私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】慶應大学広告学研究会の集団強姦(レイプ)から本当に学ぶべきこと・・「クズだな」で終わるな・・

最近、慶應大学のミスコンなども主催していることで有名な広告学研究会が話題である。

 

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事件の概要だが、ここを書くことが今回のテーマではないので、ビジネスジャーナルさんから転載したい。

 

慶應義塾大学の元・公認学生団体であり、「ミス慶應コンテスト」を企画・運営する「広告学研究会」(広研)の男子学生数名による女子暴行事件が10月、「週刊文春」(文藝春秋)などの報道により発覚した。

 海の家を運営していた広研所属の学生たちが、神奈川県葉山町の合宿所に同大学の女子学生を呼び出してテキーラなどを強制的に飲ませたうえ、暴行を加え、さらにその様子をスマートフォンで撮影していたという。

慶応大強姦事件だけじゃない!あの有名大学生たちの「異常すぎる」わいせつ事件簿 | ビジネスジャーナル

 

まあ「どこかで聞いたことがある」という話ではあるのだが、女性を呼び出し酒をあおって集団強姦(レイプ)したというものだ。

 

上のビジネスジャーナルにもあるが、東大でも同様の事件があったことも皆さんの記憶に新しいだろう。

 

こういったニュースが報道されると上がるコメントというのは以下のようなものが多い。

  • 犯人の名前を出せ。
  • 慶應大学はクズだ。(東大の時は「東大はクズだ」だった)
  • 学校の管理体制はどうなっている。
  • エリート大学生がなぜ。
  • 犯人は誰か?

 

確かに我々の理解を超えている。

常軌を逸している。

 

 

ただ、「こいつらはクズだった」「大学ってクズだな」で終わることを私は賢明だとは思わない。東大の集団強姦事件もそうだったし、電通での過労死事件もそうだった。

 

 

「あいつらは、例外的に悪魔のような人間だった。」

 

 

本当に今回の性犯罪を犯した大学生は根っからの悪魔だったか?

 

そういうわけで、どうしてこのような強姦レイプ事件は起こったかについて考えたことを今日は記したい。

 

  1. 集団強姦事件(レイプ事件)の数々に見られる共通点
  2. 慶應大学生は悪魔だったか?
  3. 慶應大学生の集団強姦事件から学ぶべきもっとも大切なこと

 

1.集団強姦事件(レイプ事件)の数々に見られる共通点

先ほども述べたように慶應大学だけでなく、少し前に東大でも起こったし「スーフリ」で有名になった早稲田大学でも過去に起こったことがある。

 

ただ、これだけで「エリート大学生=レイプ事件を起こしやすい」という解釈は不適切であろう。

 

というのも「有名大学」だからこそマスコミは飯の種になるから取り上げているだけである。他の大学でもおそらく起こっているであろうことは想像に難くない。

 

 

まあ前段はさておき本題に入ろう。

こういった大学生の「クズ」としか形容できないような集団強姦事件(レイプ事件)に見られる共通点とは何か?を初めに述べなくてはならない。

 

 

 

それは、「集団である」というその事実である。

 

 

反論があれば是非していただきたいが、有名大学の学生がひとりで強姦事件をしたということをあまり聞いた記憶がない。

 

 

今回の慶應大学生も含め、大学生の強姦事件(レイプ事件)は「集団」で行われていることがほとんどである。

 

 

 

私が何を言いたいのか?

それは、人間はひとりでいる時にはなしえないことを集団になった途端してしまうということだ。

 

フランスの心理学者でもあり、社会学者でもあるギュスターヴ・ル・ボンは以下のように述べる。

 

それだから、人間は群衆地の一員となるという事実だけで、文明の段階を幾つも下ってしまうのである。それは、孤立していた時には、おそらく教養のある人であったろうが、群衆に加わると、本能的な人間、従って野蛮人とかしてしまうのだ。

ギュスターヴ・ル・ボン『群集心理』

 

 

「集団でいる」その事実そのものが人間の能力を劣化させる。

そのことは「教養がある」と言われるエリート大学生であろうとも漏れないと彼は述べている。

 

 

ちなみにル・ボンはなぜこのようになるのかについては以下のように述べている。

 

すなわち、群集中の個人は、単に大勢の中にいるという事実だけで、一種不可抗的な力を感ずるようになる。これがために、本能のままに任せることがある。単独の時ならば、当然それを抑えたものでもあろうに。その群衆に名目がなく、従って責任のないときには、常に個人を抑制する責任観念が消滅してしまうだけに、いっそう容易に本能に負けてしまうのである。

ギュスターヴ・ル・ボン『群集心理』

 

つまり、人間は個人でいる時と比較して集団に埋没した場合「責任能力」が著しく低下するのである。

 

そして何か得体の知れない不可抗力に基づき行動をしてしまうのだ。

 

 

「自分がしたいとも思っていないこと」「自分はしてはいけないとおもっていること」を集団であるがゆえにしてしまった経験は大なり小なりあなたにもあるのではないか?

