私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

死にたい人を助けてあげられる唯一の方法

約 6 分

死にたい人が日本は異常なまでに多い。

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/pdf/saishin.pdf

「自殺大国」という異名をとるほどその数は深刻である。

上のリンク先にある内閣府の調査では昨今減少傾向にあるものの昨年度は約24000人が自殺をしている。

大体20分に一人が自殺で死ぬ計算となる。(24,000人/365/24)

内在的に「死にたい」や「自殺を考えている人」は更に多いであろうことは想像に難くない。

今日は、この原因について考えてみた。

そして、その人達を助けてあげることのできる方法はこれしかないというものを記載した。

1.無精神性が「死にたい」を呼んでいる

大学生であれば、キャンパスでキリスト教に勧誘されたことがあるだろう。

「うわ。宗教とか気持ち悪。」

となっているかと思う。

他にも創価学会などは、その名前を聞くだけで脊髄反射的に気持ち悪いという反応をする人が多い。

ただ、宗教をもっている人間の精神は極めて強いということをここでは言っておきたい。

キルケゴールは以下のように述べる。

彼に欠けているものは、実は必然性なのである。・・実は服従する力なのである。・・・自己の限界とも呼ばれるべきものであるが、この必然的なもののもとに頭を下げる力なのである。

『死に至る病』

ここの「彼」なのだが、これを説明すると新書が書けてしまうレベルなので、キルケゴールの言葉を掻い摘んで定義すると、「無精神の人間」「自己認識が異常に低い人間」「俗物的な生きかたをしている人間」といったあたりの理解をしていただければありがたい。

私は、よくマイケル・オークショットの言葉を借りて「合理性はその目的次第で意図も簡単に崩れ去る」ということを述べているが、キルケゴールも同じことを本質的には述べている。

要するに、「不合理なもの」の寄る辺がない人間というのは、「合理性」が瓦解した際に、あまりに人として弱いのである。

だから、冒頭の「宗教を気持ち悪い」と断罪する人間の方が、自殺する可能性は高いと言える。

2.無精神的人間の末路

無精神な人間、一概に同列ではないが、「自殺」しそうな人間には特徴がある。

どういう人かを具体的に挙げてみよう。

例えば、私がよく批判する

「激安居酒屋を日夜飲み歩く人間達」

「恋愛(SEX)依存症の人間達」

「大企業の看板にぶらさがることが命である人間達」

がその典型である。

キルケゴールの言葉を見れば、わたしの上げた例が的を射ていることがわかると思う。

俗物根性は精神のあらゆる規定を欠いており、蓋然的なもののうちに終始するが、そこへは可能的なものの入り込む余地はほんの僅かしかない。それだから、俗物根性には、神に気づくための可能性が欠けている。俗物というものは、世の中がどう動いていくか、世の中ではどういうことが可能なのか、世の中ではどんなことが起こりがちなのか、というようなことについて、想像力を働かせることもなく、日常茶飯の経験のいわば寄せ集めの中で生活しているとしたものであって、・・・・・。このようにして、俗物は自己自身と神を失っているのである。

『死に至る病』

つまるところ、無精神の人間は、信仰対象がない結果として、物や人にその助けを求めるが、それが思ったほどの力を持たず、次から次へと乗り換えることに終止するということだ。

そして、ある日この繰り返しに絶望し、その虚しさの末に、死を選択するのだ。

あなたに、もし思い当たるフシがあるなら、自分の中でよく内省することを勧める。

今は死にたいと思っていないかもしれないが、いつかぷつんといってしまう可能性があるのだ。

何度も繰り返しになるが、人間には、合理性を超えた何か精神の支柱が必要なのだ。

ちなみにキルケゴールは著書を読めばわかるが、かなりの敬虔なクリスチャンである。

これを思考停止と呼ぶ人がいるかもしれないが、実は近代化により宗教が駆逐された結果「近代合理主義というイデオロギー」(目に見える物以外信じないスタンスなど)に身を委ねている多くの人間の方が思考停止だ

ゲーテも以下のように述べる。

人間の到達できる最高のものは・・驚異を感じるということだよ。根源事象に出会って驚いたら、そのことに満足すべきだね。それ以上高望みをしても、人間にかなえられることではないから、それより奥深く探求してみたところで、なんにもならない。そこに限界があるのさ。しかし、人間はある根源現象をみただけではなかなか満足しないもので、まだもっと奥へすすめるにちがいない、と考える。

『ゲーテとの対話』

思考停止ではなく、「身の程を知る」だけである。

「合理」では割り切れないという境地にたどりつかなくてはならない。

3.だから宗教には入れと言いたいわけではない。

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一概に正しいとはいえないものの日本の無宗教の割合は世界的に見ても高くそれが自殺を誘引しているという私の主張はわかってもらえるのではないだろうか?

冒頭の統計と相関があるという風に私は見ている。

ここで、宗教に入れ

という教祖的なことをしたいのではない。

私がすべきだと思うのは、古典を読むということだ。

例えば、私は、キリスト教に興味が無いが、キルケゴールや新渡戸稲造のようなクリスチャンを崇拝している。

他にも、私は儒教を意識はしていないが、孔子の『論語』や森信三の『修身教授録』を読み感銘を受けた。

つまり、間接的に古典を通して私は宗教に入信している。

だから、退廃的に生きることに耐えられないし、そういう人間に対する嫌悪感が人一倍強い。

そして、いつも「死にたい」と思うときに心の支えとなるのが、賢者の言葉だ。

キリスト教や仏教などに興味を持つ必要はない。

ただ、あなたが尊敬する偉人をみつけその人を通して、間接的に信仰する対象を持つべきだということだ。

「尊敬する人は?」

「お父さんです」

というのは間違ってはないけど、なんか違うのである。

あなたは古典を読むことで、その言葉にできぬ苦しみや迷いからある程度開放されるはずだ。

おもしろきことなき世を面白く

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