私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

そろそろ「会社がうざい」の根本理由に迫ろうか

あなたは一度、いや一度どころか毎日思っていることがあるだろう。

  • 会社がうざい
  • 会社に行きたくない
  • 会社に合わない
  • 会社にはくだらない人間しかいない
  • 会社がつまらない
  • 会社の飲み会は潰れろ

 

そう、あなたは苦しんでいる。

そして、疑問に感じる。

 

 

 

 

「どうして日本の会社はここまでうざいのか?」と。

 

 

本日は、この難問に臆することなく立ち向かっていきたい。

 

 

「上司がうざい」や「飲み会がうざい」といった表層的なものではなく、本質的になぜ日本の会社は被害者がたくさん出る構造なのかということを考えていきたい。

  1.  会社のウザさの起源
  2. 「仲間集団」内で見られる「タコツボ化」
  3. あなたが会社に「合わない」のは前提が違うから

 

 

1.会社のウザさの起源

会社というのはどうしてここまで鬱陶しいのかということは歴史を見ていくことでわかる。

 

 

結論から言うと、「機能集団」である会社に「仲間集団」を持ち込んでいるからだ。

 

 

そして、「機能集団」としての役割しか期待していない主に若い世代からすると「仲間集団」としての機能が強いことに理解ができないので、「会社がうざい」となるのだ。

 

 

ただ、「仲間集団」を持ち込んでいる方にも言い分はあるので、それも書いていきたい。

 

 

 

どうしてこうなったかは、「資本主義」が日本に持ち込まれた際の事情をおさえることでわかる。

 

 

 

日本は資本主義の導入の仕方が世界の中でも極めて特異であった。

通常、資本主義というシステムは必ずと言ってもいいほどキリスト教と一緒に持ち込まれる。

 

 

 

しかしながら、日本の場合は、一神教であるキリスト教多神教を基調とする神道仏教と折り合いがつかずキリスト教は受け付けなかった。

 

だから、キリスト教を除いた資本主義のシステムのみを取り込んだのだ。

 

 

 

この話が「会社がうざい」というのとどういう関係があるのか?

 

 

 

大ありなのだ。

 

 

キリスト教というのは「礼拝」というものが日常的にある。

この宗教的慣習は宗教的な意味合いはもちろんだが、それ以上に社会のコミュニティ醸成に大きな役割を果たしている。

 

横のつながりを生み出すといえばわかりやすいであろう。

 

(ヨーロッパにおいては)他方においてはそれと別のダイメンジョン、それと別の次元で人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがございます。例えば教会、あるいはクラブとかサロンとか言ったものが伝統的に大きな力を持っていて、これが異なった職能に従事する人々を横断的に結びつけ、その間のコミュニケーションの通路になっているわけです。ところが日本では教会あるいはサロンといったような役割をするものが乏しく、従って民間の自主的なコミュニケーションのルートが甚だ貧しい。

丸山真男『日本の思想』

 

 

しかし、日本の場合は、キリスト教を取り入れなかったので、横のつながりを担保する教会コミュニティがない。

 

 

神道仏教は家で個人的に拝む程度だ。

 

宗教に変わる何か別の「横断型」コミュニティがあれば問題は解消されるのだが、そんなものはあるだろうか?

 

 

 

 

そう考えれば明快である。

日本には、共同体とつながる要因が極めて薄い。

 

会社におけるコミュニティがなければ、私のように「友達がいない人生」を送るか、学生時代の人間と居続けるしかないのだ。 

 

私のような哲学をしていれば生きていける人間などごく少数だろうから、こう言った社会ならば多くの人がクオリティオブライフが下がる。

 

 

だからこそ、少しでもコミュニティ機能を担保する意味で、多くの日本企業は「仲間集団」要素を「機能集団」に持ち込んだ。

 

 

 

これは、ある種彼らなりの「合理性」だと言える。 

 

 

 

自伝などを読んでいると稲盛和夫さんや出光佐三さんなどは典型的で、「仲間集団」的要素を積極的に取り込んでいる事を公言しているほどだ。

 

 

 今、「悪い目線」で論を進めてきたが、 そうはいってもこの「会社は家族」という思想はリスクに対してあまりある対価があった。

 

それが終身雇用であったり、年功序列型賃金生であったりする。

 

 

 

しかし、今やこの「仲間集団」の持ち込みは、終身雇用や年功序列が崩壊した現在においては害毒を垂れ流すものでしかなくなってしまった。 

 

 

2.「仲間集団」内で見られる「タコツボ化」現象

「仲間集団」についてここではもう少し掘り下げたい。

 

「仲間集団」はどうしてうざい状態になるのか?