 

 

集団には「思考停止」を引き起こす作用がある。

 

 

 

だからこそ、集団強姦事件(レイプ事件)は他人事のようでありながら、他人事にしてはいけないのだ。

 

2.慶應大学生は悪魔だったか?

先ほども触れたが、マスコミというのは「エリート」という人たちが起こした事件というのをとかく取り上げたがる。

 

前の電通の過労死事件も電通がエリート企業と言われるがゆえにかなり話題となった。

 

 

 日本というのは「エリート」に対する信頼というのが随分手厚いなと感じる次第だ。

だからこそ、それを覆す事実は人々の視線を大いに集める。

 

 

 

 

「エリートは蛮行、悪行を起こすはずがない。彼らはまともなはずだ。」

 

という迷信は無意識的に多くの人を支配している。

 

 

ただ、世間で言う所の「頭の良さ」が悪行(蛮行)をなさないこととは何も関係はない。

 

 

ここで、ハンナ・アレントがナチス党員として数十万人殺害を指揮したアインヒマンについての分析がズバリこの慶應大学広告学研究会強姦レイプ事件の犯人に当てはまるので引用したい。

 

犯された悪は極めて怪物的なものでしたが、その実行者は怪物のようでも、悪魔のようでもありませんでした。それでも過去の行為と、裁判及びそれ以前の警察での取調べの際に示した挙動から感じ取ることのできる特徴は、極めて否定的なものでした。アインヒマンは愚鈍なのではなく、奇妙なほどに全く<思考すること>ができないのでした。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

頭が良かろうとも「思考すること」が全くできない人間は山のようにいる。

 

そして、集団でいる人間ほど「思考停止」がちであることは先に述べた。 

 

 

 

さて長くなったので、ここでまとめも兼ねて私が伝えたいことを3つにまとめたい。

 

1つ目が、人間は群衆に紛れた途端、普段頭がいいと言われる人であっても常軌を逸した行動を取りうるということ。

 

2つ目が、「何か人間的に欠陥がある例外的人間たちが世の中にはいて、そいつらがこのような蛮行を引き起こしている」という考えが誤りであるということ。

 

3つ目が、そのように考えるあなたこそ別の場面で常軌を逸した蛮行を引き起こしている、引き起こしうる可能性があるということ。

 

 

 

3.慶應大学生の集団強姦事件から学ぶべき最も大切なこと

今回、私は「愚かであること」「愚鈍であること」が悪行につながるという多くの人が信じてやまない事柄を突き崩そうと試みてきた。

 

 

私は今後もこのことを流布し続けるつもりである。

だからこそ、今回の事件に学びを得ようとする志の必要性を訴えていきたい。

 

 

「どこかの慶應大学生が引き起こしたキチガイ事件」という記録をして終わってはいけないのだ。

 

 

下記のアレントの言葉にこそ今回の事件から我々が学ぶべきことが書かれている。

思考する能力が欠如していることは、愚鈍を意味しません。高度に知的な人物においても、思考の能力が欠けていることがあるのですし、邪悪が思考の欠如の原因となることはほとんどありません。それに考えのなさと愚鈍さは、邪悪さと比較するとはるかに頻繁に見られる現象です。

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 

「自分は世間的に見て正常である」という確信

「私はモラリストだ」という自信

「あいつはどこかおかしいのね」という裁断

 

 

 

そういう自信と確信に満ち溢れた「考えのない」人間こそ真に危険であり、愚鈍であるとアレントは述べている。 

 

 

我々はともすれば、どこかに「例外的な悪魔」「例外的悪人」がいると考えてしまう。

 

 

一方で、そう考えつつも何かそれでは処理しきれないことがあることに薄々気づいている。

  

悪とは単なる欠如であり、否定であり、規則からの例外であると考えてきたのです。・・・・しかし悲しいことに、善を為すとも悪を為すとも決めることのできない人間が、最大の悪を為すのです。 

ハンナ・アレント『責任と判断』

 

 思考を停止した「悪魔」は山のように世の中にいる。

 私の中にもいるかもしれない。

 

 

それゆえに、各々が考え続けることの重要性を再認識しなくてはいけない。

 

おもしろきことなき世を面白く 

 

 

 

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