私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

【なぜ読む?】自己啓発本が売れる本当の理由

今、本屋に行くとフロアに平積みされている本といえば、ほとんどが「ビジネス書」と呼ばれるものか今回テーマにする「自己啓発本」だ。

 

 

この自己啓発本はなぜ売れるのかという理由を考えていくと、おそらく「読みやすさ」や「手軽にモチベーションを与えてくれるから」などが挙げられるであろう。

 

 

 

なんというか「読書」という概念が突きつける従来の「堅苦しさ」のようなものを取り払っているとも言えようか。

 

 

実際、20代の私の周りにも普段本は読まないが自己啓発本は読むという人が結構いる。

 

 

今日は、なぜ自己啓発本が出版不況の中でも飛ぶように売れるのかについて考えてみた。

  1. 『嫌われる勇気』があれほど売れる理由
  2. 自己啓発本が売れる社会とは。
  3. 自己啓発本を読みすぎた20代の末路とは。

*あらかじめ断っておくと、自己啓発本自体を否定するチンケな文章を書いていくつもりはない。

 

1.『嫌われる理由』があれほど売れる理由

自己啓発本で人気な作家というのはたくさんいる。

 

例えば、本田健さん、千田琢也さん、里中李生さん、堀江貴文さんだったりする。

 

 

まあ他にも色々な人もいるのだけれども、ここでは最も最近売れたと言える『嫌われる勇気』を取り上げたい。

 

 

あの本は私も以前目を通したが、フロイトの因果論に対して逆の立場をとったアドラーという心理学者の一冊である。

 

例を少しだけあげよう。

 

 

例えば、あなたが引きこもりだとする。

これをフロイトの因果論で解釈した場合、「会社がブラックだから」「上司がクズだから」といった過去の事象から現在の状況を分析することになる。

 

 

 

一方で、アドラーの『嫌われる勇気』の場合は、「引きこもっているのが楽だから引きこもっている」という目的論的解釈をするのだ。

 

 

 

まとめると、「今、私がダメなのは自分がその立場にいると楽だからと解釈しているからなのね」と思わせ、別の解釈を与えることで楽になりましょうというのがウケたということだ。(お粗末な解釈だが、許してほしい)

 

 

 

 

つまり、『嫌われる勇気』という本は、「世の中が辛いと感じているがなんとかうまくやっていきたいという人」がかなり多いことを示してくれたと私は言いたい。

 

 

 

実は、このようなエッセンスはアドラー心理学にだけ見られる傾向ではない。

ほとんどすべての自己啓発本も要約すればこの要素を必ず含んでいる。

 

 

で、いよいよ本題に入っていくが、『嫌われる勇気』をはじめとした自己啓発本が売れる社会というのはいよいよ危険であるということだ。

 

2.自己啓発本が売れる社会とは

何が危険なのか?

 

それは、すべての自己啓発本が前提に「あなたがおかしい。だから変わりなさい」というものが前提とされているからだ。

 

 

 

「世の中の方がおかしい」という可能性の検討が一切なされていないのだ。

 

 

実は、このドツボに最初にはまった人物がいる。

 

 

実は、アドラーが初めてではないのだ。

ニーチェである。

 

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 ニーチェの思想については書くことが紙面上できない。

 

 

ただ、ここでは、多くの自己啓発本を書いている人が「ニーチェはいい」と言ったり、少しまえに『ニーチェの言葉』という本がものすごく売れたことからも自己啓発本の開祖のような存在だという認識を持ってもらえれば十分である。

 

 

 

 

ニーチェは社会のおかしさにいち早く気付いた。

 

そして、それを『ツァラトゥストラかく語りき』といった本を通して伝えようと試みた。

 

 

しかし、ニーチェは世の中の荒廃に対して自分自身を変えるという方向に走ったのだ。

 

そしてこれ以後多くの思想家がニーチェと同じ道をたどった。

 

 

 

 

私の見立てではアドラーもその一人だ。

 

 ニーチェの思想についてアレントは以下のように述べている。

私たちが砂漠の世界に生きて行動していることを最初に認識したのはニーチェであったが、その診断に際して最初の決定的な過ちを犯したのもまたニーチェであった。彼の後を継いだほとんどの者たちと同じように、彼は、砂漠は私たち自身のうちにあると信じていた。その結果、彼は最初期の意識的な砂漠の居住者のひとりとしてだけではなく、さらにそのもっともひどい錯覚の犠牲者についても、登場することになったのである。

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

ニーチェは世の中が砂漠であることを見抜いた。しかし、その砂漠に意識的に住んだ犠牲者という意味で思考停止した人間たち以上の被害者だったとアレントは述べている。

 

 

 

ニーチェの話が少し長くなったが、なぜこの話を書いてきたかというと、このニーチェと同じ状況にあるのが自己啓発本をたくさん読む人たちだということが言いたいからである。

 

 

 

おそらく自己啓発本を読む人たちは、無意識に気付いた。

世の中がおかしいと。

 

 

そして彼らは向上心を失っていない偉大な人間であった。

 

 

だが、なぜか今砂漠に住もうとし、取り返しがつかない状態になろうとしている。

 

 

自己啓発本を買う人というのは病を治そうとしてより病を深めようとしている人たちなのだ。

 

 

『嫌われる勇気』の基であるアドラー心理学もまたわれわれに「まっとうであろうとする」チャンスすら破壊しうる可能性があるのだ。

 

 

アレントは「心理学」の危険性について以下のように述べる。

 

心理学は私たちを「救済」しようとするのだろうが、それは心理学が、私たちがそうした情況に「順応」する手助けをして、私たちの唯一の希望を、つまり砂漠に生きてはいるが砂漠の民ではない私たちが砂漠を人間的な世界に変えることができるという希望を、奪い去ってしまうということを意味しているのだ。心理学は全てをあべこべにしてしまう。私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

 

3自己啓発本を読みすぎた20代の末路とは

「お前はニートを正当化するつもりか」

 

「人の向上心を否定するつもりか」

 

とおそらく叩かれそうだ。

 

 

そういう人のために予防線を張ると、私はそういう立場ではない。

 

 

アドラーのエッセンスを全否定するつもりもないし、向上心を否定するつもりもない。

 

 

自己啓発本でもいい作品がたくさんある。

 

 

ただ、向上心の向く方向に違和感があるということを述べたいのだ。

 

 

要するに、「お前は頭がおかしいから直せ」は危険なのだ。

 

 

 

「順応させる」ことで、社会を人間的な世界(社会)に変えるという最後の希望を打ち砕いてしまうのだ。

 

・・・常に追求するのは「目的」ではなく「目標」でなければならない。目的は堅固に規定され、手段(暴力を含む)を選択して正当化し、神聖化すらも行い、自分の役にたつあらゆる事柄を手段の地位に貶め、役に立たない事柄は何であれ無益だとして棄却する。

ハンナ・アレント『政治の約束』

 

アドラーを聖書にすればあなたは砂漠の住人になるかもしれない。

社会を何らかの形で変えるという希望を失ってはいけないと私は思う。

 

 

少しずつ「まっとうな人」が食われていっている気がしてならない。

 

 

おもしろきことなき世を面白く

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