。

 

 

 

イノベーションを起こす人間

世の中を良くする人間

 

 

これは一言で言えば、「哲学的な人間」なのである。

 

 

 

 

結局、私が常々言っている大衆居酒屋で飲み明かすような人間から「イノベーションを起こす人間」や「世の中を変える賢者」は現れないというごく当たり前の結論にたどり着いてしまった。

 

 

もちろん飲み歩かなければ成功できるという逆は成り立つわけではないが、、、

 

 

3.現代の病

残念ながら、今の世の中をみていると「哲学的人間」というのは極めて少ないように見える。

 

 

 

「六本木のクラブでナンパすることが生きがいの人間」

 

「新橋の居酒屋を日夜飲み歩く人間」

 

「マクドナルドに行く人間」

 

「スマホで四六時中ゲームをしている人間」

 

「LINEでコミュニケーションにいそしむ人間」

 

 「読売巨人の優勝に命をかける人間」

 

 

 

こういう人間しかいないではないか。

 

 

 

 

自らの我欲のみを優先し、なんら「哲学的」に生きようとしない。

 

 

たしかに、「哲学しない」という選択は「今」だけを見れば、いいかもしれない。

 

www.shinsaku-takasugi.com

 

 

ただ、その手の人間は死ぬ直前に一つどうしても拭えない思いを心に抱くであろう。

 

 

 

 

「なんで自分の人生についてもっと考えてこなかったんだろうか」

「もっといい生き方もあったのではないか?」

と。

 

 

 

 

 

これが、哲学をしてこなかった人間の末路だ。

 

 

 

 

 

今、「身の回りのことについて」や「あなた自身について」哲学を始めるかどうかで人生が変わる。

 

 

思考停止はまだ早い。

 

 

 

 

最後にラッセルの金言を記したい。

 

それゆえ哲学の価値に対する議論を次のようにまとめてよいだろう。

 

問に対して明確な解答を得るために哲学を学ぶのではない。なぜなら、明確な解答は、概して、それが正しいということを知り得ないようなものだからである。

 

むしろ問いそのものを目的として哲学を学ぶのである。

 

なぜならそれらの問いは、「何がありうるか」に関する考えをひろげ、知的想像力を豊かにし、多面的な考察から心を閉ざしてしまう独断的な確信を減らすからだ。

 

そして何より、哲学が観想する宇宙の偉大さを通じて、心もまた偉大になり、心にとって最も善いものである宇宙と一つになれるからである。

『哲学入門』

 

 

 

 

 

おもしろきことなき世を面白く

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