私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

「コミュニケーション」はしないほうが良い。

約 5 分

「友達」

 

 

という言葉は誰もその必要性について疑わない。

ということはキケロの言葉を使いつつ何度か紹介してきた。

 

 

  

 

ただ、「コミュニケーション」というのもまた厄介だ。

キケロのモノマネをしてみると

 

 

コミュニケーションとは、その必要性について誰も疑わないものである。

 

 

 

 

 なんだかキケロになれる気がしてきた。

 

 

 

 

 

 

私の場合はというと「コミュニケーション」をとっていると死にたくなる。

「心が休まる」とは逆だ。死にたくなる。

 

 

 

 

この前1年ちょっとぶりに試験的に2日だけfacebookを開いてみたときのことだ。

すると、強烈な頭痛をもよおした。 

 

 

 

 

みんなが「コミュニケーション」を取ろうと必死なのだ。 

 

 

 

 

あれはダメだ。アタマがおかしくなることを再確認した。

 

 

 

 

 

こういうSNS叩きをするからアクセス数が1000を超えることはないのだろう。

ただ、 思ってもないことを言って小銭を稼ぐのはゴメンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「社交的」な人に耳を30回いや300回ほじってからよく聞いてほしいことがある。

 

 

 

世の中には心底「コミュニケーション」という活動を嫌う人間がいる。

 

 

 

 

 

 

例えば、私は、週末何しているのか?と聞かれることが嫌で仕方ない人間である。

 

 

 

 

 

なぜなら、世間には「週末の楽しみ方」に正解があり、私の営みは不正解とされるからである。

 

 

 

 

 

「ショーペンハウエル片手にカフェに10時間います」

 

 

 

といえば、もう「社会不適合者」である。

 

 

「ゴルフをしてます」

「同期と遊びに行きます」

「大学の時の友だちと、、、」

「コンパしてました」

 

 

これが正解である。

 

 

 

 

 

 より多くの人と「コミュニケーション」が取れる場所に身を委ねること

 

これの具体的アクションでなければ、不正解である。

 

 

 

 

 

 

 

 

勘弁してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

他の例を挙げると「コミュニケーションしたほうが落ち着かない?」と全く話さない私を見かねて言ってくる人が結構いるが、あれも本当にやめて欲しいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コミュニケーション」という定義は昨今流動的ではあるが、私なりに定義すると、「とりあえず話せば最高というキチガイ概念」と言い換えることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近はスマホというものの流行で、会わない時ですら、Facebook Line Twitterでコミュニケーションをとりたがる「コミュニケーション依存症」の人間で世の中は溢れかえっている。

 

 

 

 

 

スマホをあと一年持っていたら私は死んでいたことを再確認した。

 

 

 

 

 おふざけはここまでにしよう。

 

 

 

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社会のために世の中にある会社を一つ潰せるとしたら?

 

 

と聞かれたらfacebookとLINEで迷うところだが、私はLINEという会社を潰したいと答える。

 

 

 

 

 

なぜなら、あれほど人々の命を刈り取るものもないからだ。 

 「コミュニケーション」をアシストするツールは片っ端からサーバをストップさせなくてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

なんでここまで嫌いなのか?

 

 

 

その99.9999999999%が無駄だからだ。

 

 

 

 

 

冷静に振り返ってみてほしい。

なんら生産性のない会話に何時間も費やし、気がつけば一日を終える毎日。

 

 

 

いつの間にかもう1年も経ちました。

それで良いのか? 

 

 

 

 

 

こういうことを言うと、

「その話していたという体験に意味がある」ということを言ってくる人がいる。

 

 

 

しかし、そんなもののために人生通算でどれほどの時間を浪費するのかという話だ。

 ROIが低すぎるではないか。

 

 

 

 

 

 

「孤独となり自らとひたすら対話を重ねること」

 

 

 

 

現代にはこれが足りなさ過ぎる。

 

 

「facebookで友達を作るのに命をかける人間」

「LINEを四六時中チェックしている人間」

 

 

 

私から見れば不憫だ。 

 病気である。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは「うわっ陰キャ」

 

 

と上から目線で見下すかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、セネカもしばしば「閑暇」という概念を重要視した。

なんどでも言うが、「完全なる孤独状態」がどれほど大事か多くの人が気づいていない。

 

 

 

 

 

 

多くの瑣末な会話で日々を塗りつぶし、いつの間にか老いて死ぬのだ。

あれだけコミュニケーションで無駄な時間を量産してしまうと、寿命が1000年あってもあっという間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コミュニケーションは寿命を縮める」 

 

 

 

 

極論ではない。愚の音も出ないはずの正論だ。

 

 

 

 

おもしろきことなき世を面白く

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