私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

世の中で本当に価値のあるものを見ぬける人間の特徴とは?

「頭がいい人とは?」

 

「教養のある人とは?」

 

 

ということは、いろいろな人が考え定義し、答えを出そうと試みてきた。

 

 

 

しかしながら、今のところまだ答えが出ていない。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、私は、「頭のいい人」「教養のある人」を見抜く方法を一つ見つけた。

他にもあるかもしれないが、割りと的を射ている自信がある。

 

 

 

 

それについて今日は少し書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、端的に言えば、「読書をする人」である。

だが、それだけではだめである。

 

 

 

 

もう一歩踏み込んで言えば、「良書を読んでいる人」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本を読んでいる人は偉い」と短絡的なことを言いたいのではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ私が、「良書を読む人」がすごいとおもうのか?

 

 

 

 

それは、本は数少ない市場経済の原理が働かない世界だからである。

 

 

 

 

 

例を出すと、ゲーテが生涯をかけて書いた傑作『ファウスト』が岩波文庫で、800円程度で買えてしまうからだ。

 

 

 

一方で、1500円もする中身の無いビジネス書が氾濫している。

 

 

 

通常、マクドナルドが帝国ホテルのランチを超えることはないのと同様、軽自動車もまたベンツを超えることはない。

 

 

多くのものが値段と価値が概ね一致している。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、こと本の世界においては、ベンツが軽自動車より安く買えるのだ。

 

 

 

 

ダメな人間は、高額なお金を出し、駄本を買う。

天才は、少額の金で、良書を買う。

 

 

 

 

 

 

 

 バカは永遠にバカな本を読んでバカなままという悲惨な世界ともえいえる。

 

 

 

 

 では良書とは何か? 

 

  

 

 

 

 

もうこれはいうまでもない。

 

 

 

古典だ。

 

 

 

 

 

良書とは古典なのである。

 

 

 

 それ以外はありえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の人々は、古典を過小評価し過ぎである。

丸善で平積みのものしか読まない。

 

 

 

 

どれくらい凄いかはすぐに分かる。

 

 

 

 

例えば、ハリーポッターほど売れた本でも10年も経てば人々の記憶から薄れつつ有る。

 阿川佐和子さんの『聞く力』は200万分売れたが人々の記憶から消えつつ有る。

 

 

 

 

別にこれらの本をバカにしたいのではなく、10年人の記憶にとどめるだけでも大変な世の中で、数百年〜1000年以上残り続けている古典を読まない理由がないと言いたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は時間が限られている。

 

良書を何度も読もう。

 

 

 

 

古典は問答無用で良書だ。

 

 

 

  

 

 

 

 

丸善に行って、「平積みコーナー」で本を買うことから卒業しよう。 

 

 

 

 

 おもしろきことなき世を面白く

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