私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

勝ち組大手企業に勤める人間が知るべき1つのこと〜就職偏差値が高いほど危険〜

約 5 分

世間では就職活動が解禁したらしく、例年通りいさかいない「勝った」「負けた」の論争が始まった。

 

 

 

 

みんしゅうや2chといったところで行われる投稿をみるとまさにデジャブであり、社会全体としてなんら前進していないことを感じる。

 

 

 

 それはさておき

 

 

 

私が、就職活動をする前に読んでおきたかった本がハンナ・アレントの『人間の条件』であることは繰り返し述べてきた。

 

 

 

 

 

今日はこの中にある「専門性」と「分業制」の誤用に関して考察をしたい。

 

 

 

1.大手企業に勤める年数が長いほど。。。。

 

 

本題に入る前に「労働」の問題点が重要となるので確認しておきたい。

 

 

 

ハンナ・アレントは「労働」について以下のように述べる。

 

 

 

近代は伝統をすっかり転倒させた。すなわち、・・・・伝統的ヒエラルキーさえ転倒させあらゆる価値の源泉として労働を賛美し、・・・引き上げたのである。

 

 

 

 

 

つまり、前近代までは、労働という概念が最も下辺に位置していたということである。

 

 

 

だが、アリストテレスが「肉体を非常に劣悪なものにするような職業」と述べた「労働」はなぜ現代において頂点に君臨しているのか?

 

 

 

 

 

 

 

近代において労働が上位に立った理由は、まさに労働の「生産性」が注目されたからである。それ以外の価値は全て捨てられた。

 

 

 

 

これを絶賛したのが、ロック、アダム・スミス、マルクスという古典派経済学の重鎮たちだ。

 

 

アレントは以下のように述べる。

 (「労働」が如何に賞賛されていたかがわかるだろう。)

 

 

その上、スミスやマルクスも、非生産的労働は寄生的なものであり、実際上は一種の労働の歪曲に過ぎず、世界を富ませないから、この非生産的労働という名称には全く価値がないとして、それを軽蔑していた。

・ 

熟練作業と未熟練作業の区別や、知的作業と肉体作業の区別が、古典経済学においてもマルクスの著作においても、なんの役割も果たしていないのは興味深い、労働の生産性にくらべると、実際、それらの区別は第二義的な意味しか持たない。

 

 

 

 

 

「生産性」という「合理性」を前にして、あらゆる価値は捨てられ「労働」が最も価値あるポジションへとうつった。

 

 

 

 

ここで表題の話に戻る。

 

 

大手企業ほど「生産性」を意識している組織はない。

だから、そこには部品としての労働者以外必要とされないのである。

 

 

 

これは何を意味するか?

 

大手企業で年月を長く過ごすと、市場でまったく役に立たない人間になるということだ。

 

 スケールメリットを出そうとする会社ほど非常に危険

 

 

 

 

 

2.分業制が進んでいる会社にいた人間ほどしがみつかざるをえない人間に

 

アレントは大企業に見られる行き過ぎた分業制について以下のように述べる。

 

 

近代の分業では、それ以前には若い未経験の人に割り当てられていた仕事がそのまま固まって終生の職業となったからである。しかし、分業では、一つの活動力が非常に多くの細かい部分に分化しているので、それぞれに専門化した作業者は最小の技能しか必要としない、この結果、・・・・熟練労働が完全に廃止される傾向が現れる。したがって、労働市場に持ち込まれて売られるのは、個人の技能ではなく、「労働力」となる。

 

 

 

 

熟練されては代替がきかなくなる。

だから資本家は、代替可能なレベルまで作業を分解するのだ。

 

 

 

 

わかり易い例で言うとケーキを一人で作れと言われると困るだろうが、「クリームをぬれ」や「盛り付けをしろ」なら誰でもできる。

 

 

 

それと同じである。

 

 

 

ここで仕事と労働の違いについておさえていきたい。

 

 

仕事の専門化は、本質的には、完成品そのものによって導かれる。そして仕事の専門家には、本性上、各種の技能が組み合わされ、組織されることが必要である。これにたいして、労働の分業の方は、すべての活動力が単一であるという同質性を前提としており、それには特殊な技能はなんら必要としない。

 

 

 

 

 

 

アレントの意図に基づけば、仕事は完成品で評価されるが、労働はその活動力を評価されるということだ。

 

 

 

 

 「成果を出せ」と言われると結構怖いものだが、そちらのほうが、まだ随分とよいのではないか?

 

 

 

 

大企業のゴマすり出世などはまさにハンナ・アレントの言う労働であり、これは一生会社にぶら下がり続けることを余儀なくされる序章となるのは想像に難くない。

 

 

 

ただ、その会社はあなたが死ぬまで面倒を見てくれるのか? 

 

 

 

 

3.あなたは今の職場にいて市場で生き残れるか?

 

分業の問題点をアレントは以下のようにまとめる。

 

労働の分業は、二人の人間がその労働力を重ねあわせることができ、「二人があたかも一人であるかのように振る舞う」ことができるという事実にもとづいている。 この一者性は、協業のちょうど反対であり、種の単一性を示している。種の単一性という観点からみれば、個々の構成員はすべて同一で、交換可能だからである。

 

 

 

 

ようするに「労働」に従事している場合、いずれ買い叩かれるか切り捨てられるということを述べているのだ。

 

 

 

 

 

結構当たり前の事を言っているだけだと思うかもしれないが、あなたは「キャリアを築く」どころか「キャリアを破壊」していないだろうか?

 

 

 

 

 

これは、自分の今の職務内容に照らしてほしい。

 

 

 

別のところに行って使えるか?

私が不可欠な存在か?

 

 

 

 

 

 

大企業ほどそのリスクはあることを知らなくてはならない。

専門性が高まるのとは逆に分業の結果単なるコモディティ化した人材になっていないだろうか? 

 

 

 

 

分業制が進んだ世の中で数少ない「仕事」を探さなくてはならない。

 就職活動生がもし読んでいるなら、企業選びは上記の基準一つで十分であると述べたい。

 

おもしろきことなき世をおもしろく

 

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