私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

あることを1つ諦めれば、人生が100倍楽しくなる

約 6 分

あなたは、運動会のリレーにそこまで足が早くないけど選抜されていただろうか?

 

あなたは、文化祭の出し物をしきっていただろうか?

 

あなたは、サークルの盛り上げ役だっただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

もしそうならこの記事を読む価値が無い。

実に楽しい人生を送ってきたのだろう。おめでとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

逆に

 

 

あなたは、運動会で玉入れかもしくはポイントの低い100m走にでていただろうか?

 

あなたは、文化祭の模擬店で廃油処理だっただろうか?

 

あなたは、大学時代1日で盛り上がりサークルから脱走しただろうか?

 

 

 

 

 

今挙げた問いかけは、まさに私の中学・高校・大学時代の私のことなので、該当している必要はない。

 

 

 

 

 

ただ、類似の経験をした人にはぜひ聞いてほしいことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「学生時代をひきづるな」

 

ということだ。

私など学生時代すべてが暗黒の時代だ。

 

 

 

 

 

 

学生時代というのはおおよその序列が「社交的であるかどうか」のみで決まる。 

 だから、「社交的」ではない私にとっては、暗黒なのである。

 

 

 

 

 

 

 ただ、このレールから逃れなければ、凡庸なつまらない人生を送ることになることを今日は述べたい。

 

 

 

 

 

1. 陰キャラでいいじゃん

私の学生時代のキャラ位置や呼称をまとめてみた。

 

 

 

 

中学時代「陰キャラ」「無口」

 

高校時代「頭がおかしい」「なにか違う方向を見ている」「元気出せよ」「暗黒」

 

大学時代「頭がおかしい」「狂人」「何がしたいのかわからない」

 

社会人 「文学青年」「歩く岩波文庫」「お前もっとしゃべれ」「コミュニケーションって大事」 

 

 

 

 

一部「セリフ」が混ざっているが、あまりに言ってくる人がいるので、もはや私の呼称だと判断している。もちろん無視するが。

 

 

 

 

 私ほど「イケてないグループ」に属していた人もいないということを示すために使った。

 

 

 

 

 

 

この中でも特に、中学時代は、相当精神的に苦しんでいた。

「明るくない=人間じゃない」くらいの扱いをしてくる人間が最も多くいたものだ

 

 

 

 

 

 

 

これが学生時代だけで終われば良いのだが、大人になっても学生気分のじじいやばばあは消えない

 

 

 

 

「社交的でなければダメ」と言いたそうな顔面をぶら下げてる奴ばかりだ。

 

 

 

 

 

 ただ、私の場合、明るくすることを諦めてから人生が良い方に作用し始めた。

 

 

 

 

 

 高校時代からその徴候はあったが、

大学2年あたりで、完全に振りきれたことを象徴するように、友達をへらし、ストレスから自分を解放したのだ。

 

 

*そのきっかけについては、ここでは割愛する。

 

 

 

 

 

 改めて言うが、

「社交的」であることを諦めることで、人生の密度を100倍濃くできた。

 

 

 

 

 

 

例えば、私の土日の過ごし方は、基本的に岩波文庫を読むか文章を書くか、筋トレをするかの3択しかない。

 

 

 

 

 

 

おそらく、多くの人が私を「つまらなそうな人生」と思うだろう。 

しかし、あなたと違って、まったく「他者の目線」など意に介さない。

 

 

 

 

 

それどころか、この楽しみに気づいていない世の中の人を哀れんでいる。

 

 

 

例えば、あなたに聞きたいのだが、 

 

 

なんで激安添加物山盛り居酒屋で生産性のない会話をすることが「社交的」と言われ人生が充実していることの代表例なのか?

 

 

 

 

 

 答えられまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社交的」であることが「人生の充実」と考えるのは、卒業したらどうか?

 

 

あなたは中2病だ。

早く卒業してほしい。 

 

 

 

 

 

 2.「社交的」である人間のつまらなさ

 

 私が「社交的」人間が決定的に嫌いな人間は、「発言や行動の軽率さ」である。

 

 

 スーザン・ケインの言葉を借りれば、

 

 

 

 

社交的(外向的)人間は、「誰かとの関わり」から、自分の行動を決定する。

 一方で、内向型人間は、「内なる自分との対話」から行動を決定する。

 

 

 

 

 

どういうことか?

 

 

 

 

 

 

 

「飲み会」を例にするとわかりやすい。

 

 

 

 

 

「飲みに行こうぜ」とあなたを「友達」と信じてやまない人間が誘いをかけたとする。

 

 

 

誘ってくる奴が既にうざくてそっちに目線が行きがちだが、ここでの焦点は受け手側なので、ここはスルーする。

 

 

 

 

 

外向的人間は、「誰が行くの?」といったレスポンスをするのが典型的だが、外部要因で行動の実施を決定する。

 

 

 

 

 

 だから直前のドタキャンなども日常茶飯事だし、文句ばかり言っている。

 

 

 

 

 

 

一方で、「社交性がない」と呼ばれる人間は、

(生産性ないし、どうせ食品添加物が山盛りの激安居酒屋だろうし、)「行かない」

 

 

 

といった具合に内なる自分と対話し、迅速に決定できる。

 

 

 

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ここでのポイントは、他人に流される 「社交的」人間は、人生をものすごいスピードで浪費するというところにある。

 

 

 

 

 

 

3.「社交的」と呼ばれる人間の言うことなど聞かなくていい

 

 

 

先程述べたが、私のように「内向きエリート」でも苦戦するほどに、社会人という世界も学生同様「社交的であること」以外の生き方を認めない。

 

 

 

 

 

例えば、会社のオジサン世代が私を殺しにかかる一言がある。

 

 

 

 

「〜くんは、普段誰とご飯食べてるの?」

「〜くんは、誰とよく飲みに行くの?」

「〜くんは、休日誰とよく遊ぶの?」

 

 

 

 

 

「そんなに俺を殺したいのか?」

と返したいところだ。

 

 

 

 

 

 

なぜなら、明らかに殺しにきているからだ。

ニコニコしながら刃物を持っている。

 

 

 

 

そこに「一人で」という余地は皆無だ。

 

 

 

 

 

 

 

「社交性がある」と言われる人は、「誰かといない人間」に向かって「お前!精神病だからな!」と言うことが、趣味なのだろう。

 

 

 

 

 

 

ただ、こういう精神病の人間たちに合わせるのはやめよう。

あなたも病気になる。

 

 

 

 

例えば、「お昼誰と食べようかな」と12:00前に考えはじめていたらそれは病気だ。

 

 

 

 

 

「お昼は一人で岩波文庫」と決めておけば、どれほど生産的な人生か。

 

 

 

 

 

 

 

あなたは、外部の声に従って「〜すべき」ということばかりに気を取られすぎだ。

 

 

 

 

 

さっさと「社交的」であることをあきらめよう。 

 

 

面白きことなき世を面白く

 

 

p.s ちなみにスーザン・ケインはこんな言い方はしていない

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