私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

友達の理想と現実

昨日に続き今日も友達の危険性について述べていきたい。

 

 

 

解決策として、今日は「孤独であること」以外の選択肢についても考えてみた。

 

 

 

 

 

 

あらためて本題に入る前に「なぜ私は友達について頻繁に哲学しているか」の理由を述べたい。(昨日の記事とかぶる)

 

 

 

 

その理由は、「友達が多いほうが良い」という価値観はほんのここ10年ほどで生まれた一つのパラダイムであるにもかかわらず、さも1000年の歴史があるかのように振る舞っているからだ。

 

 

 

 

この新しいイデオロギーについて私は著しく疑問を抱いている。

 

 

 

「新しさ」に対して「疑い」を持つことをあなたにも薦めたい。

 

 

1.友達の理想と現実

あなたにとって友達とは何か?

 

 

「いざという時助けてくれる人」

「一緒にいると楽しい人」

 

 

といった回答が多い。

 

 

理想としては、「いざというときに利害関係を超えて助けてくれる人」というのが読者諸氏にとっての本当の「友達」なのであろう。

 

 

 

 

ただ、そんな人が果たしてどれほどいるだろうか?

 

 

 

  •  あなたとの約束を簡単に反故にする人間
  •  遅刻なんか当たり前のような人間
  •  白木屋で一緒に騒ぐだけの人間
  •  異業種交流会で名刺交換した人間
  • 「仲良くしような」と言ってくるような人間
  • 「バーベキューやろうぜ」が口癖の人間
  •  合コンの数合わせ
  • 「ヤバイ」「マジ神」が口癖の人間

 

 

あなたの周りにはこんな人間しかいない。

 

 

 

上記のような人間が「いざという時」なにかしてくれるような信頼に足る人間だろうか?

 

 

 

 

 そう思うなら随分と頭の中がめでたいという他ない。

 

 

 

 

 

ただ、私の冷静な分析に対して、多くの人間は性懲りもなく「友達は沢山いたほうが良い」と言い張るだろう。

 

 

 

 

 

完全に病気である。

 

 

 

 

 

 

冷静な思考ができないことであまりに多くの時間をあなたは失っている。

 

 

 

 

 

早急にセネカの『生の短さについて』をトイレ・キッチン・蒲団の上・玄関などいたるところに置くべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

ここで前提にズレがあるといけないので、整理しておきたい。

 

私は「どういうのが本当の友達か?」といったアプリオリに「友達は必要」という前提はおいていない。

 

 

「そもそも前提として友達は必要か?」という事が言いたいのである。

 *別記事で「友達の条件」について書いたりしているが、あれは今の「友達」には求めても不可能だと考えている。

 

 

 

 

プルタルコスはいいことを言っている。

 

我々は、友人が病気になっても、どうかすると死んでも、知らずにうち過ごしてしまうことがある。友人に対してはそれほど迂闊で軽くすませてしまう。

『饒舌について』

 

 

 

 「友達」というイデオロギー

 

あまりに怪しい。

 

 

 

2.あなたを高めてくれる人間

では、どういう人間があなたを現実的にたかめてくれるのかというと「敵」である。

 

 

 

 

この意見は、LINEで「コミュニケーション」することに命をかけている人間には受け入れられないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ただ、人類の進化において「敵」の活用こそ、極めて重要なウエイトを占めてきたとプルタルコスは述べる。

 

 

昔の人々は、人間以外の野生の動物から害を与えられなければそれでよかった。野獣に対する彼らの闘いの目的もそれだった。しかし時代が下ると、人々は動物を使うことを学んで、動物から利益を与えられるようになった・・・

 

 

・・・またクセノポンも、敵からも利益を得るのが理知的な人間だといっているのだから、クセノポンを信ぜずと力むよりは、むしろ、敵がいなければ得られないこの利益というのは、一体どうすれば得られるのか、その方法と技術とを探求すべきである。

『饒舌について』

 

 

 

 

 

 

では、具体的には敵がもたらす価値はどういったものか?

 

 

 

 

それは、自らを常に律する原動力を与えてくれることだ。

 

 

プルタルコスは以下のように述べる。

 

 

ではそれが我々の利益になるのか。まさにそのとおり。

自分自身にくれぐれも注意し、何事も調べもしないで無造作にやったり言ったりせず、いわば厳格な食餌療法に従って暮すように、常に用心怠りないこと。こうして、注意に注意を重ねて揺れ動く感情を押さえ理性の力をつなぎ止めておく・・・

『饒舌について』

 

 

3.友達には価値が無い

マッキンゼー風に言うと、「友達」にはvalueがないのである。

*「原宿でパンケーキを食べること」がvalueだと言われると私はもう開いた口がふさがらない。

 

 

 

 

 

これは、どうやら2000年ほど前のプルタルコスも同じことを言っており、今に限った話でもないのかもしれない。

 

 

冒頭に「ここ10年ででてきた価値観」と私はいったが、昔から断続的に現れては消えていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

プルタークは何度ものべるが、人間は強くなる過程で、「敵」からしか自分の本当の力を測れないようだ。

 そして、成長のための原動力も「敵」からしか得られないようだ。

 

  

・ ・アンティステネスが、もし我が身を保たんとするならば真の友か狂暴な敵を持たねばならぬ、と言ったのは正しい。友人は忠告により、敵は悪口によって我々が過ちを犯しそうになるのをそらしてくれるからだ。

 

しかし今日では、友情は、何かを腹蔵なく言おうとすると声をつまらせ、そのくせ追従を述べるときには多弁になり、忠告など一言も発しなくなってしまったから、真実は敵からしか聞けない。

『饒舌について』

 

 

 

 

 

ここまでくれば、我々がすべきことは明快だ。

 

 

 

「尊敬できる敵」を取り急ぎ見つけるのだ。

 

 

「嫌いだけど凄い」人間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ「友達」の理想と現実のギャップに気づきしかるべき対応をする時期だと考えている。

 

 

おもしろきことなき世を面白く

 

 

 

 

本記事は、下記記事のリメイク版です。

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