私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】生きる意味がわからないということについて

生きる意味がわからない

 

 

そう考える人があまりに増えるのが今の世の中。

だからこそ、自殺数は増え続けるし、うつ病になる人で溢れかえっているのかもしれない。そんな気がするのは私だけではなかろう。

 

 

そういった中で「生きる意味」に応えてくれる「心理学」「教え」「タレントによるエッセー」そういったコンテンツが人気である。

 

それらが人気の理由はいうまでもなくその「即効性」であろう。

 

 

では聞くが、それらはあなたを救う結果となっているだろうか?

 

「すごい助けられた!」

 

 

あなたはそういうであろう。

しかし、端から見ているとどうもそうは思えない。

 

 

むしろそれらのコンテンツが人気を博するほど病は加速しているかのように見える。 

もちろん私は釈迦ではない。

 

 

だから「生きる意味」を教えることはできない

 

ただ、私には過去に学びを得ることで「してはいけないこと」を伝えることだけはできる。

「私は人間の諸行動を笑わず、欺かず、呪詛もせず、ただ理解することにひたすら務めた」

スピノザ『国家論』

 

今日は、「生きる意味」がわからない人に参考になるかもしれないことを考えてみた。

 

  1. 生きる意味がわからない理由
  2. 生きる目的や理由を考える際にしてはいけないこと
  3. その苦しみは・・・・

 

1.生きる意味がわからない理由

一言で言おう。

 

まず、あなたが「生きる意味」がわからない状況にあるのはあらゆる「根」を刈り取られた無世界にぽつんと置かれている状況にいるからだと思うのだ。

 

 

あらゆるものは信じるには物足りず、信じるに値するものなど「一切」と言ってもよいほどにない。。。。そういった世界に我々はいる。

 

 

特にこの境遇が当てはまる人たちがいる。

 

 

それは、「賃金労働者」と呼ばれる人たちだ。日本人の85%はこれに属している。

 

ところが、われらが時代の主たる社会的困難は、わが国の労働者もまたある意味の移民だという事実に基づく。地理的には同じ場所にとどまるとはいえ、精神的には根こぎにされ、追放され、いわばお情けで、労働に供される肉体という名目であらためて認知されるにすぎない。

シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』

 

 

ヴェイユがここで言っていることは何も難しくない。

賃金労働者は、肉体的必要性という衝動を第一義のモチベーションとし、資本家のお情けで労働に飛び込む。

 

 

そこには、精神的な横溢は全くもって見られず、ただただ、生きるために生きる日常に出くわす。彼らには何も根がなく「労働力を提供する」ということしかできない。

 

 

そういった事実が精神的にも肉体的にも個人を苦しめ続けるわけだが、賃金労働者はいずれ2つの終着駅に辿り着くとヴェイユは述べる。

根こぎは人間社会にとって他に類を見ない最も類を見ない最も危険な病である。おのずから増殖していくからだ。真に根こぎにされた存在には二つの行動様式しかない。・・・、死の等価物というべき魂の無気力状態に落ち込むか、あるいはまだ根こぎの害を被っていないまたは部分的にしか被っていない人々を、往々にして暴力的な手段に訴えて完全に根こぎにする行動に身を投じるか、そのいずれかである。

シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』

 

 

ヴェイユの述べる終着駅とは以下の2つだ。

  1. 「無気力状態になること」
  2. 「周囲をそれと同じ状態に導くこと」

 

「あなたって悲観的なのね」

「生きてればいいことあると思うよ」

 

私のことを哀れな目で見る人がいるであろう。

そして私はそう思うことを否定しない。 

 

 

ただ、個人的にはここに見られる功利主義のアポリアこそが、「生きる意味」がわからない人たちの現状を言い表しているといわずにはいられない。

 

 

「じゃあ未開人に帰れというのか!」

 

 そういう批判がここで想定されよう。 

私はそう言いたいのではない。

 

 

