私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

孔子が述べる「友達」の条件

孔子といえば、『論語』であるが、この中で、孔子が結構工数をかけて述べているのが「友達」についてである。

 

 

今日は短いが孔子の考える「友達の条件」をまとめてみた。

 

 

 

1.学び合いが出来ない人間関係は友達ではない

曾子曰わく、君子は文を以って友を会し、友を以って仁を輔く。

 

 

 

孔子によれば、教養有る人間は学芸を通じて、友人とまじわり、その友情によって、お互いに人格を高め合うことを助け合う。

 

 

 

 

 

あなたは、激安居酒屋チェーン店でどんちゃん騒ぎできる相手のことを「友達」と呼称している。

LINEで無駄な会話ができる人間を「友達」と呼ぶかもしれない。

 

 

 

2000年の歴史の中で、随分と友達の歴史も変化したなと感じる。

 

 

 

ただ、良い方に変化したのならまだしもどう考えても退行していると言わざるをえない。

 

 

 

私がインテルの最新CPUのクロック数より多く「友達がいない」と言っているのは周知の事実だが、こういった孔子のような友情関係を求めているからである。

 

 

 

 

 

残念ながらいないと言わざるをえない。

 というよりいらない。

 

なんで金の蔵にいけば、「仁」が磨かれると思うのだ。

 

 

 

2.孔子の分類する有害な友と有益な友

 

 

孔子曰く、益する者の三友あり。損なう者の三友あり。直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるを友とするは、益するなり。便驛なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするは、損なうなり。

 

 

 

 

孔子が言うには、自分にとって有益な友は3種類いて、有害な友は三種類いる。

真っ直ぐな友、義理堅い友、博識の友、之は有益である。

しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、之は有害である。

 

 

 

 

 

あなたの「友達」に有益な友はいるか?

 

 

孔子が述べた有益な友と有害な友を分類できる魔法のような質問がある。

 

 

「あなたが感銘をうけた本は?」だ。 

 

 

 

 

なぜなら「追従する友」は間違いなくオルテガやキルケゴールを読んでいないし、「裏表の有る友」は孔子や新渡戸稲造を読んでいない。

 

そして、「口先の巧みな友」はプルタルコスとショーペンハウエルを読んでいないからだ。

 

 

 

要するに、「有害な友」とは「古典を読んでいない人間」である。

 

 

 

 

古典を読めば、如何に上述の三点が有害かを身にしみて知るため、身を改めるはずなのだ。

 

 

 

  

 

 

 

あなたは、おそらくそういう話をすると脊髄反射的に「なんで古典読んでる奴が偉いんだよ」とキレてくるだろう。

 

 

 

 

 

古典の重要性が分からないものは「もう終わった人間」なのだから放っておこう。相手をしたくない。

 

 

 

現代人からして最も古い『論語』の中で、孔子が「古典を読め」と言っているのだ。どれほど重い言葉かわからない奴は、「終わった」といえる。

 

 

3.「友達」の定義はどんどん堕落している

 

最近はfacebookで友だちになれば、友だちになったと思う人間も多く、

「ういーすfacebook交換っしょ」

 

 

みたいな頭の悪い奴が随分と増えた。

あれを私は「退行的人類」と言う形で分類している。

 

 

 

 

私のようにfacebookをやっていないと「えっまじかよ」と狂人扱いされるわけだが、ああいう人間が増えすぎてますます俗世間が嫌いになるばかりだ。

 

 

 

孔子の言葉を読んでいて思うのは、「友達」の原理自体は元々は単純で、「相手から学ぶところがあるか」の如何のみで決定するはずである。

 

 

 

 

「利益があるかどうか」なのだ。 

 

 

 

 

 

これを「打算」というと聞こえは悪いが、人間は所詮打算的で動く生き物なのだ。我々一般人が「君子」ぶっても無駄だ。

 

 

 

 

 

友達は今や単なる贅肉へと成り果てた。

軽々しく、その言葉を発してはならない。

 

 

おもしろきことなき世を面白く

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