私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【コラム】わたしが考えるブログをやる意味

先日今年の目標であった平均800アクセスを月間で達成し、なんとか平均4桁の壁を越えることができた。

 

続けることって大事だなと改めて思う。

 

5桁目指してやっていきたいと思っている。

 

 

アクセス数が増えて見えてくるものが二つあることに気づいた。

  1. 支持層
  2. アンチ

 

 

通常、1つ目に目が行きがちで私も1が増えれば嬉しい限りだが、大事なのは実は2つ目ではないかと思っている。

 

 

実は今日ブログやる意味として言いたいのはこの二つ目についてだ。

 

現代社会では、数少ない「敵」とのタッチポイントである。

 

これこそが、自分自身を奮い立たせるだけでなく真に「人間らしさ」を維持することができる数少ない手段だと思っている。

 

 

今日は、筆休めにこの少し異なった視点からのブログやる意味について書いていきたいと思う。

 

  1. 「敵」の存在をなぜ歓迎すべきか?
  2. 「友達」から学ぶことはあまりに少ない
  3. ブログをやる意味はやってみればわかる

 

1.「敵」の存在をなぜ歓迎すべきか?

「敵」というとLINEであればあなたはブロックするであろうし、facebookであれば友達解除をするのだろうか?

 

 

そして、あなたのそのバーチャル空間においては一切の「敵」はいなくなっているかと思う。

 

 

おそらくこのバーチャル世界でのやり口を現実世界にも横展開しているのが最近の人たちだろう。

 

 

 

 

おそらくそのような世界は居心地がいいだろう。

私のようにブログで叩かれることを喜びとする人は変態に見えるかもしれない。

 

 

しかし、プルタルコスは『いかに敵から利益を得るか』の中でとても2000年近く前の言葉とは思えないほどに、鋭い指摘をしているので紹介したい。

アンティステネスが、もし我が身を保たんとするならば真の友か狂暴な敵を持たねばならぬ、と言ったのは正しい。友人は忠告により、敵は悪口によって我々が過ちを犯しそうになるのをそらしてくれるからだ。しかし今日では、友情は、何かを腹蔵なく言おうとすると声をつまらせ、そのくせ追従を述べるときには多弁になり、忠告など一言も発しなくなってしまったから、真実は敵からしか聞けない。

プルタルコス『いかにして敵から利益を得るか』

 

「敵」の価値とは一言で言えば「忌憚なき自分への意見」を聞ける数少ないチャンスをくれることにある。

 

 

 

これは、プルタルコスが言うように「友達」からは得られない。

 

例をあげよう。

facebookにあなた料理の写真を毎日あげていたとする。

 

 

そこに「誰も興味ないよ」と正直にコメントしてくれる「友達」がどれほどいるだろうか?

 

 

 

それどころか興味はないが「いいね」をとりあえず友達なのでしている人で溢れているのではないか?

 

 

 

だが、「誰も興味ないよ」というきついコメントが料理の写真を支持されていると勘違いし、無駄に時間を使っている人を実際どれほど救うことになるかはいうまでもない。

我々は、友人が病気になっても、どうかすると死んでも、知らずにうち過ごしてしまうことがある。友人に対してはそれほど迂闊で軽くすませてしまう。ところが敵のこととなるとひたすら好奇心を燃やして、敵はどんな夢を見たかまで知りたがる。

プルタルコス『いかにして敵から利益を得るか』

 

 

リアルとヴァーチャルに限らず、ブログ以外では昨今「率直な意見を聞き出す方法」をお見かけすることができないように思える。

 

それゆえ多くの人を思考停止に誘ってしまっている。

 

2.「友達」から学ぶことはあまりに少ない

私には、友達が一人もいないと公言しているが、これはもちろん「友達」というものが今や本当の意味での友達でなくなったからに他ならない。

 

www.shinsaku-takasugi.com

 

今や「共感」しかしない「友達」は邪魔でしかなくいない方がいいものだ。

 

何も人を向上させない。

それどころか人を退化させる。

 

 

もう少し踏み込んでみよう。

 

 

「友達」との対話やコミュニケーションというのは真に人間らしさを保っているとは極めて言い難い。

われわれは友情を単に親密さの一現象としてみることに慣れきっています。

しかし、ギリシア人にとって友情の本質は対話の中にありました。かれらは絶えざる議論の交換だけがポリスの市民を結合すると考えました。・・・ただ世界が人間的となるのはそれが語り合いの対象となった場合に限ります。

ハンナアレント『暗い時代の人々』

 

ハンナアレントは人間らしさというのは「同調」「共感」の中ではなく、「複数性」や「多様性」の中にこそ見出されると述べたのだが、この言葉は現代人が最も耳をほじくって聞かなくてはいけない言葉だ。

 人間らしさとは感傷的であるよりもむしろ落ち着いた冷静なものであるべきこと、人間性とは同胞愛においてではなく友愛において示されるものであること、友情は個人的な親密さに関わるものではなく政治的要求を掲げて世界について論及し続けるものであること・・・

ハンナアレント『暗い時代の人々』 

 

3.ブログをやる意味はやってみればわかる

あらゆるSNSが今「同調」「共感」のみを求める人々の弱さにつけ込んでいる。

 

もちろんそう言った使い方にとどまらない人もいるだろうと思うので、断定はしないが、一般的にはそうなっていると言って差し支えないと私は考えている。

 

 

ブログというのはこのような全体主義的世界観を打ち崩す数少ない手立てだ。

 

 

私が述べるブログやる意味は始めていただければすぐに実感いただけると思う。

 

 

アンチが増えてくればくるほどブログやる意味が高まるのではなかろうか?

 

 

おもしろき事なき世を面白く

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