ここ200年〜300年続いてきた功利主義の全てを私は否定するわけではない。 

ただその致命的な欠陥を指摘しているだけだ。

 

 

それは、資本主義が促し続ける技術革新の目的が、「労働者の苦痛の解放」に向けられることは一切なく、「生産性の向上」のみに向かうというところだ。

 

技術的進歩を達成しようとする者は、以下の確信をたえず思念にとどめおくべきだ。すなわち、製造の現状において気づき得るあらゆる種類のあらゆる不備の中で、一刻の猶予なく緊急に改善すべき不備とは、右のように労働者が貶められている事態であり、この事態を悪化させることは断じて慎み、これを緩和させるためならあらゆる手を尽くすべきであると。

シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』 

 

これを正すことで功利主義は健全な発展ができると私は思っている。

 

2.生きる目的や理由を考える際にしてはいけないこと

さらに話を進めよう。

 

ヴェイユの言葉に先ほどあったが、こういう時代でも「無気力」に陥らない人間もいるにはいる。

 

 

具体的には、「向上心の高い人間」「そういった伝染をもろともしない人間」のことだ。

 

 

では、彼らは、先ほどの人たちと異なり何ら問題ない人間たちなのか? 

 

いや。そうではない。

実は、ヴェイユはこれらの人間にも襲いかかっている根こぎを指摘し忘れていた。

 

こちらの人間達も取り返しのつかない状況に足を踏み入れようとしている。

 

 

 

彼らは先ほどのタイプの人とは違い考えることができる。

生きる意味はなんなのか」と。

 

 

そして、答えを出すに至る。

 

「女だ!」

「金だ!」

「起業だ!」

「独立だ!」

 

 

こうして彼ら・彼女らは生きる意味を自分なりに規定することに成功するのだ。

そして、功利主義における成功を目指す。

 

 

 

このあと彼らが、成功できるのか失敗するのかが一般的には問題となる。

しかし、私はそこを問題としない。

 

 

なぜなら、彼ら・彼女らが功利主義において成功するにせよ失敗するにせよ生きる意味分からない状況から決めたその生き方はどちらに転んでも取り返しのつかない一歩なことに変わりがないからだ。

 

 

要するに、私がここで言及したいのは、功利主義の領域において成功しようと脱落しようとそこは生きる意味を与えることに何も役に立たないということである。

 

3.その苦しみは・・・・

私が、ここまでで何を言いたかったのか。

それは一つだ。

 

 

成功者でも無気力者でもなく、生きる意味わからない状況に苦しむあなたの現在の状態こそが実は最も「マシ」な状態かもしれないということだ。

  

 

「自己の変化」というキーワードがあまりに流行っているが「変化」は必ずしもあなたにいいものとは限らない。

 

 

つまり、その「苦しみ」から逃れることが真に幸福であるとは到底私には言えないということだ。

 

それでもパルメニデスは、独立した人間としての個人にのみ開かれている道と、目的が何であれ仲間と共に進んで行く誰もが歩める欺瞞の道を区別していた、プラトンが幾分なりともパルメニデスに同調したのはこの点であった。

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

古代の賢者が選んだように苦しみ抜くという決意こそまずは生きる意味が見えてくる第一歩であると私は考えている。

 

 

その上で、「失調した」のは個人ではなく、「失調した」のは社会であるということへの気づきを得ることであなたはわからないでいた生きる意味を見出すことができるかもしれない。

 

「どうしようもないじゃないですか」彼は泣きながら言った。「目の前に見えるものを消しようがありません。二足す二は四です」

 

「時には、ウィンストン、時にはだが、それが五になることもあるのだよ。三になるときもある。四と五と三に同時になる場合だってある。君はもっと真剣に頑張らないといけない。正気になるのは難しいのだ。

ジョージ・オーウェル『1984』

 

 

現代人は「内省」により「失調した」自己を正すことに躍起になる人間で溢れかえっている。

 

2たす2は5なのだろうか。

私は、2たす2は4だと言い続けたい。

 

 

おもしろき事なき世を面白く