私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

生き方がわからない人へ

生き方わからない。」

 

 

生き方を変えることが出来ないだろうか?」

 

 

生き方を考える必要がある。」

 

 

 今日本では、多くの人がこの悩みを抱えている。

 

 

 

 

 

 

それは20代という若い人から50代のような高度経済成長の日本を駆け上がってきた人までかなり多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、社会が物質的に成熟したことを示すものといえる。

 

 

 

 

だから精神的な豊かさを追い求める態度がその言葉に現れているのだ。

 

 

 

 

 

例えば、 高度経済成長期であれば、物質的な豊かさを求めることがそのまま幸福度に直結していた。

 

 

自動車がほしいとか家がほしいなどがその代表例だ。

 

 

 

 

 

 

しかし、今や日本はあらゆるものが安価に手に入る時代。

 

 

テレビや自動車といったものでさえ、大学生がバイトをしてお金を貯めれば買える世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ものの豊かさがある程度満たされた世界で我々がどう生きるべきか

 

 

今日はそれについて考えてみた。

 

 

 

1.人間はなぜ「どう生きるべきか」を考えてしまうのか?

 

 

そもそも論であるが、なぜ人間は「どう生きるべきか」という思索をするのであろうか?

 

 

 

ヤスパースは以下のように述べる。

 

実際において、人間はけっして全般的に、また決定的に自己自身に満足することはできないのであります。

『哲学入門』

 

 

 

 

 

 

これこそが現代まで、我々の社会を物質面で発展させてきた原動力であり、今「生き方がわからない」と考えている原動力でもあるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまるところ、

 

 

アフリカや東南アジアなどはまだ物質面での渇望にあふれているが、

 

 

ヨーロッパや日本のような成熟国においては、「何を目指せば良いのかわからない状態」に今ある事を意味する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ、20歳にして、「何を求めて生きれば良いのかわからない」と考える人が溢れているのである。

 

 

 

この問いを抱いた人間はどこへ向かうのか?

 

 

 

 

 

ヤスパースの論を咀嚼して私なりの分析をした結果「物質面で豊かになった人が向かう方向」は概ね2つある。

 

 

 

 

 

2.自己忘却に走る人間

 

これはどういうことか?

 

 

ヤスパースは直接的にはのべていないものの「動物化」する。

 

簡単にいえば、「食欲」と「性欲」をみたそうとする下等生物に成り下がる。

 

 

 

 

少し話がそれるが、

 

今日サンマルクでこの文章を書いていたら大手企業に入社したばかりの新入社員2人が隣りに座った。

 

その時していた会話がまさにこの「自己忘却」を始めた人の典型パターンであった。

 

 

 

 

「この前の合コンやばくてさ・・・」

 

「毎日飲み会。食べ過ぎかも・・・」

 

「あの女の子。かわいいよね・・・」

 

「お前さ。〜商事は勝ち組だよ・・・」

 

 

 

 

 

一言で言えば、「性欲」と「食欲」にまつわる話しかなかった。

 

 

 

 

この中で若干浮き気味の「〜商事内定」の話も一見関係なさそうに見えるが、実際のところは、昨今の肩書は「SEXを引き出すための道具」に成り下がっている感があるため本質は同じである。

 

 

 

この「自己忘却」した人間の何がまずいのか?

 

 

その前にルターのある言葉を述べなくてはならない。

 

「汝が固執するもの、汝が拠ってもって立つところのもの、そは本来的に汝の神である」

 

 

 

 

 

 

現代の物質面で豊かになった若者はまさに「SEX」というものを崇拝し、それを「神」と崇めている。

 

神というのはキリスト教や仏教だけではないのだ。

 

 

 

 

ただ、この「SEX」を信仰対象とした場合、その目的が達成された後の人生は悲惨である。

 

 

 

 

あくまで、SEXにこだわり続けるか、別の信仰対象を探すか、何もないまま死ぬのである。

 

 

別の信仰対象というのは具体的に言えば、「プロ野球観戦が生きがいの人間」「SNSでどうでもいい投稿をする人間」「和民で日夜飲み明かす人間」などがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろんバブル期や高度成長期も同じ人間はいたであろう。

 

 

 

 

ただ、あの頃は「自動車がほしい」とか「家がほしい」みたいな物質への渇望からくる勤勉性が幾分かあった時代なので、今より、「下等生物」としての毛色は薄かったのだ。

 

 

 

 

 

 

若者は「性欲」と「食欲」を追い求める下等動物に入門し、

 

 

 

歳を重ね

 

「性欲」を失ったオヤジは「食欲」だけを満たすことに終止し、腹がでる地点に到達する。

 

 

 

3.哲学的人間

 

物質的に社会が満たされた後に人が向かう道としてのもう一つの選択肢が、「哲学的な人間」になることである。

 

 

 

 

 

 

ヤスパースは哲学的人間と自己忘却的人間の違いを以下のように述べる。

 

 

 

 

 

 

 

「哲学すること」は、根源を目覚まし、自己へ還帰し、内的行為においてできるだけ自らを助けるという決断であります。

 

・・・・単なる仕事や、目的物に没頭することがすでに自己忘却への道であり、同時に怠慢と罪であることを知ることが、哲学的な生活態度への意志なのであります。

 『哲学入門』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、ヤスパースの考えでは、そもそもはすべての人が「自己忘却的人間」である。

 ただ、そこから脱却できる少数の人間がいるとのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、自己忘却への傾向は、すでに人間そのもののうちに存するのです。だから世間や、習慣や、無反省な自明性や、固定された軌道などに迷って自分を失わないために、自己脱出が必要なのであります。

 『哲学入門』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、「自己脱出」を成し遂げた人だけが「頽廃的生き方」から逃れ、ヤスパースの言う「人間となった人間」なれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平たく言えば、この自己脱出の方法は、「哲学をすること」によってのみなしとげられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、「〜はどうなんだろうか?」ということを考え続けることが大切だということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

居酒屋でゲラゲラ笑って毎日を過ごすことに違和感がない人間

ゴルフで一日ラウンドを回ってそのあと一杯している人間

合コンに毎週のように繰り出す人間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう「終わった人間」に堕落してはならない。

 

その哲学をし続けることこそが「あなたが生きていく上で最も必要なこと」なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えを出すことも時には大事だが、考えるというのは答えを出すことだけではないのである。

 

 

 

 

 

 

 

考える態度こそが求められる。

 

 

 

 

小林秀雄は以下のように述べる。

 

現代人には、考えることは、必ずわかることだと思っている傾向があるな。つまり考えることと計算することが同じになって来る傾向だな。計算というものはかならず答えが出る。だから考えれば答えは出るのだ。答えが出なければ承知しない。

『教養ということ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう意味では、今のまま「考え続ける行為」そのものが一つの「正解」という言い方はできるかもしれない。

 

 

 

生き方わからない人に参考になれば幸いである。

 

おもしろきことなき世を面白く

 

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