私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

稀代の英雄がもつ驚くべき資質 〜根暗でも良いんじゃない2〜

約 5 分

英雄というとどういうイメージを思い浮かべるだろうか?

 

 

 

 

高校で言うところのサッカー部?

中学で言うところの対抗リレーのアンカー?

小学校で言うところのバク転ができるやつ?

 

 

 

 

 

そう。我々は、英雄的存在というとあのクラスで「モテる要素」をすべて一人で持っていく男たちを思い出すはずだ。

 

 

 

 

 

逆に、、、、

 

 

あなたは、卓球部だったかもしれない。

あなたは、リレーではなく、玉入れだったかもしれない。

あなたは、跳び箱が6段しか飛べなかったかもしれない。

 

 

 

私は、もちろん後者のグループのような人間だ。

 

しかし、元気を出してほしい。

カエサルという英雄がそのイメージを取り払ってくれたのだ。

 

 

 

今日は、ほんの少しだけ元気をもらえる話を提供したい。

 

 

 

1.カエサルという男

 

ひとことで言うと「圧倒的にコミュ障」な男だ。

 

 

 

 

 

英雄でありながら、私と同じ臭いがするというのは根暗でも上昇できるんじゃないかと思わせてくれる。

 

 

 

世界史の教科書などをみているだけだとカエサルは間違いなくサッカー部でかつキャプテンをしてそうな男だ。

 

 

しかも運動会では、アンカーを走りそうな雰囲気である。

でもそうではないのだ。

 

 

 

2.カエサルの伝説的強さ

 まず、本題に入る前にカエサルの凄さを少し話しておかなくてはならない。

 

 

 

 

ひとことで言うと、古代ローマ帝国の領土を最大までに広げた人だ。(多分・・・・)

 

 

 

 

 

私のように大学受験時代に世界史で25点をとって諦めたタイプは、ローマというとイタリアの首都?と考えるかもしれない。

 

 

 

しかし、昔はとんでもない領土を持っていた。

帝国という冠がつくにふさわしい国だったのだ。

 

 

 

 

具体的に言うと、ヨーロッパのほぼ全てに加え、エジプトなどのアフリカにも進出していた。

 

 

 

 

その王国を率いていたのがカエサルである。 

 

 

 

 

 

 

詳しくは、『ガリア戦記』などを読んでみるといいかもしれない。

 

 

 

このカエサルは、言うまでもなく、とにかく頭が切れ、戦争に負けないことで有名であった。

 

 

 

 

 

 

 

以前書いたアレクサンドロス大王同様、相手軍が数万人死んだのに30人位しか死者を出さないというとんでもない設定で伝記が描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

これだけを聞くと完全にサッカー部で10番をつける男である。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、冒頭に述べたが、そうではないようだ。

 

むしろ逆だ。

 

 

 

 

スクールカースト的に言うと、モンハンの話で花を咲かせるようなタイプの人種だった。

 

 

 

もしくは、クラスに一人はいた中3になって受験勉強をしたくない一心で、遊戯王カードを再度はやらせようとしたようなタイプの人間だったのかもしれない。

 

 

 

 

間違えて、私の学生時代のことがでてきたので、カエサルの話に戻したい。

 

 

 

 

カエサル王バンザイ」

 

 

 

カエサルは、こういった民衆の声に対して、不遜な態度を取る事が多かったという。

 

 

他にも有名なシーンがある。

 

 

 

元老院の人たち(サラブレット)がカエサルを称える意味で栄誉や報奨を与えようとした際にも不遜な態度をしばしばとった。

 

 

  

 

しかも、「栄誉は追加するより削除した方がいい」とカエサルはあしらう言葉を吐き、元老院をしばしば怒らせたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、彼が不遜な態度をとった理由がコミュ障の典型だ。 

『ローマとギリシャの英雄たち』にあるので、引用したい。

 

 

 

 

 

「私は・・・・大勢の人に話しかけられると、めまいに襲われ、気を失ってしまうんだ。さっきは、ちょっとそれが・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

話している内容もさることながら、このたどたどしさはいうまでもなくまさに「コミュ障」だ。

 

 

 

 

 

 

 

掛け値なしの本物である。

 

 

 

 

 

彼いわく、そっけない態度を取るのは、みんなから注目をあびるのははずかしいからという理由だけなのだ。

 

 

 

 

 

王、英雄と言われた男の性格とは思えない。

 

 

 

 

3.英雄の姿は一つではないということ

 

しかし、こうした内向的なカエサルの姿に我々は勇気をもらえるのではないだろうか?

 

 

「我々」と言ったが、私は少なくともコミュ障の筆頭格として、勇気をもらった。

 

 

 

 

 

冒頭から例をやたらと使っているが、我々はついつい英雄の姿を固定してしまいがちだということを伝えるがためにこう書いている。

 

 

 

その例が前述の「サッカー部」であったり、「リレーのアンカー」であったりするわけだ。

 

 

 

 

 

 

 学生時代不遇な思いをし、自分の格付けが低いと感じている人であっても別に人生の底辺を走るわけではないということなのだ。

 

 

 

 

 

むしろ、コミュ障は「思考力」をとんでもなく日頃から鍛えている。

 

 

 

 

  

翌々考えてみると人に対して「あの人は思考が深い」と言われるのは決まって沈黙が長い人だ。

 

 

 

 

 

つまり、無理して話さなくても 「テニスサークルに入りたい」といった要望がなければ何ら問題はないということだ。

 

 

 

 

 あなたも勇気を出してほしい。

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