私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

会社の飲み会について20代の若者に知っておいてもらいたい3つのこと

検索エンジンなどからの流入も含め「飲み会」に関する論考がちょっとした反響を呼んでくれた。

 

第一回

www.shinsaku-takasugi.com

 

第二回

www.shinsaku-takasugi.com

 

 

当初は一回しか書くつもりはなかったのだが、予想以上の反響についに三回目まで来てしまった。

 

 

 

ただ、今回でひとまず飲み会に関する考察もひとまず終わりにしようと思っている。

 

 

今まで私は過去二回の記事の中で、「飲み会とは全体主義運動である」と述べてきた。

そして各回では以下のことを書いた。

 

 

  1. 会社飲み会全体主義運動とどこが酷似しているなのか?
  2. 全体主義運動を飲み会で展開するにあたり<指導者>達は何をしているのか?
  3. 会社飲み会について知っておいてもらいたいこと(本日)

 

 

 

本日は、会社の飲み会に関わる人たち向けてどうしても3つ伝えたいことがあり文章を書かせていただいた。

  1. 彼らに法律や道徳を根拠とした反論は通用しない
  2. 彼らに悪意はないということ
  3. 正気かどうかは統計上では決まらないということ

 

 

  *本稿は、私がなぜ飲み会を全体主義運動と言っているのかについて知っていただく意味でも、初見の方はこちらを先にご覧いただけると幸いである。

 

www.shinsaku-takasugi.com

 

1.彼らに法律や道徳を根拠とした反論は通用しない

 

この飲み会と呼ばれる全体主義運動の危険性をまず一つ挙げろと言われたら私はどう答えるか?

 

 

真っ先に挙げられるのは伝統的な法や道徳、慣習などが一切通用しない点である。

 

・・・真に全体主義的になると、・・・・・・我々の伝統的な法的、道徳的、もしくは常識的功利主義的なカテゴリーの何をもってしても、・・・・それについて判断し、予見する助けにはならなかったので或る。

ハンナアレント全体主義の起源』

 

 

アレントのいうことをわかりやすくすると、「会社の飲み会は素晴らしい」というイデオロギーは突如として現れたが故に、従来のあらゆる遺産で対応ができないのである。

 

 

 

 

ただ、この荒唐無稽であることが、実はこれこそが全体主義運動の大きな特徴であり、全体主義運動の原動力とも言える。

  

・・・ヒットラー嘘というものは法外なものである場合にのみ効果を挙げ得ると数百万部も刷られた本の中で宣伝した。法外というのは、事実の連関全体はそのままにしておいて個々の事実を否定する・・・ような小細工をせず、事実全体を歪めてしまって、その結果、個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界の代わりに一つの仮構の世界を作り出すようにするということなのである。

ハンナアレント全体主義の起源』

 

 

つまり、スタート地点に途方もない嘘を置くことで、あらゆるデタラメから矛盾が消えるのだ。

 

 

例えば、会社の飲み会という虚構の世界を<指導者>達は作り上げることで、

 

(会社の飲み会を素晴らしいものなので)「飲み会は全出席が当たり前」

(会社の飲み会を素晴らしいものなので)「年間で休めるのは年次マイナス1日だけッなんだよ。」

(会社の飲み会を素晴らしいものなので)「ほら飲み会楽しかっただろ?」

 

 

といったあらゆる逸脱を平然と言ってのける。この前提があるので、矛盾がない。

 

 

 

繰り返しになるが、大切なのでもう一度言っておきたい。

 

 

こうしたキチガイ」がなぜまかり通るのかというとその嘘が途方もなさすぎるからだ。

 

ナツィがすでにずっと前から知っていたことの正しさがわかる。それは、犯罪を行おうと決心しているときには、最大の、最も信じがたい規模でそれを演出するのが得策だということだ。そうすれば、一国の法制の中で規定されているあらゆる刑罰が、不十分な、問題にもならぬものになってしまうから・・・

ハンナアレント全体主義の起源』

 

この逸脱ぶりは何度強調してもしすぎることはないが、未だに我々は「法律違反だろ」「非常識だ」といった伝統的規範に当てはめて彼らを見てしまいがちだ。

 

2. 彼らに悪意はないということ

飲み会イデオロギーを推し進める<指導者>を含めた全体主義運動に関わる人間たちはさも悪党なのだろうとあなたは思うかもしれない。

 

 

ただ、そうではない。逆である。

彼らは、遵守意識が極めて高い人間達なのだ。

 

 

このイデオロギーを配置した人間を除けば、虚構世界を成り立たせている「イデオロギー」を自分がしっかり遵守しているからこそ、一方で守れない人間を抹殺しようとしているだけなのである。

 

嘗ていかなる専制支配も、<客観的な敵>という概念の帰結として生ずるこの恣意ほど効果的かつ徹底的に人間の自由を否定したことはない。

ハンナアレント全体主義の起源』

 

 

ここで言いたいことは一つである。

我々の行いは、常に「善」が「善」を生むわけではないということである。

 

 

 

時として、「悪」が「善」になることもあれば、「善」が「悪」にもなるのである。

 ただ、このズレている場合、今の飲み会運動のように収拾がつかないことがほとんどだ。

 

 

 

3. 正気かどうかは統計上では決まらないということ

是非あなたに心に留めていただきたいのが、正気かどうかは統計上では決まらないということである。

 

正気かどうかは統計上の問題ではない」このことばには深遠な叡智が含まれているような気がした。

ジョーオーウェル『1984』

 

ただ、これは、言うは易しの典型である。

 

 

我々は時として「飲み会に行くべき」という命題をあからさまに振りかざす周囲に「おかしい」と言っていながら、周りがあまりに飲み会に向かうために自分が間違っているかもしれないと思ってしまう。

 

これが、最も恐ろしいと言える。 

 

そして一人なら、それは狂人ということだ。だが、狂人であると考えてもそれほど動揺しなかった。怖ろしいのは同時に自分が間違ってもいるのではないかということだった。 

ジョーオーウェル『1984』

 

 

 

ただ、あそこにのめり込めば最後で「終わった人間」になる。

 

 

あの全体主義運動に「嫌だけど参加する人間」「まあとりあえず行く人間」たちは、恐ろしさを知らなさすぎる。

 

 

自らとんでもない選択をしていることに気づいていない。

 

 

理解力を欠いているがゆえにまともでいられるのだ。

 

どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け入れさせることができるのだ。

かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているかを十分に理解せず、また、現実に何が起こっているかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。

理解力を欠いていることによって、彼らは、正気でいられる。


 ジョーオーウェル『1984』

 

最後に一言でまとめたい。

 

会社の飲み会とは全体主義運動である。そして、その運動はあなたの信念を捨てさせ、あらゆる自由を放棄させるとんでもないデタラメであるということだ。

 

 

5年後にはウィンストンが最後には「2+2=5」と言ったようにあなたも以下のようになっているかもしれない。

 

  • 先輩コンパ行きたいっす。
  • 30年ローンで家買いやした。
  • 昨日も朝まで飲みました。
  • 先輩。僕もゴルフしたいです。
  • 今年の阪神ダメですねえ。

 

こちら側にいた人もいつの間にかあちら側に居るのだろうな。

 

おもしろきことなき世を面白く

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