 

 

これは、集団内において個々にムラを作り出しその中で独自の偏見を盛り込んだ社会を形成するからだ。 

 

何が問題なのかというと、大きく3つある。

 

  1. そのムラにおいては会社の規則や国の法律以上に「ムラ」独自のルールが優先されるようになる。
  2. そのムラは無限に増殖していくという性質を持つため、若者は複数のムラに所属しながら生きていくことが求められ、いたるところで「常識」の切り替えを迫られる。
  3. そのムラでは村八分とも言える定期的なスケープゴートの処刑があり、その対象となった場合、会社にはもはやいられなくなる。

 

 

 似たようなことを以前下記記事でも述べた。

www.shinsaku-takasugi.com

 

 

これが丸山氏の言葉を借りると、「タコツボ化」と呼ばれる現象である。

 

 

 

少し、「タコツボ化」現象が何たるかをわかりやすく理解するために丸山氏が使っていた「大学」を例に説明したい。

 

 

総合大学(東大だとか早稲田だとか慶應だとか)と呼ばれるいろいろな学問が一堂に集まる大学が日本にはたくさんある。

 

 

あれだけいろいろな学問が集まっているのだから、一緒に集まることによる相乗効果があるかのように外から見ていると思わないだろうか?

 

 

しかし、あなた自身の経験に照らしてもらってもわかるように学部を超えた学問的交流など皆無だ。

 

それぞれが別の大学であると言っても良い。

 

 

あれが典型的な「タコツボ化現象」の例だ。

大学という箱の中に小規模の集団が乱立する現象だ。

 

 

 

 

そして集団はさらに小集団化する。

 

個々に独自のルールや偏見を醸成する。

結果、外部との接触をさらに切断し、排他的になっていく。

 

学問領域別のカットは確かに効率はいいのだが、イノベーションが起きにくくなるのはイメージいただけるだろう。

 

 

つまりそれぞれの組織的な集団が、こういう風にして沈殿した思考様式というものをみんな持つようになる、そこに組織としての偏見がそれぞれ抜きがたく付着するということになるわけです

丸山真男『日本の思想』

 

 

これは別に日本に限ったことでもないのだが、特に日本は集団内で分裂した小集合を無限に作り出す民族性があるようだ

 

 

さて話を戻そう。

これが会社でもおきるのだ。

 

 

あなたが入社した際に、独立したままその会社に居続けることはできない。

学部や学科に当たる部門のような小集合に属することが求められる。

 

 

 そして、その小集合の中のどこかのムラに組み込まれる。

 

 

 そこには若者からすれば、前時代の偏見に偏見を重ねたキチガイな王国がある。

 

 

 こうして、あなたはムラの住人として非常識な「常識」を守りながら生きていくことを求められるのだ。

  

3.あなたが「会社に合わない」のは前提が違うから

ここまで書いてきたことでわかると思うが、あなたが会社に合わないのがなぜかは明快である。

 

 

「上の世代」と前提が違うのだ。(わりと平凡な結論になったが)

 

 

「機能集団」として会社をただの箱だとしてしか見ない若者にとっては「仲間集団」の持ち込みやら、その中でさらに分化された「タコツボ化」に順応する意味が理解できない。

 

 

しかし、一方で、「上の世代」と言われる人からすれば、一生勤め上げる会社という前提がある。

 

それならばそこにいる人たち同士でムラを作って仲良くなっていこうじゃないかという彼らの前提はある程度合理性があると言わざるをえない。

 

 

 

そういうわけで、 彼らを変えることはできない。

 「会社がうざい」諸君に残された道は脱出しかなさそうだ。

 

 

マッキンゼーにでも行けばいいんじゃないの。 

 

 

おもしろき事なき世を面白く

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